気づいて、あなたは変わりました


「サイが倒れるなんて、な」


「……。あの、お兄様? わたくしも席を外した方がよろしいでしょうか? サイを怒らせてしまったのはわたくしです。それで具合が悪くなってしまったのだとしたら」


「ルィル、気にしすぎだ。サイが怒った理由はまた本人に訊いてみればいい。むしろ、その程度のことでサイと距離を取ってはまたサイはひとりぼっちになりかねない」


 サイをひとりにしたくない。サイに二度と孤独を味わう真似などさせたくない。サイが淋しそうにする、瞳を揺らして悲しそうに在ることがココリエはなぜか耐え難い。


 セツキに聞かれたら鼻で笑われてしまいそうだが、ココリエはサイのような少女が孤独に肩肘を張っているなんて可哀想だ、と思っている。幼少期から孤独で、過酷な虐待にさらされ、冷たくならざるをえなかったサイ。妹にだけ安心して心を開いていた憐れさと悲しさが苦しい。


 だから、サイを、重く悲しい傷を負っている女を孤独に追いやるなんてできない。


 どうしても、できなかった。


 どうしてなのか、わからない。憐れな者などこの世に腐るほどいる。恵まれているココリエからすれば世間には恵まれていない者の方が多い。憐れな者も多く在る。


 なのに、他の憐れである筈の者に抱かない憐れみをサイに抱いてしまうことをココリエこそ不思議に思っていた。


 どうしてサイだけ? どうしてサイ? ひとりでもきちんと立っていられる、立つことができる強い彼女をどうして特別に憐れむのか、不可解でならない。なぜなのかわからないのに、気づいたら気にかけて、気遣って、気を揉んでならない。サイのことばかりが頭を占めてくる。


 意味がわからない。


 さらについで、というとアレだが最近、ココリエはおかしな気分だった。でがけのこともそう。サイに突っ込まれなかったのは幸いだったのか知れない。あの時、ココリエが炉に放り込んでもらった文は呪いこめられたものなどではない。それどころか、ココリエ宛ですらない。


 焼却処分した文はすべてサイに宛てられたものであり、隣の国にいる王が彼女に愛を謳った恋文だったりする。


 一番最初にきた時はサイに言って没収した。しかし、以降は彼女へ宛てられた文をすべて自分宛になるよう、鳥に餌づけして細工した。狩りをするのがへたくそなのか、そいつはココリエのくれる鼠や蛙の死骸を大喜びでつつき、文がくくられた足を簡単に差しだすようになった。


 ちょろすぎるだろう、と突っ込んでやりたかったがお陰で苦労なく文を横取りできるので文句はない。きっと、ユイトキは不思議に思っている。サイが一度も返事をくれないことを。面倒臭いから、と言いつつも一言くらいは書いて寄越しそうなのに、とか。


 困惑しつつ毎日恋文を書くユイトキを想像してココリエはつい笑ってしまうのである。文が届けられる度、不毛ここに極まる、とか思ってひとり笑いする。


 思い返してみると意地が悪い、と思えども衝動は止められない。恋文こんなものをもらってもサイは困るだけだ、とか自分に言い訳して毎日、炉に放り込んでいる。


 いけない、と思ってもどうしようもない。


「……お兄様、変わられましたね」


「ん?」


「その変化が悪しきものだ、というわけではないのです。ですが、前まではいつでもルィルのことを優先してくださっていたのに、今のお兄様はサイのことばっかりです」


 ちょっとだけいじけたように、それでも嬉しそうに言葉を紡ぐルィルシエにココリエはきょとんとする。言葉が飲み込めず、消化不良を起こしているのだ。


 ルィルシエに言われたことが理解できない。ココリエはぽかんとして妹を見つめる。ルィルシエはそんな兄を痛々しい者へ向ける目で見つめる。兄の無理解を悲しく、痛ましく思っているルィルシエは兄の理解をえる為に続ける。このまま理解がないなどあまりに無情。可哀想だ。


「お兄様の一番はいつもルィルでした」


「当然だろう? だって……?」


「はい。過去のお話です。今、お兄様の一番はルィルではありません。今、お兄様の中で一番大事なのは……」


 ルィルシエの唇が悲しそうに、なのに、嬉しそうに音を紡ぐ。兄の中に芽生えた感情を祝福しているルィルシエはだが、核心を言うことができなかった。


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