センジュへ


「お姉さん、いっちゃうの?」


「うむ。野暮用でな」


「また来てくれる?」


「機会があれば」


 カゼツツ集落の朝。サイはイズキたちの家、居間でこどもたちに別れを告げて立ちあがった。


 マイは追いかけたそうにしていたがイズキが止めた。お姉さんは少し用でここに寄っただけだからとかなんとかかんとか。止めてくれてサイはイズキに感謝、である。


 マイやツユを見ているとどうしても昔から出入りのあった児童保護施設を思いだしてしまう。


 そこにいるコたちはサイがいくと喜んで出迎えてくれていた。しばらくいかないでいると拗ねてへそを曲げる。だが、構ってやるうちにまた心を開きはじめる。


 こどもたちのほとんどが虐待の被害者かもしくは人身売買に使われそうだったところをサイが間一髪で救ったコたちばかりだ。その為ひとに懐かず、心を閉ざしている。


 サイは似たような境遇にあったのでそこにいるコたちの気持ちは痛いほどわかった。我が身で体験済みだったので痛みも淋しさも苦しみもすべてに理解を示せた。


 愛されたことのない者はひとを愛することが難しい。施設の職員にとっては解し難いことでもサイはよき理解者で在れた。サイは誰も愛せない。安心して任せられない。


 心を許せば踏み込まれて踏み荒らされる。そんな環境下で育った者同士だったから。誰も愛せない。愛したくてもできない。過去にあったことがサイの愛情を蓄える容器を粉々にしている。サイの消えない傷は今もまだ血を噴いている。だから、傷口を彷彿とさせる者は寄せ難い。


「じゃあ、いってくるよ」


「いってらっしゃーい」


「また、ね……お姉さん」


 マイが零した涙色の別れにサイはなにも言わない。反応しては余計に淋しく思わせる。知っていたからこそなにも返さない。毅然と突き放してやることも思いやり。


 そんなふうにしてサイはカゼツツを出発していった。


 案内役のツバキはどこか重い足取りで進んでいく。ウッペに弓を引いている身でセンジュに誰とも知れない外国人を案内する。センジュとウッペの緊張状態にそんなことをするのは賢くない。賢くはないが、村の危機を救ってくれた恩義に応える気持ちもあり、強い気持ちなのだ。


 利用しているサイはあまりよろしい気分ではないが使える者は利用するし、使っていて安全であるうちは使い尽くすと非情を念頭に置いている。そうでなければ、割り切らなければ闇の腐れ汚い世界では生きていけない。甘さも必要だが、甘ったれていてはマッハの超速で死ぬ。


 だから、義理の厚さにつけ入って利用することくらいは平常心で行う。汚くなったものだ、とサイは自嘲したが、この際汚かろうと綺麗だろうとどうでもいい。そもそも悪魔、などと云われて恐れられてきた者が自らの清濁を気にするというのはおかしなことだ。併せて飲むべし。


「この大川、イハクの水を渡った先がセンジュだよ」


「川が国の境になっているのか」


「そうさ。ウッペとセンジュは仲がいいわけでもなければ悪いわけでもないから自然のもので阻むのはこれだけ。あとは各々が思った通りに砦を組むなりしてきたのさ」


「……ふむ」


 それはなおさらイミフ。とサイは疑問符。たったそれだけが国を隔てているのにどうしてよき隣人になろうとしなかったのか、いまさらになって牙を剝くのか……。


 サイに学がない、のと国を動かすに必要な想像力が欠落しているのが原因でよくわからない。


 どうして、センジュはウッペに牙を剝いてきたのか。この川を渡った先に答があるのかはわからないが、それでも渦中に飛び込んでこその光沢放つ新鮮な情報だ。


 クイン・セ・テーではないが、こういう時は、難しく考える前に飛び込んでみるに限る。考えたってわからないのならば行動してみるのもひとつの手立て、である。


「滑らないようにね」


「お前がな」


 サイの履いている靴、長靴ブーツは特注の品。雨天であろうと雪が降っても水分をまったく通さない上に不要な湿気や温度は排出してくれる優れもので夏涼しく冬も快適。水位が靴の上にかからなければ増水した川でもまったく問題なく進める。砂漠も豪雪地帯も湿地も平気。


 なので、ツバキが靴、戦国では一般的だとココリエが言っていた布の靴を脱いでいる隣で靴履いたままイハクの水にじゃぶじゃぶ入っていく。イハクの水は水位はたいしたことないが川幅が結構あるのでたしかに国境代わりにするのに適しているのかもしれない。と、ふと思った。


「はー、変わった靴だなぁと思ったけど」


「このくらいの装備は標準である」


「ふーん、海の外はすごいんだね」


 素直に感心しているツバキはサイの隣を慎重に転ばないよう気をつけて歩く。サイはざばざば水を蹴って進む。イハクの水はあまり水流も激しくないのでこどもが遊ぶのにもよさそうだなと思ったサイだが、次にはまま重大なことを考えておく。いざの時に備える為の一考をする。


 その考えひとつを終える間に渡り終わった。ツバキは懐からだした布で足を拭いて持っていた靴を履く。そして、慣れた足取りで砂利道を越え、土が踏み固められた道に入った。先へ進むツバキを追いつつ、サイはさて、と実に簡単気楽に覚悟を整えた。敵を探りにゆく、覚悟を。


 お気軽なサイはまるで散策か散歩に来たような気楽さでいる。実際の彼女は緊張しているのかもしれないが生憎と表情や仕草に緊張感の欠片も見えないので知れない。


「見えた。アレがオトドリ。あたしの故郷さ」


 緊張感零のサイが超能天気にセンジュへ入国し、ツバキの案内で均された道を進むこと五十二秒でそれが見えてきた。ふたりの進む先にある集落がひとつ。


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