過去、思ひて


 膳の存在は丸ごと無視られた。陽が暮れて春故に残照もないのでコトハは牢獄に必要最低限の明かりをつける。等間隔で置かれた蠟燭に灯されていく火。橙と赤が混ざって忍兄妹の髪色のようだが、サイはノーコメント。ほのかに暗い牢内にサイはため息。


「どしたの? お腹すいてきた?」


「……」


 ハクハの問いにサイはなにも返さない。ただ黙って牢獄の天井、普通の部屋、ウッペの城で一般的な部屋より低く、閉塞感を与える天井を見上げているサイは過去に戻った気分だった。生まれてから、ずっとすごしてきた暗い部屋。明かりはほぼない。


 部屋の窓には木の板が打ちつけられ鉄格子がはまりさらに遮光用の網がかけられていてサイが飼育されていた部屋は明かりがないに等しい状態だった。ただ、部屋の扉の下。隙間からの明かりで餌の時間と虐待されるに値するなにかが起こったことを知る。


 それ以外に光を見ることはなかった。そう、レンに出会うまでは。レンに出会ってからは光への恐怖は半減した。家を飛びだしてからは皆無になった。代わりに暗がりを恐れるようになってしまったので情けないな、とサイは自嘲したものだ。


 暗がり、闇、黒。それらはレンを奪っていってしまった。世界の半分である黒はサイの大事な者を奪っていってサイに黒の世界を押しつけて白の世界を消してしまった。


 そして、過去の道だけが残った。血にまみれ、血を滴らせて穢れ果てた過去の道だけが残ってしまった。そして、未来さきには闇だけが鎮座し、道は見えない。


 闇の只中に閉ざされ、闇に包まれ、闇を糧にして育まれる悪魔。それが、サイ。


 サイが望んだわけではない。ただ、世界がそう強制した。でも、悪魔だろうとなんだろうとどうでもよかった。レンを喪った時点でサイの生きようとする気力なるものは底へついたから。それでも殺して、他の命を喰らってでも生きているのはレンの為。


 喪ってしまったからこそ、奪われてしまったからこそ、奪っていった世界を嘲ってやりたかった。レンの肉体こそ土に還っても、レンの命はサイと共に在る。


 ざまあみろ、と世界に唾を吐いた。


 サイとレン。あの無慈悲で残酷な世界でたったふたりきりの肉親であり、血肉と魂をわけた双子姉妹。ふたりは仲がよかったとか、尊重しあっていた、という次元を超えて愛しあっていた。互いの為に命を張ってきた。どんなことでもしてきた。


 だから、ジグスエントの支配しているオルボウルというらしいこの国でサイはひとりであってひとりでない。そばには、レンがいてくれる。ずっと、ずっと、ずっと……。


 レンの魂がそばに在ってくれる。それだけがサイの救い。それだけがサイの支え。本当にひとりぼっちだったらサイはとっくに潰れていた。実家にいたその時にでも、潰れて終わっていたに違いない。だからこそ、レンの存在に感謝してもし足りないのである。


 ハクハとコトハ兄妹は仲がいいのか悪いのかはわからないが、お互いに理解しあってはいるようだ。そんなふたりが肉体を持って隣に在れるというだけなのに、そのことがとても羨ましかった。レン。彼女に今、そばにいてほしかった。なにもなくとも心強い。


 なので、ふたりを無駄に睨んで無駄に彼らが用意した食事を拒否する。……いやまあ、食事拒否は無駄に、ではないので訂正点ではある。誘拐犯の用意する食事などなにが入っているかわかったものではない。警戒するのは当然だ。懐柔されてなるものか、だ。


「……ああ。食事にはなにも混ぜていない。ジーク様の指示にないから。……まだ」


 ふと、サイが薬の類を警戒して、薬漬けにされて懐柔されるなどと冗談ではない思っていると、それを察したのか、それとも体は小さいが歳が近いとハクハがなんとなくどこかの時間帯で言っていた気がしたコトハがサイの懸念に答をくれた。


 ただ、ちょっと聞き捨てならないというか、今なんて言ったこいつ? という言葉を混ぜてはいたが。「まだ」? まだってどういう……指示があれば混ぜたってことなのか? そうなのか? とサイが不審、というか下衆を見る目をしたのにふたりは反応。


「あ、あ~。そういうこと? なぁんだ、そういうことなら言ってくれればいいのに」


「ん。鬼味くらい、目の前でしてあげる」


「……どちらにしろ要らぬのでさげよ」


「えぇーっジーク様がせっかく君の為だけに用意させたお食事を残そうっての? ここに女官さんたちのお手間がどれだけかかっているか、わかっていて言っている?」


「手間賃はあの男が支払うのだ。私にいささかの罪も咎もなにひとつない。死ね」


「おぉい、口利いてくれるのは嬉しいけどついでとばかりに呪詛混ぜないでよね」


 本当に。この忍兄妹は例えそれがジグスエントの命令であり、たっての願いだったとしても、少なくともサイによくしてやろうと思って鬼味を提案してくれたのに、そこに死ね言うのはいろいろと間違っている。


 サイは平素から女の子には少し甘いところがある筈なのに、それもジグスエントが関わっている、いきなり口づけなどしてきた男の配下と思うと嫌悪が先立つらしい。


 ハクハは最初から、コトハにも敵意剝きだしである。むかつき魂が燃えるようだ。


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