庭を臨みつつ


 旅籠屋ハハイロリ。帝都においてはそんなに華々しいでもない宿どころだが、知る者ぞ知る名泉を引いている大きな露天つきの旅籠屋だ。その分、料金が異常に高いわけではないし、出費をそこそこ抑えつつ、温泉と食事、立地のよさで数年前からとある国は特別贔屓にしている。


 旅籠屋の背後が雑木林であるのと庭にあまり金をかけていないことが低料金で抑えられている理由。庭にはほんの飾り程度に草花が茂っていたが、前日におりた季節外れの霜が原因で半滅した。しかしまあ、この庭を好んで眺める客もいない。


 楽しみにしてくれる者がいないのならば手入れをするのはもったいない、ということで放置されている庭を眺めるひとひとり。そのひとの頬には小さな紅葉手形と少し大きな青痣がある。ひとりで庭を眺めるともなく眺めているひとは視線をさだめずふらりとどこを見ても見ていない。


 心ここに在らず。まさにその様である。


 淡い亜麻色の髪に晴れた空色の瞳。ウッペ王族に属する者が抱える色を持った青年が庭を眺めている。青年は両頬にある痕に手をやってため息を吐く。青くなっている方の痕は彼が、ココリエが幼少の頃から兄のように世話を焼いてくれていたウッペ武将頭に殴られた時にできた。


 一方、赤い方はココリエ最愛の妹から受けた一撃。ココリエは思いだしてまたため息をひとつ口から押しだした。


 旅籠屋に戻る途中でセツキが御目通りの最中に起こった珍事を話して聞かせた。だから宿に到着したと同時、車からおりたルィルシエにココリエは平手で殴られた。


 セツキに比べ、かなり弱い一撃だった。しかし、それは女の子の一撃であり、サイの代行で放たれた一撃だとすると、こめられた思い分とても重たい一撃に違いない。


 セツキの報告で完全に頭にきた、おかんむりのルィルシエは涙を浮かべた目でココリエを睨んでさっさと宿に入っていった。ルィルシエのいつもにはない一面を見てケンゴクは呆けかけ、ココリエに声をかけようか迷っていたが、セツキが止めて連行。


 そうしてひとり宿先に残されたココリエは車を所定地に停めてイークスたちを厩に繫いで旅籠屋に入ってあとはすぐ、どの部屋にもいかず庭にふらふらと歩いた。


「……はあ」


 庭の縁側に腰かけてぼんやりしつつ時々思いだしたようにため息を吐く。その繰り返しを重ねているうちに太陽はかなり傾いた。だが、なにをする気も起きない。


 重い気分で暗い気持ちだった。


「こちらでしたか」


「……セツキ?」


「いつまで、そうしているおつもりかは存じませんが、夕餉の支度が整いました」


「サイは」


 夕餉の支度ができた。セツキが探しに来てくれた理由に納得してココリエは気がかりを訊ねた。サイ。ココリエの側近でウッペに仕える傭兵娘のことを訊いた。


「要らない、だそうです」


「……そうか。では、余も」


「なりません。サイには時間をあけて無理矢理にでも食べさせます。ひとが一生懸命つくったものを一時の感情でゴミに捨てさせようとおっしゃるのですか?」


「では、サイが食べたら食べる。昨日も食べていないのだろう? サイが断食をやめたら余も食べる。だから」


「……それは、サイに圧力をかけるとわかっていて言っていますか、ココリエ様?」


 ココリエの弱い反論で抵抗にセツキはきつい言葉を返した。サイにこれ以上圧力をかけてどうする、とばかり。正しい。セツキの言うことは正しすぎる。サイが食べないならココリエも食べない。王子に断食をさせるわけにいかないのでセツキの命でサイは食べるしかなくなる。


 反吐がこみあげそうなほど残酷な命令だ。


 それをココリエが正式に発令するならセツキは従うだろうが、ルィルシエの恨みと憎しみが目に見えるようだ。


 サイのこと、ココリエがサイにしたことを聞いて怒りのあまり敬愛する兄に平手打ちを繰りだしたのだから。ちょっとどうかと思うが、ルィルシエの中の天秤はココリエよりサイ、になっている様子。ある意味普通だが。被害者と加害者どちらを庇うか、そんなもの知れたこと。


「わかった。我儘だった」


「ご理解いただけてなにより」


「セツキ」


「なんでしょう?」


「すまない。父上の顔にも泥を塗ったな」


「……。私やファバル様のことは構いませんのでサイにきちんと謝罪なさいませ。相手は人間で言葉も通じます。言葉は貧弱な道具ものですが、尽くせば存外伝わります」


 しばらく間を取ったセツキは自分とファバルたちに構わず、とにかくサイに許されるように努力しなさい、と助言した。人間、本当に集中できるものは一個がせいぜい。


 他に気を散らせば気が散ったなにかにしかならない。集中力が高まった時に至高の技術が組まれた場合に限り本当によいものが生まれるのだ。芸術においては逆もありうるが、謝罪ならば他に気が散る要素などない方がいいに決まっている。


「あとで、探してやってくださいますか? 宿の者には私から言っていつでも食事にできるようにしますので」


「ありがとう、セツキ」


「……いえ、いいのです」


 なにか微妙な間があったような気がした。だが、セツキは気にしないでくれ、と言ってくれたので、ココリエはそこだけ甘えることにしてセツキについていった。


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