態度急変


 ココリエの体内時計によれば四刻半ばかり、いや、もっと短かった。いつもサイに話がある、という時、セツキはかなりの時間を割く。それくらいしないとサイは理解できないのだ。悪いことをそうだ、と教えるのに時間はいつも足りないくらいだ。


 そうすると、結構早く帰ってきた。


 サイが帰ってきたことにルィルシエは嬉しそうにして飛びつこうとしたがサイは迷うことなく躱した。そのせいでルィルシエはずべしっ、と畳にこんにちはとご挨拶。


 ……憐れ。


「?」


 ルィルシエ憐れ、とココリエが思って見物しているとセツキがルィルシエを助け起こした。その瞬間、ココリエは言いようのない違和感を覚えた。なんか、変。


 だが、なにが変なのかわからない。少なくとも現状では情報が足りない。なにに違和感を覚えているのか。どうして違和感など覚えるのか、意味がわからない。ただ、なんとなく説明ができないながらもおかしなことがある。確実に、ある。


「ルィルシエ様、おでかけなさいますか?」


「うぅ、したいですけど、サイはお加減が」


「申し訳ありません。サイにまだ、いろいろとしたい話があるのでケンゴクを供にでかけていただけませんか?」


「えぇー……」


「姫さん、それはさすがに傷つきやすぜ?」


 ケンゴクの傷つく、という言葉。だが、ルィルシエは聞こえないフリで彼をシカトし、ぷっと頬を膨らませる。不貞腐れてやる。そんな態度。愛のタックルをサイに躱され、その上お買い物のお供はケンゴク。普段からサイにべったりでサイにデレデレしているので不満はわかる。


 でも、だからといってケンゴク当人がいるのにケンゴクなんていや、はいけない。ひととしてしてはいけない。が、ルィルシエに言って聞かせてさらには納得させるだけの無駄根性を持ちあわせている者などそうそう現れるものではない。まあ、例外さんをさっくり除いて、だが。


「ルィルシエ様、我儘を」


「でも、セツキ、ルィルは」


「……うるさい」


 ある程度予想されていたことだった為か、セツキが回復して言葉を並べようとしたが、ルィルシエはむすっとして我儘を重ねようとした。遮る者はいない、筈だった。


 ルィルシエを遮った者がいた。ルィルシエはきょとんとしてそちらを見る。


 そこにいた者は不快そうに眉間に皺をつくってウッペ王女を一瞥。すぐ視線を逸らしたひとの冷たい声にルィルシエは呆然となる。今までに聞いたことがない声だった。


「先んじて言った筈。荷物係ケンゴクを持っていけ」


「……。で、も、でも、先は一緒に、と」


「予定が入った。我儘をこねるな」


「……、で、ではお話が終わるまで待っ」


 話が終わるまで待っていると言いたかったようだが、鋭い破裂音に遮られた。


 横を向いたルィルシエ。無表情で立っているサイ。それだけならばなにも問題はない。しかし、唯一最大の問題は王女の頬に赤く残っている痕にある。


 サイの平手がルィルシエの頬を殴っていた。いきなり殴られたことにルィルシエはぽかんと呆ける。じんわりとした痛みが王女に教えてくれる。サイが殴った、と。


「サ、イ……?」


「……。私に、二度言わせるな」


 ほんのかすかな間だけサイは苦痛を噛んだような色を瞳に揺らしたような気がした。だが、すぐに女は冷たい無表情でルィルシエに脅しを吐いた。二度言わせるな。二度目を言わせたらどうなるか見てみたいと思うのはよほど怖いもの知らずか、阿呆か、被虐趣味の変態だけだ。


 あまりのことに驚いたのはルィルシエだけではない。いつもなんだかんだと言いつつルィルシエに甘いサイ。なのに、その女が少女に手をあげたことにココリエもケンゴクも驚く。セツキも目を見開いている。まさか、軽くとも暴力を振るうとは……。


「サイ?」


「とっとといけ。目障りだ」


 目障り、と言ったサイはさっさとそっぽを向いてルィルシエを視界から消す。


 ルィルシエは信じられない、という顔をしていたが、やがて大きな空色の瞳に大粒の涙が溢れて零れた。可愛らしい顔をくしゃりと歪めて王女は涙を零す。


 大きく声をあげて泣くことはなかったが、ぽろぽろと涙を流している。だが、サイは泣いている王女に見向きもしない。窓のそばで外を眺めている。外にあるのはウッペの者が泊るのと同格くらいの旅籠屋が数軒のみなのに、サイはなにかに興味を持ったようにじっと外を眺める。


 ルィルシエなど存在しないとばかり無視するサイ。ルィルシエはさらに顔を歪める。


「サイ、どうして」


「黙れ。私に指図するな」


 泣いているルィルシエに代わってどうしてと訊いたココリエにも女は冷たい声。先ほど、借りがどうこう言っていたのと同じ人物であるとはとても思えない。


 平素から冷たく振る舞っているのに根は温かでどうしても非情になり切れないサイ。なのに、これでは、今までが偽りで本当に本音は冷たい者のようだ。どうしていきなりどうしてこんな。困惑し、混乱する王族ふたり。臣下であるセツキとケンゴクも驚く。


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