唐突なる愛の謳


「お前、私をバカにしているのだな?」


「違う。一目惚れも恋だ、サイ。……愛している」


 無表情でいたサイの唇がふと、痙攣するような動きを見せる。ユイトキの言葉。サイに向けた愛の言葉。歯が浮きそうな台詞を聞き、さしもの無表情も硬直していられなくなったご様子。唇をひきつらせているサイにだが相手はまったく気づかず油断していたサイの手を両手で取る。


 ひとの温度が触れてサイは途端、背に悪寒が走った。怪談話を聞いてありもしない冷気と霊の気配を感じたかのように、ゾゾッと身を震わせたサイはユイトキの手を振り払おうとするが、男の動きが早かった。ユイトキの両腕がサイの体を優しく抱擁。しっかりぎゅっと包み込んだ。


 奪ってきたぬくもりが触れるどころか、包んできたことにサイは鳥肌が立つほどの怖気を感じた。あまりの嫌悪感にうっかり気を抜くと失神してしまいそうになる。


 告白してきた男性に一切の迷いなく嫌悪を抱く上、意識手放してよろし? とか考えちゃう辺り、サイの女子力は底辺付近をうろついている。……乙女として、残念賞。


「今すぐ離れろ。さもなくば」


「某の女になってくれるか?」


「頭が腐っているのか? 放せ、気持ち悪い」


「では、もう少しだけこのままでいてくれ」


「イミフ。離れろ、変態。花畑に送るぞ」


 相変わらずサイの毒舌は極まっているが、ユイトキはまったく気に留めず、サイをより強く抱きしめる。サイの無表情がとうとう決壊。すさまじい苦痛を表す。


 サイの我慢にも限界がある。もう無理、と思ってさっさと殴ってしまおう、と結論したサイがこっそり拳を固めると不意に、サイの肩になにか水のようなものが落ちた。


 温かい、水。サイの洋服に滲み込んだなにか。サイは疑問を瞳に視線をあげて気づいた。ユイトキの頬に涙が伝っていた。サイの拒絶に対するもの、ではなく男は他のなにかに激しく心を揺らされて涙を零している。低い嗚咽の音。悲しみに流されて涙する男はサイに縋って泣く。


 なぜ泣いているのか。どうして悲しんでいるのか。


 わからない。サイにはわからない。


 出会ったばかりの女に愛を謳う精神も意味不明だが、拒絶してきたばかりの女に弱さを見せるなどありえない。


 どんな軟弱さだ、男のクセにと言いかけたサイの口はしかし気づけば違うことを言っていた。


「なぜか」


「すまん、サイ。すまん……某は、怖い、怖いのだ」


「戦で死にたくないのか」


「違う。農具ではなく、武器を手にした時点で腹をくくっている。だが、某はキツルキにひどいことをした。ともがらは讃えて喜んでくれたが、某は顔で笑いながら恐怖した」


 お祝いしてくれる仲間たちに顔で笑いつつユイトキは恐怖に呑まれた、という。……恐怖?


 サイが疑問に思ったと同時にユイトキは答えた。


「ひとを殺める。殺人を苦痛に感じる心があることに安堵しても、もし、いつかそれを感じられなくなったら?」


「うむ。よく聞く話だ。そうした者は生来の姿を失くし、快楽・常習的にひとを殺す鬼と化す」


 特に凄惨な戦場ではそういうのが生まれやすい。ウッペとセンジュの戦が凄惨な様を示すかはわからない。戦場はある瞬間、突然地獄の様相を呈することもある。世界にあるあらゆる兵器が戦場を変貌させる。それらが猛威を振るった瞬間、ひとはひとの原形を失くして壊れる。


 殺人兵器のおもては兵ひとりであっても百人を殺害できるだけのをえられることがまずあげられる。特に銃などは戦場の重要な兵器として数えられる。


 引き金を絞るだけでいとも簡単にひとを殺せる。ナイフなどの刀剣類と違って直接肉に触れないので、心にかかるという感覚もわずかに減じられる。


 だからこそ、裏がある。おもてがあるものには必ず裏が存在する。表裏は一体化してはじめてこの世に存在できる。兵器が持っている裏の要素。罪の意識の減少。


 単純な一動作でひとを殺せるようになることで罪の意識は薄れる。そのうちに人間を同じ命と認められなくなり、爽快感や快楽の為に兵器で遊ぶ殺人鬼が生まれる。


 凄惨な戦の場で殺人鬼は生まれやすい。呆気なく死ぬ弱者を追いまわして殺すクズが大量生産される、もしくは発生するそこはひとつの身近な地獄。兵器に取り憑かれて、という以外にもあまりの心的負荷に耐えられず、殺している人間を家畜と誤認識する場合ケースもある。


「キツルキの者からすれば某は鬼も同然だろうが、某は人間でいたい。鬼になどなりたくない」


「……自分らしからぬ顔を持つことを恐れる、か」


「軟弱だと自覚している。だが、どうしても怖いのだ。怖くて怖くて堪らん。だから、サイにそばでいてほしい」


「イミフ」


「隣に愛する者がいれば某は正気でいられる」


「だから、なぜ、私か」


「好きになってしまったのだ。仕方がない。それとも、故郷くにに恋人がいるのか?」


 サイはこの場から逃げたい。早くこの疎ましいぬくもりから離れたい。だから、口からでまかせでそうだ、と言ってやりたくなった。だが、結果はできなかった。


 言えなかった。嘘をつくことをサイの正義が許さなかった以上になんとなく捨て置けなくなってしまった。ユイトキに愛情は一切感じていないが、想われていやな気はしないし、はじめての経験でまだサイはどうしたらいいのかわからず混乱している。隻眼に浮かぶ苦しみと痛み。


 サイはウッペに雇われている身。それが宣戦布告してきた国の武将と仲良しこよしするわけにはいかないし、縋らせることもあってはならない。騙しているようでサイは心地悪い気持ちでいっぱいだった。


 ユイトキはサイがなにも言わないので恋人はいない、という判断にいたったのか安堵の表情。


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