悪魔の夜襲
そして、しばらくも進むと一棟の倉庫が現れた。
表にあった球状の倉庫とは違ってそれは他の組織の倉庫と同じように角ばっていた。
倉庫の外に見張りはいない。防衛や攻撃によほど自信があるらしい。愚かしい怠慢。
サイは倉庫の通用口に近づいてクイン・セ・テーが調べてくれた合図、間隔を取ってノックを行った。
二回強く叩き、四回軽く叩き、最後に一回鈍く締まった音を立てる。これで見張り場に異常が起こったという報せになるらしいが、サイはあまり期待しないで待つ。
「どうし、だ?」
しばらく待つとある意味期待通りに通用口が開いて男がひとり顔を見せた。驚きの表情で飛びだしてきた男はサイの姿に呆ける隙はなかった。中の者が顔をだしたと同時にサイは凶器を振っていた。異常を問い質そうとしていた男の疑問が濁る。サイの刃が男の口蓋を抉っていた。
引き抜かれた凶器が鮮血の尾を曳く。コンクリに滴った男の血が灰色の地面に緋色の斑点を描く。口蓋を貫き、脳に達した刃は男を恐怖させるまでもなく即死させた。
立ち尽くす死体を蹴ってサイは中に侵入し、明かりの中に身を投じた。深夜に明るい倉庫内でバイグーシェ社の面々は呑気に酒盛りをしていたが、サイがした合図で身構え、サイの侵入でざわめき、熟練の者たちはすでに引き金を絞っていた。倉庫内は即座に銃の乱射場になった。
ほんの一、二分ばかり銃が乱射され、侵入者を襲撃していたが、幹部らしき男がひとり合図して攻撃を止めた。静まり返った倉庫内。人間の呼吸音、硝煙のにおいや煙に噎せる咳が混じっていたがそれ以外は本当に静かだった。薄気味悪い静寂がただよっている。
そして、それは突然襲ってきた。血の噴水。倉庫の中に血の噴水があちこち現れていた。
赤黒い噴水は強烈な血臭を放ち、倉庫の中にあるものすべてを飲み込んでいく。これからどこかの町、どこかの小悪党共におろされる筈の武器、武器、武器。武器の山。
遊ぶには危険すぎる玩具たちが血をかぶっていく。
静まり返った倉庫の中。そこにある死体。人間として原形を留めている者を探す方が難しい。
人体破壊との表現が果たして正しいのか。
倉庫内の人間だったものは無惨に壊れていた。まともな死者はほんのひとり、ふたり程度だ。
飛散した肉片と臓物。転がる生首数個の表情は絶望。
肩から大腿骨が飛びでた縮小死体。かなりの剛力で引き千切られた胴の断面から
武力に優れ、この小さな倉庫街では最強であったバイグーシェ社の幹部たちが一瞬以下で壊滅したことに滅ぼされた当人たちが、もはや物言わぬ
「……」
ただひとり、この場で組織の壊滅を不思議に思わない存在は沈黙を保っている。サイ。
小規模な支社であったとしてもバイグーシェ倉庫街支社はそれなりの規模があった。詰めていた社員は一般的な支社にしてはかなり少ないながらも十八人の武器狂い。
自社製品の扱いに精通しているのはもちろんのこと。積んできた戦闘経験も並大抵ではない。
それが壊滅の憂き目を見た唯一の原因は潰した組織になにも思うことがない様子で懐を探る。
華奢な手が連れてきた携帯端末が起動され、操作されて音声通信機能が起動。直近で繫いだ番号を選択してサイは耳に端末を当てる。近くで間の抜けた着信音。
「サイ? 君がサイか? しゅ、首尾はどうだい?」
「……」
音が鳴っている場所をサイが正確に視線で射抜いた。
倉庫へ入る為の通用口に知らない男の姿。
男は手揉みしながら愛想のいい笑いを浮かべ、サイに声をかけてきた。目には底知れぬ緊張。
だが、それに対するサイは無言。
沈黙を貫くサイに男の笑顔が若干強張る。
初対面の相手だったが、情報屋を頼みにその闇に咲く華々しい功績を充分以上理解していた。
理解した上で男は無謀を試みようとしている自身がかなり愚かしいと思えてならなかった。
「……報酬は?」
「振り込んでおいた。しかし、さすがだね。ここまで圧倒的とは正直寒気がするよ、サイ。ところでどうだろう?」
手揉みし続ける男は上司の言葉に従って闇社会の伝説であるサイに接近しようとしたが、サイの動が男よりもひとつ以上早かった。サイの姿が男の意識の中から消失。
再び現れた時にはもう、なにもかも手遅れだった。暗殺者の右手に握られていたナイフが依頼人である男の腹に突き立っていた。肝を一突きにした凶器による致命傷。
男はわけがなにひとつとしてわからず呆然とする。なぜ自分が突然殺されるのかわからない。
しかし、サイは違った。
「私の殺害計画ならもっと念を入れて練ることだな」
「は、あ……な、ぜっ」
「一見でお前のように金払いがいいのは信用ならぬ」
「そ、れだけで……」
「あとはクイン・セ・テーが後払い情報としてきな臭い組織の一覧を送って寄越していた故」
男は失態に気づき、言い訳のひとつも浮かばない。
サイがクイン・セ・テーと繫がっていると仕事の前ににおわせていたのに「気づかれていないだろう」などとという傲慢と怠慢で気づけなかった。金にクソ汚いだけ充分な情報網を築きあげている情報屋に「悪魔暗殺」が、愚かしい悪意が掴まれていないなどとお間抜けであった。
「クイン・セ・テーにまた借りをつくってしまったのは癪だがクズを狩れたので仕方なし」
「まで、待て待て待てまっで、サイ、ザイ……っ頼む許してくれ、頼む。これは仕方がなく」
「知らぬ」
無情に切り捨てたサイは男に突き立てたままのナイフの柄を逆手に握り直して上へ振り抜く。男の腹が割かれ、心臓が刻まれて喉、顎先を伝っていき、顔面を縦断。
激痛に男はのたうつこともなくショックで死亡。揺らいだ
イタリア製造の銃。ベレッタ八十四。それを見たサイの瞳に一瞬感情の揺らぎが現れる。
だが、サイは感傷をすぐに消し去って銃を軽く踏みしめて潰した。鉄の塊である筈の残骸はコンクリに埋まった。
倉庫内は数分前の騒ぎが嘘のように静まり返って冷たい沈黙が落ちている。すべての者が黙していることにサイは自嘲気味に瞳を揺らした。嘲りの笑みに揺れる銀色。
「沈黙の悪魔。まっこと似合いである」
ここへ来るまでのところ、情報収集に男を攫った酒場の外で立ち聞きしたこと。そこで言われていた自らの異名にサイは自分自身のことなのに皮肉さをこめて呟いた。
悪魔。邪悪と災厄の象徴。そのように呼ばれるようになったのは果たしていつからだったか、サイはもはや覚えていない。どうでもいいことだったので忘れたとも言う。
闇の伝説。沈黙の悪魔。物騒で頭悪い異名が歩きはじめてまま時が経つような気がしている。
「六年……早いものだ」
あの時。六年前。あの雪の日にすべてを失ったサイにはなにもない。なにひとつとして輝かしいものもなく、心許せる親しい誰かもいなかった。凍えるような孤独。
抗う術もなく、また抗うつもりもあまりないサイはすべてに絶望し、それがすぎるあまり殺人を生業とした。
そして、この日もまた尊くくだらない命を摘んで気分最低で終わりを迎え、夜明けまでに拠点にしている空き家に戻るだけとサイは踵を返して虐殺の現場を立ち去る。
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