侵攻と通行止め
ウッペ国。都へと通じる街道をものものしい一団が黙々と進んでいく。具足が音を立てて集団の存在を闇から引きだすが、それ以外に音はない。集団を構成する者たちはみな青い顔をしている。これから行うことに対する怯えと恐ろしさに戦慄しているのだ。だが、やるしかない。
「おー、愛しのルィルシエ。もうすぐそこに」
「黙りなさい、テセレべ。愚弟よ。あの可憐な姫はお前のような豚にはもったいない真珠です」
「ぷひっ。テスルハ兄者が細いだけでは?」
集団の中で声。下劣な性根が窺える下品な声の男がウッペ王都に向かって手を伸ばす。短くて太い肥えすぎた芋虫のような指が月明かりと松明の明かりに照らされる。
男の声はウッペ国の王女を呼んでいる。が、その男の隣にいる男性が痛烈な言葉を寄越した。
愚弟と呼び、さらには豚呼ばわりしたテスルハは嘲りと共に隣を嗤う。これに対してテセレべは苦し紛れかもしくは本気で自覚がないのか、兄が細いだけと嗤い返した。
「ぷひ、それにしても楽な戦になりそうだ」
「今頃ウッペ城はカザオニに引っ搔きまわされて大わらわでしょうからねえ。そこには同意だ」
「テシベル兄者の出番はないな。そうすれば、ルィルシエの目にうつるのはわしの勇姿だけ」
「お前は早々に丸焼きにでも遭えばいい。ルィルシエはきっと私の優雅な様に惚れるでしょう」
ふたりの男は緊張している集団の中でゆるりと自身の妄想に耽っている。悠長というか呑気なものだ。戦を仕掛ける前とは思えない緊張感の欠如っぷり。しかし、誰も指摘しない。そんなことをしては殺される。
ふたりはウッペの隣国メトレットの大臣たちであり、武士でもある。妄想はかなり痛々しくてひどい上にふたり共いい歳だ。なのに、三十路越えの兄弟はウッペの王女、まだ幼い十二の娘に妄想を炸裂させている。
ルィルシエが惚れるのは自分だ、と信じている男たちは完全にロがつく危ない性癖の持ち主。
兄弟はそれぞれに妄想を重ねて連ねているが、次には示しあわせたように揃って背後を見た。
そこにあるのは豪華絢爛を形にしたような車。
籠どころかきちんと車輪のついた箱型の一台が巨大な黒い鶏のようなもの二頭に引かれてゆっくりと走っている。金と宝石で装飾されている車は悪趣味な成金感がある。
それにはメトレットの現王が乗っている。
車を見るふたりの顔に浮かぶ苦い感情。
今この瞬間、苦汁を味わっているような顔をして車を睨んでいるふたりは同時に前を向いた。
そしてふと、集団の足が揃って止まる。
時刻は深夜。たいがいの者は寝静まっている時間だが戦の為に進む一団の手前、ウッペの都に通ずる街道の真ん中にまるで通せんぼするようにひとが立っていた。
細い影だ。背丈もままあるので男だろうが、こんな刻限にこんな場所でなにをしているのか。
膨れる疑問のままに男たちが腰の武器に手をかける。
「ぷふん、何者!?」
「訊くな、無能豚」
訊いたテセレべに隣のテスルハが痛烈な一言。
道を塞いでいる何者かはふたりのやり取りにため息。
通せんぼの誰かさんにとってはめっちゃどうでもいい会話ということらしい。細い影が喋る。
「ここは通行止めである」
「ほお? 理由を伺いましょう?」
通行止めと口にした影の声。中性的ではあるが若干低い若者の声に含まれているそれをテスルハは鋭く察した様子で腰にある得物の柄に何気なく手を伸ばして影に問う。
理由を聞きたい、と言ったテスルハはだが、影が返答の口を開くと同時に得物を振っていた。
細い刃の尖剣。レイピアかフェンシング競技の得物に酷似しているそれの先からは濡れた音。
極細の刃を持つ剣は影を間合いに入れていなかった。
なのに、影は素早く背後にいたなにかを抱えて跳躍。刃の軌道から逃れて姿を闇に隠した。
影がいた場所に鋭い音を立ててなにかが突き立つ。
影がほんの直前までいた場所にはなぜか水溜りができている。舌打ちの音。通行止めに立っていた影を攻撃した男が音を立てていた。これに弟は恐れるように口を利く。
「兄者、訊いておいて」
「本当に無能だな、テセレべ。アレはおそらくウッペの者であり、ここの封鎖を任されたのだ」
「ぷひ? だが、兄者、ここはメトレットへの直行街道だぞ? そこを封鎖し、足を止めるなどと相当の実力がなければ即死ぬのがオチだ。そんな大役は鷹や虎の」
「なぜその先を想像できない? 柱と並び、大役を任せられるだけの力を示した者が来たのだ」
「……ふむ、どうやら頭がまんざら空でもないか」
声が聞こえてきた。先ほど街道を封鎖していた者の声は奇妙に反響している。テスルハが見ているのと逆の方角を咄嗟に見るテセレベ。そこにあるのは大きな岩。
反響していてわかりにくいがあきらかに声はそこから聞こえてくる。岩の陰には誰かがいる。
それだけわかれば充分だった。テセレベはテスルハの隣からこっそり移動して岩の前に陣取った。岩の陰にいる者がかすかに身じろぎをしたのがわかる。間合いを詰められたことを悟って慌てたのだろうと結論づけたテセレベは背に負っていた武器を手にして掲げた。巨大な槌斧。
斧刃と槌の重さを持っている武器は鎧も人間の肉体もなにもかもまとめて叩き切って砕いて破壊する豪快な得物。
凶悪な武器を手に、テセレベは岩をまわり込んで陰にいる者を殺すのに一歩、さらに踏み込んだが、陰にひそんでいた者の動きが一瞬だけ早く、予想外だった。
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