大切で残酷な話


「サイ、口に気をつけなさい」


「……イミフ」


 驚きの中、口を利いたのはセツキだった。


 男はサイにぴりっと警告するが、サイはお得意の「イミフ」で反撃。いつもに比べると少し間が空いたような気がしたが、それでもココリエやルィルシエには不可能な速度での反撃を繰りだしたサイは窓の外を見たまま。


 セツキに背を見せたままでいる。ココリエだったら恐ろしくてできない。セツキに背を向けておくなんて怖い。お説教中にそんなこと……。お説教が倍どころか乗倍に跳ねあがって襲いかかる。セツキのお説教を聞く時は正座して顔を伏せておく。これは暗黙の了解なのである。


 ある意味、この世の規則。堂々と破って屑籠に突っ込んでいるサイはやはり普通の尺度ではかれない。サイの間違えまくった度胸と阿呆な蛮勇に「頑張ったで賞」を贈ってやろうか? とかどうでもいいこと考えて現実から逃避しているココリエは泣いている妹の頭を撫でてやる。


 ぐすぐす言って泣いているルィルシエは慰めの手をくれる兄に縋って声を殺し、泣きじゃくった。ココリエはサイの態度急変に驚いたと同時に悲しくてならない。


 いきなりどうしてこんな硬化的態度を取りはじめているのか意味が……。


「あなたには間、というのがないのですか」


「ない」


「では、つくりなさい。今すぐ」


「……無茶クソを言うな」


 どうしてサイが態度を硬化させたのか意味を考えていたココリエの脳がひとつ閃く。実にくだらない、ちょっとした疑念だったのだが、ココリエが思いついた直後、セツキが吐いた言葉が決定打となり、ココリエは衝撃を受けた。だが、回復したあとにはある感情が激しく沸いた。


「セツキ、サイに、なにを言った?」


 無茶吐くな、と言ったサイにセツキは頭を抱えている。この程度が無茶になってしまうことが信じられない、と。だが、セツキがそのことでサイを叱ることはならなかった。セツキの説教よりもココリエの冷えた質問が早かった。ココリエの全身に冷たい怒りが毒のように廻る。


 あまりのことにココリエはいつもだったら抱く「セツキ苦手」を忘れてしまった。


「セツキ、言え。サイになにを言った?」


 激しい怒りがココリエの口を衝いていく。


 激怒、憤怒、激憤。どう表現していいのかわからない。今まで、こんなすさまじい怒り、覚えたことがない。


 ココリエは負の感情とあまり縁なく育った。


 まわりにそうした毒を吐く人間がいなかった。サイが来てから、サイと接するようになってから彼女の周囲にあった悪意と殺意、憎悪といった人間の醜く、独特のを教えられた。時として、誰から、とは言わないが、身で覚えろ、などと無茶を言われて叩き込まれた。


 人間というのは汚い生き物だ。人間は残酷で無慈悲でこの上なく愚かであり、夥しい穢れを背負っている生物ものなんだ、と。自身もそうであると自覚せよ、と。


 無垢で在れる者などこの世界にはありえず、妄想世界にのみ存在できる。どんなに清くうつってもは知らないどこかで知らない穢れを負っている。


 その教えを受けた時、ココリエは思った。サイのことだ、と。清くて正しいのに、間違っていて穢れている。血まみれの邪道を進む娘。なのに、そこは正道なのだ。


「……。あなた様が気にかけることでは」


「それを決めるのは、余だ」


「はい。その通りでございます。ですが、ココリエ様、どうか、お願いです」


 セツキに怒りで対しているココリエ。セツキは冷静に返す。どうか、お願い。ふたつの音を並べて紡いだ男は先を予想し、苦蟲を喰らった、噛み潰した顔でいる。


「これ以上、サイに近づかず、干渉せず、関与せずにすごしていただきたい」


「ふざけるなっ」


「いたってまじめでございます」


「まじめにふざけ、戯言をぬかすか!?」


 ココリエの激怒にセツキはなお、静かに進言する。深く頭をさげ、敬いと共に願う。


 サイに、これ以上近づいてはならない。


 セツキは懸念を吐いていく。


「お気づきください。あなた様は汚染されかかっているのです。サイの毒気に中てられたあなた様は私が知っている以上に現在正常な行動を取れずにいるのだと」


「なにを根拠に……」


「……。では、お訊きします。どうして王子ともあろう者が毎日鼠を捕り、蛙を拾ってこられるのですか? あの鳥に餌づけまでしてを奪う正当性を説明していただきたい。を読んでしまうこと、返事を書くことにいったいどのような不利益が発生しましょうか?」


 傍で聞いている者にはなんのことかわからない。セツキがなにを言っているのか、重要な箇所をで隠している男は訊ねた先を見て息を吐いた。


 ココリエは真っ赤な顔で目を泳がせる。


 泳いでいる目は時折サイを見ている。


 彼女が気づいたかどうか、気にしている。ココリエのしていること。男として、人間としてやってはいけないことをしている負い目がココリエを黙らせた。


 セツキは痛々しい者を見る目でココリエを一瞥。サイをじろっと睨んでココリエに厳しく言い聞かせてきた。


「美しき花は毒の棘を持ちます」


「だったらお前も」


「私は、花ではありません」


 なんとか、苦しくとも言い返したココリエへセツキは無情に即、言い返す。自身は花ではない。では、なにか。それをココリエに突っ込ませる隙も与えなかった。


「私は獣。鷹でございます。ココリエ様、今でしたらまだ間にあう筈です。一刻も」


「……どうして、そんなことを? なぜ、余の交友関係をお前に強制されねば」


「……。交友、ですか? それはご冗談、ということでよろしいでしょうか?」


 セツキの返しにココリエは首を傾げる。


 なにが冗談なのか、どうしてサイとの関係が交友ではないかのようなことを言うのかココリエにはわからない。


 ココリエが助けを求めて部屋を見渡すもケンゴクは目を瞑って我関せず。サイはそっぽを向き黙っている。ルィルシエはずっとぐすぐす言って泣いている。


「わからないなら、それでよろしい」


「なに、が……?」


「今後、サイと極力関わりあいになりませんよう、お気をつけください」


「?」


「サイには私から言っておきました。今後、ココリエ様、ルィルシエ様、そしてファバル様、あとはおまけのついでで私たちに近づかないように、と。もし、うっかりでもこの禁を破ったならば首に別れを告げることになる、と先ほど話しておきました」


 あまりのことにココリエは口を開け、そのままなにも言えないで閉めた。阿呆のように呆けるしかなかった。だって、あまりにも残酷すぎる。一方的にすぎる。サイは、なにもしていない。なのに、一方的に危険視して遠ざける。仲間であり、友だ。なのに、ひとりのけ者にする。


 近づくな。禁忌だから破るな。違えた時は容赦しない。慈悲も言い訳も許さない。


 ……殺す。お前は害悪だ。


 ……殺す。我らと関わるならば命はない。


 つまり、要約してしまえばセツキの言っていることはこういうことだ。


 毒棘を持った殺人花だ、とサイをそう見なしたセツキはそれ以上、言わなかった。


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