エンジの関で


「これは、なんだ。いったい、どういうことだ!?」


 ウッペ王都フォロより西にあり、西端となった集落テンエンからフォロに寄った場所に位置する関エンジ。西や南からの侵攻に対する為、ウッペに欠かせない補給拠点はいつも静かだったのだが、この日ばかりはにぎやかだった。金属が打ちあわされ、赤い火花が一帯で散り咲く。


 あきらかな戦闘の音楽が場に満ちている。


 騒々しくも命が煌めく音の数々。そこにひとつだけ響く疑問の叫び。心の底からわけがわからない、と叫んでいる声は男のもの。いったいどういうことなのか、と。


「ユイトキ様、どうすれば。アレはウッペの」


「どうして、ウッペの精鋭軍がここに詰めている?」


「もしや、策が読まれたのでしょうか?」


「そんな筈はない。ウッペの軍は集落を守るので手一杯となっている筈だ。どこに襲撃が来るかわからないのだから当然、各集落に兵たちを詰めている。テンエンは?」


「先、偵察の者が戻りました。テンエンにも約五十名が詰めていたようです。やはり待ち伏せ」


「そ、んな、バカな……。どうやって、我らの狙いに気づくことができる? ありえぬ……っ」


 ひたすら否定を紡ぐ男、ユイトキが強くありえないと声を吐く。だが、どんなに現実を拒絶しても変わらない。それもわかって、であっても受け入れ難くて否定する。


「難儀だねえ。臨機応変ってのを知らねえのか」


 否定するユイトキの背後で声。低い獣のような声はユイトキの困惑に難儀だと感想をつけた。


 驚いて腰の武器を抜きながら振り向いたユイトキに背後にいた誰かさんは笑う。とても軽くそれでいて威嚇し、怒りをあらわにして笑っている。内に激しさを秘めて。


 ユイトキは目の前にいる者の姿にきょとんとしていたが、やがて体が、声が震えていった。


「なっ、お、前は……」


「応よ。武士を名乗ってんなら当然、俺のことぁ知っている、よなぁ、ユイトキさんよぉ?」


「ウッペの、虎……っ」


 相手を認識してユイトキは改めて震えた。ひたすらに首を振る。ありえない、とばかりに。


 ユイトキにはわからない。どうしてここにウッペの虎がいるのか。ウッペ国で、どころか戦国全土に名が知れ渡っている武士。虎の如しとの伝聞は正しいとわかる。


 あまりにも格が違いすぎる。一般の将兵ではとても及ばないであろう覇気。溢れでる気はまさに虎。肉食の獣の中でも王者に君臨すると云われる気迫は普通ではない。


「な、ぜ……なぜ、お前がここに」


「……。やれやれ、なんとかは盲目だとは云うがここほどとは呆れちまうな、おい。恥ずかしいこったぜ、こんなのが同じ武士を名乗ろうってんだからよー。気づけー」


「?」


「おめえが惚れたのはな、うちのもんよ」


 ユイトキはなにを言われたのかわからない。いきなりすぎて脳の主電源が落とされたようだ。


 ユイトキが絶賛混乱中だというのを考慮してウッペの虎は、ケンゴクは礼儀を通して待った。


 相手の準備ができていないのに、突然理由も告げずに殺しにかかるのは武士の恥。そう思って待ったがいつまで経ってもユイトキは首を傾げている。どうも本気で不可解らしい。言動のすべてが。なぜもなにもかもが彼には理解できない。だったらとケンゴクはもっと簡単にした。


「サイに惚れちまったのは仕方ねえ。あんないい女はまたといねえからな。わかってやるぜ」


「サ、サイ……? サイがなん、どうしてお前がサイのことを知っているのだ。どうして?」


「……。つまりな、サイはうちのもんってこった」


「……は?」


 混乱しているユイトキには追加攻撃だったが、ケンゴクは構わず続けて隠されていた種を明かした。なぜ、今この状況がつくられたか、たったひとつの答を教えた。


 この状況をつくったのはサイであり、ユイトキ。センジュの危機をつくってウッペに備えを与えたのはサイでありユイトキ。だから、早く気づくようにと促した。


 ユイトキにケンゴクが親切心で促した理由。彼の恋があまりにも不毛だったが故に憐れみで。


 サイといういい女に惚れてしまったのは不可抗力だったがそこから先を抗うのは本人の強い意志だ。それをサイが持つ美の魔力のせいにするは卑劣であり、卑怯。


「サイ、がウッペの……?」


「ああ」


「嘘だ。サイは、海外の娘だぞ。ウッペは」


「おいおい、ウッペがいつまでも海外の力に頼らねえと思うのは知ったかぶりで思い違いだろ」


 ケンゴクの正しい突っ込みにユイトキは反論できない以上に衝撃を受けていた。サイがウッペの者。そんな様子は欠片もなかった。彼は幼馴染の紹介でサイを知り、彼女がキツルキに親戚がいて訪ねてきただけだと思っていた。だから、より一層ショックは激しくて強く、著しい。


 あまりのことに、衝撃の事実を聞かされてユイトキは硬直してしまう。彼のまわりでは事態がわからない補佐官たちがどうしたらいいのか、と迷っている。


「ちなみに、キツルキに親族がいたのは俺の方だ。長老の計らいで無事に逃げおおせて、今はテンエンでガキ共の世話焼いてやっているみたいだが……さぞかし悔しかっただろうよ、目の前で故郷を壊されて知った顔を殺されて自分だけ逃げ延びて。なんてことしてくれやがった?」


 ケンゴクの平だった声が震える。怒りによる震え。


 怒気の混じった声にはすさまじい殺気が含まれる。


 悔しかっただろう、と弟のことを語るケンゴクの前でユイトキはまだ衝撃から抜けられない。


 サイがウッペの者だったこと、裏切られたこと、騙されてしまったこと、喋ってしまったことそして、ようやくユイトキの思考回路に光が差す。サイがウッペの者であり、ユイトキが喋ったことを当然報告したとしたら、現状にも説明がつく。ご丁寧さに乗って迎撃を整えるだけ。


 そう、ウッペはユイトキがわざわざバラしてくれたことに嬉しく乗って迎撃を整えただけだ。


 非があるとすればユイトキにある。どこの者とも知れない海外娘に不用心で喋った。


 サイはユイトキに喋らせようとしたわけではない。ユイトキが勝手に自慢で喋った。だからユイトキはサイを責めることすらできない。「お前のせいだ」と、言えない。


「この世へのお別れは、済んだかい?」


 聞かされて理解してしまったことに、衝撃の事実にユイトキは震えていたが、ケンゴクが彼を再び現実に戻した。


 男の低い声は恐ろしいことを言っている。これから殺す者への確認。この世に別れを告げろ、との言。ユイトキは真っ青な顔でいるが、キッとケンゴクを睨みつけた。


 そして、そのあとの行動は電光石火。ユイトキは腰にさげていたものを地面に叩きつけた。ものは地面に衝突すると同時に破裂し、もうもうと煙をあげはじめる。


 煙玉、と判断するのに時間はかからなかった。ケンゴクは特注でつくってもらった名刀に火の属性で赤い陽炎を纏わせて振った。ジュっ、と音。肉が焼けるにおいがしたのと鋭い悲鳴が聞こえてきたのは同時。だったのだが、どうも入り具合が浅かった様子。声の主は去っていく。


 取り逃がしたことにケンゴクはやれやれ、まだまだ研磨が足りないな、と思ったが、補給拠点である砦が守られたので仕方がないと思うことにしたのかため息を吐いた。


「自覚なく男を籠絡しちまう、か。罪な女だねえ」


 ケンゴクの呟きに応える者はいない。


 彼が罪深いな、と言った女が聞いていたら余裕で蹴ってきそうだが彼女は今遠くセンジュの地にいる。これでなにかしらの突っ込みが来たら怖い。気軽に悪口も言えなくなってしまうし、気楽に喧嘩もしにくい。


 ただ、本当に心から憐れに思った。


 ユイトキを、そしてなによりもサイをケンゴクは憐れに思ってため息を吐いた。可哀想なことだ。愛する者を間違えてしまったこともそうだが、愛されることを知らない無垢さで愛されてしまうことは悲しく痛ましい。純粋な少女は愛されたことがないのに、愛を迫られた憐れさ。


 知らないものを求められることは惨い痛みを伴う。


 サイの中にある苦しみ。ユイトキに応えられないことに苦悩している、ということはココリエからエンジ関の守護を任されたケンゴクに伝えられた。ココリエからサイを苦しめたことを罰してやってくれ、と言われて念を押されたケンゴクはココリエの心に無念を見つけて頷いた。


「……まさか、な」


 ココリエの無念。自分がサイの、ある意味仇を取ってやれないことを無念に感じている心。


 それがどういう心から起こるのかを一瞬だけ考え、ケンゴクは考えたことをアホ臭ぇと思って心の屑籠に捨てた。まさにまさかなので、考えるだけアホらしい。


 ケンゴクは結論をつけてエンジ関に残っているセンジュの者を掃討しにかかったのだった。


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