まずの策
岩陰にひそんでいた者は
それはとても華奢で小さい影。まるで童話の世界からでてきたような緋頭巾をかぶっている。
緋頭巾の影は激しく震えている。いまさらになって恐怖しても遅いとばかりテセレベは笑う。
だが、男の笑みはひょんなことで急速冷凍された。
風が吹いた。なんでもない悪戯な風はだが、小さな影から頭巾を奪っていき、背に落とした。
頭巾の下にあった顔。とても可憐で可愛らしい顔だった。淡い亜麻色髪。空の瞳を持つ影。幼くも綺麗な気品のある顔立ちの少女は涙を堪えて震えている。
「リ、リリ、ルィルシ……?」
「……っひ、ぅ」
影はウッペの王女ルィルシエだった。これにはテセレベもテスルハも完全に意表を衝かれた。
驚きのあまり口の利き方すら覚束ないテセレベは少女の名を言おうとしたが、それは最後まで紡がれることはなかった。浮かんでくる疑問符にテセレベは首を傾げようとしたがなにかがおかしい。視界が、変だった。
天と地が、逆転している。ひっくり返った逆さま世界でルィルシエが両手で口を押えている。
それだけはわかったが、残りはまったくわからない。なぜ逆さま? どうして天地が違うのだろう? と、疑問が多々溢れてくるが、それが男の口を衝くことはない。
「このような手にかかるとはちょろすぎる」
「……エひ?」
やっと呟かれた疑問は深更の闇がつくっている狭間に消えていく。テセレベの命ごと終わっていく音は地面にぶつかって途切れた。テセレベの巨体が不気味に痙攣する。
男の首から上は逆さにひっくり返されている。頸骨を折って無理矢理回転させられた首は奇妙に皺が寄っている。テセレベの口が血の泡を噴き、血涙が零れる。暗くてよく見えないがたしかにテスルハが言ったように豚に酷似した顔である、ような気がするようなしないような。
テセレベの背後には影が立っていた。
ルィルシエとは違う長身の影が頭巾を脱ぐ。
ルィルシエがその人物の服を掴んだと同時に影は瞳を開いた。とても美しい銀色の、業物がいただく刃に酷似した鋭利で冷たい瞳。鋭くて触れれば身が切れてしまいそうな。なのに、脆く儚く砕け散ってしまいそうな、不思議な美しい瞳にあるのは皮肉と愚者を嘲る獣のような色。
「こわ、怖かったですぅ、サイ……っ」
「うむ。金輪際させぬので心配無用」
ルィルシエにサイと呼ばれた影がテスルハに顔を向ける。右側の半面しか見えていなかったが、左目は眼帯をしている影はルィルシエにもう二度と囮役などさせない、と言って誓っている。テセレベはとうとう痙攣すらしなくなった。死んだ弟、ではなくテスルハはサイを見た。
身の丈からして青年か女。かなり若いが湛えている威厳は熟練の戦士が持ちあわせるものに等しい。テスルハがいまだに事態を飲み込めずいるのを見てサイは、女戦士は本格的に呆れた。呆れはしたがそれで環境づくりを疎かにする間抜けではないサイはルィルシエをさがらせた。
四、五人ほど暗がりから現れた兵士たちがルィルシエを導き、安全な場所へと誘導していく。
ルィルシエが移動しはじめ、テスルハがはっとした時にはもう遅かった。辺りを囲む兵たち。
ウッペの若葉色を具足に取り入れて所属国を主張している兵士たちは囲みを縮めて動揺するままのメトレット兵たちを殺傷圏に入れてゆく。それは一方的な狩りの包囲。
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