悪魔の獣狩り
「む?」
風向きの変化ひとつでひとは死ぬ。そんなことを考えたサイの耳がふと捉えた音。ひとの悲鳴と大きな銃声と獣声。ひとの悲鳴など別に聞き咎めるほどではないが銃と獣の声は穏やかじゃない。銃を使わなければならないほどの猛獣がでた、ということでそれがひとを襲っている。
それだけ理解すればサイの行動は早い。すぐさま悲鳴諸々が聞こえてきた方向へ、カゼツツ集落へと向かった。小さな林をはさんだだけの集落。風は西向き。ならば、冬眠を終えた肉食の動物がキツルキの血臭に誘われてカゼツツを襲撃してもなんら不思議はない。むしろ自然だ。
「四百、いや、五百キロ以上か」
移動しながらサイは足音を精査して耳に聞こえてくる重低音から対するものの重量を計算し、自身の装備を確認。
サイは戦国にぽっかり抜けた時着ていた仕事着の上に布槍術の帯状布を巻きつけてパンツのベルトに新しく借りた小刀をはさんでいる極軽装。敵国のそばにいくのに大物の得物を持っていくのは愚かしい。それに時間もなかったので武器庫にあった小刀を勝手に拝借してきたのだ。
銘もない名無しの得物はまるでサイを表すようであったので道中で眺めて気に入っていた。
勝手にお気に入りにして着服する気満々のサイは武装を確認して充分以上と判断。林を突っ切って丘、どころか崖になっている場所に飛びだして数秒間の浮遊と降下。着地したサイの眼前で今まさに捕食されそうになっている男とその家族と思しき者たちが見え、サイは加速した。
「グォウっ!? ……グルルルっ」
「ちっ、浅い」
男はぱっと見、妻子を逃がす時間稼ぎの為、囮になろうとしている臭いが、そんなもの背に聞いてはトラウマになる。夫が必死の覚悟で稼いだ時間を無駄にすまいと走る女は両手にあまり似ていない姉妹を連れている。幼い方のコはまだ本当に幼く、四つか五つくらいに見えた。
そんな歳で一生のトラウマを抱えるなどと憐れだ。
しかしそれよりなによりもサイの命はサイよりも弱い者の為に在る。サイの脳裏に死んだ妹の姿が去来したのとサイが謎の巨獣に一撃を入れたのはほぼ同時。
だが、ほんの少し踏み込みを減らしたが為に入りが浅かったせいで獣は不意を衝かれた程度で踏みとどまり、唸り声と共にサイをきつく睨んできた。赤瞳が爛々と輝く。
「ウゥウウウウ、グルルル……っ!」
「なんだこれ」
……。はい、突っ込み役は生憎不在。よってそのまま進行していくサイのおバカは大行進だ。
低く唸っている生き物。見たことがないわけではなかったが、それはサイの知っているそれより、かなり大きかったのでつい「なんだこれ」と発言してしまった。
と、いうか相手の巨体を確認する前に殴るという辺りがもう。アレが極まっているとしか思えない。でも、これもまた突っ込み役がいないのでスルーで進んでいく。
「誰だい!?」
「誰でもよかろう」
ばっさり、と疑問を切り捨てたサイは声のした方を見てすぐ視線を獣に移した。声をあげたのは夫に庇われて子らを連れて逃げていた女だった。少々気が強そうだが、目には大粒の涙がある。背に夫の死を捨ててこどもたちを生かそうとしていた女は突然現れたサイに当然の疑問。
サイは冷たく切って無視。普通ならば、通りすがりの正義気取りならば生餌になりかかっている男を捨てて妻子を連れて逃げるが、サイは普通じゃない。足先で間合いをはかっている。女の全身に満ちる殺気。研ぎ澄まされ、圧縮された気はまるで百獣の王が如き威厳すら湛える。
そのことに相手の獣は一歩だけ後退った。同時にサイは飛びだした。獣が一歩退いて開いた間を一瞬以下で詰めて巨獣を殺傷圏に入れ、そのまま獣の恐怖を現実にした。
「グオォオオオオオオォっ!?」
獣の腕、右の前足が肩から千切れる。黒い剛毛が散っていき、血が地面に残酷な斑点を描く。
サイの左の拳が獣の右前足に着弾し、着弾点からもぎ取ってしまったのだ。驚くやら痛いやらで獣は吠えて十数歩後退りする。不気味な赤い瞳には激痛と恐怖がある。
獣が男の上から完全に退いたので、サイは男の衿を掴んで立たせ、後ろの方に突き飛ばした。
「あ、あん、アンタぁ、いったい……」
「うむ。通りすがりの外国人だ。これはなにか」
「……。
「ふむ。知らぬ。コンクリ
ほとんど本当だ。が、ひとつ、秘密がある。通りすがった外国人ではなく、彼女はウッペに雇われている戦士だ。だが、情報収集の段階でそれを言うとややこしいので黙秘することにした。サイは男の言った
まあ、現実のサイはそんな無駄なことしないが。腐れつまらない無駄をしている間に手負いの獣からいいのをもらって喰われるなどまっぴらゴメンだったからだ。
「ぐふー、ぐふー、ふー、ふー……」
「うむ。では、サクッと害獣を駆除しよう」
「ガァアアアアアアアアァっ!」
いまいち
獣の赤目がひっくり返る。瞬動で懐に踏み込んだサイが緻密であってクソ適当に計算した加減で鉄拳を繰りだす。
女戦士の鉄拳は本当に比喩を抜いて鉄すら砕く。
どんな高密度の筋肉が凝縮してあっても所詮は収縮することで動物の動きをつくる筋の塊。大粒の金剛石すら粉々に砕くサイの拳が持つ威力の前に敗退は必至。
現実にありえない、あってはならないほどの超衝撃を受けた熊型害獣の頭部がまるで豆腐のようにぐっちゃり潰れて砕ける。かなり分厚い頭蓋骨の破片と薄桃色の脳、濃桃色の脳漿と血肉が死骸の背後に飛んで散らばる。大粒の血滴が雨音を立ててカゼツツの集落に降り注いだ。
赤黒い雨を見送ってサイは弾かれたように駆けだす。
強い獣だから春の時期にも群れをなさないなどとクソ甘ったらしい妄想である、がサイの論。
春は出産と子育ての時期に適している。弩級の被虐と嗜虐で鍛える変態生物でなければたいがいは番で行動し、子を見守りつつ、出産などで消費した体力を回復するのに良質のたんぱく質を求める。その点、人間は格好の獲物候補である。適度に栄養をとって適度に肉と脂がある。
サイは人間を喰ったことなどないし、これからもそんな気持ち悪い予定はないからわからないが、弾力に富んだ肉質といい、脂の乗りはいい具合にご馳走なのだろう。
「グギャウッ!?」
「む、最後か」
かなりどーでもいいことを考えつつ、人間って美味しいのか? とか無駄思考をしつつサイはカゼツツの集落にいた、おりてきていた
最後の一頭は体長からしてこども。だが、大人と同じだけ肉を喰うことが好きらしく、とりあえず死んでいた鶏を貪っていたところをサイの踵落としが仕留めた。
潰れた悲鳴を最後に集落から獣の声は消え、静寂の色が落ち着いた。かなり寂れた感じの集落にそれでも家は結構建っている。それなりにひとが生活している様子。
「……。これは遅くなりそうだ」
獣の声が去ってからしばらく。家や物陰から人々が恐々顔をだす。サイの後ろには先、助けた一家が駆けてくる。先を予想し、サイは仕方なさそうに諸々起こるアレを無視ろうと決めた。
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