生贄もとい救世主
続けはしなかったのだが、警戒は厳状態だ。サイが嘘を言っていたのではないか、と疑っている。ココリエはできれば信じてやりたい。が、セツキの持ってきた情報からして放置は望ましくないというのもわかっている。
わかっているからこそ厄介だ。
「なぁにやっとるんだ、お前たち?」
どうしたものか、と思っているとちょうどいいところに生贄……じゃなくて、そう、救世主が現れました。
男ふたりが視線をあげるとそこにいたのは美形のおっさん。ここ、ウッペ国の王ファバルが不思議そうな顔で立っていた。サイはひとり我関せずでいる。
「聖上、お仕事はいかがいたしました?」
「ん? おかしいな、難聴か? 聞こえないぞ」
ちょっとどうかと思う方法でボケるファバルにセツキの血管が危うい音を立てる。明確にイラっときているセツキにココリエは乾いた笑い。だが、父親が来たことに感謝した。このままではセツキがサイを牢にぶち込むかもしれない。そうなったら、ルィルシエが悲しんでしまう。
メトレットとの激突から三日経った。
ルィルシエはすっかりサイに懐いている。
本当に新しく姉ができたかのように喜んでいる。それなのに、今になって怪しいからと引き離すのは憚られる。そんなことをしたら本気で泣かれるかもしれない。
「で、なにを揉めとるんだ?」
「実は……」
セツキがファバルにこれこれこうこうと説明している間もサイは瞑目している。先までの刃の瞳は閉ざされ、静かに結果を待っている。城で一番偉い王の言葉は絶対。
絶対なのでサイも不用意に絡まない。それかもしくは彼女は、サイはどうでもいいと思っているのかもしれない。
無駄に主張しないのも、なにかを諦めているからなのかもしれない。諦念している故無関心。
サイの諦めと無関心さにココリエはなぜか心臓が痛くなった。どうしてなのかは知れない。
だが、なぜか悲しくなった。そんな心を持っているサイが、そんな心境に達しているのがどういうわけか可哀想。
「ふむ。そりゃあまた不可思議なことがあるものだな」
ココリエがサイの悲しさを悲しんでいるとファバルがセツキから聞き終わった話に感想をつけて寄越した。
不可思議なことがあるものだ、と。実際はそんな短い言葉で終わらせられないくらいおかしなことだったが王は簡単に表現して感想を終わらせた。奇妙奇天烈な現象によってここに在る女にファバルは視線を向ける。女はなにも言わない。黙って話しあいが終わるのを待っている。
「サイ」
「なにか」
話しあい、偉いひとたちの会話に不参加でいたサイにファバルが突然声をかけたがサイは特に驚くでもなく返事をした。ルィルシエに借りた着物を着ている女戦士は戦士とは思えないほど輝いて見える。本当に類稀な美しさを持っている女は凶器の瞳を開いて王に視線をあわせた。
サイの態度にセツキは苦々しい顔。ファバルは笑顔。
「なにか言いたいことはないのか? いやに冷静だが、そなたは自分自身に起こったことをどう見ている?」
「訊いてどうするのか」
「いや、別にどうもせんがな。しかし、我が身に起こったことなのにまったく関わらせてもらえずに話が勝手に明日や明後日の方角へと進むのは理不尽であろう?」
ファバルから渡された気遣いにサイはひとつまばたきして簡単に、実に簡潔に阿呆を言った。
「ここは私にとって未知の世界だ」
「ほうほう……?」
「頭腐っているとしか思えぬ超常戦闘技法に戦国、というのも頭がおかしい妄想であると思えるし、なにより……」
なにより。そこでサイの言葉が止まる。まるで言いよどむように言葉を止めた女は続きを言うか言わまいか迷っているように見えたがやがてファバルの視線に負けて口を開いた。声には暗さがある。暗黒の世界に絶望しているかのような、過去を遠く嘆くかのような声は痛々しい。
「ひとが、温度がこんなに温かいなどと夢のようだ」
「……そなたのまわりは冷えていた、と?」
「凍てつく中で生きてきた。温度は敵であり、痛みでしかない。命あるものは我が敵であった」
サイの悲しい告白にココリエは辛そうな表情になる。つい、想像してしまった。凍てつく温度の中で生きているサイ、というひとの生き様を。想像して辛くなった。
まったく関係ないことなのに。どうしてこんなにも胸が痛いのかココリエはわからなかった。
そこに、知らない感情がある気がした。
知らない感情であり、知ってはいけないような気がするココリエはそれ以上を想像しないよう努めた。知ってはいけない感情とはなにか、若干興味があったが堪えた。
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