血まみれの見張り場


 潮風が吹く。港に押し寄せるそれは通路の奥にまで吹き込んでいく。通路のひとつ、バイグーシェ社の者が使う通路の先にいた男三人が冷たい春先の風に身震いした。


「今夜は冷えるな、ぶっくしょいっ」


「汚ぇな。ああ、俺も酒が欲しい」


「贅沢言うな。交代が来れば俺たちも酒場にいける」


 バイグーシェ社が陣取っている通路の途中で男たちが話し込んでいる。盛大なくしゃみに続いて奥の倉庫内で酒盛りをして眠っている幹部たちを羨む声をあげる。


 だが、どんなに羨んでも見張り役という雑用が酒にありつける筈もない。特にいい酒はそれこそ幹部の喉を通ってしまうので残っていると期待するのはバカらしい。


「ああ、退屈だ」


 男が愚痴っぽく呟いた瞬間、声が宙に飛んだ。遅れて噴きだした赤い飛沫が雨粒となって男たちに降りかかった。降りかかったそれは温かくて独特の臭気を放っている。


 生温かで甘い潮と鉄のにおい。血の雨を浴びてバイグーシェ社の下っ端ふたりは呆然とする。


 目の前で同僚の体がぐらぐらと危なっかしく揺れる。


 首から上がなくなり、死体となった体が崩れ落ちる。


 外気にさらされている頸部。気道の管から弱々しい風が漏れているのが最期の喘鳴に聞こえる。やがて体のそばに首が落下する。表情には驚愕があった。


 自身が死んだということに恐怖し、驚いている男の首にある切断面からも血潮が噴いている。


「ぇ?」


 残りのどちらからか零された声がふたりを現実に戻すが問いの音はでた時点で途切れている。


 声をあげた方の首が切断されて宙に舞った。男の持っていた旧式の照明ランプが落ちて地面にぶつかり、砕ける。中の蠟燭が転がっていき、誰かの靴に当たり、踏み潰される。


 頼りない蠟燭を踏み潰した靴がひとつ。


 ひとり残された男は自殺行為だとわかっていても腰にさげていた懐中電灯で蠟燭に刹那だけ照らされた誰かを足下から照らした。一瞬で明かりの下にさらされた襲撃者の姿に生き残りのひとりはただただ呆然とした。それはひどく美しい闇だった。


 不躾な白い光に照らされて浮かびあがった誰かは驚くほど白い肌に黒い衣を纏っていた。


 黒いシャツにパンツ、黒い靴と徹底しているそのひとの顔を照らした男は懐中電灯を取り落とす。黒い革の眼帯で左目を隠している襲撃者の右目で男は射竦められた。


 都会でも滅多にお目にかかることのない銀色の瞳。刃のような色であり相応しい輝きと鋭さを宿していた。


 すっと筋の通った銀嶺の鼻梁に純白をさらに極めたような白いすべらかな頬。刃の瞳。凛々しくも綺麗な眉。赤い唇という非常に整った中性的美貌。


 肌の感じからしてもかなり若く、へたをすると十代の色艶であり、傾国の美姫と呼ばれるような女と比べても負けず、劣らぬ美しさだった。男はしばし、状況もなにもかも忘れて襲撃者に見入った。惚れ惚れするほどの美しさは人間の脳をダメにする。万国共通でみな美人に弱い。


「合図を吐け」


「へ?」


拠点アジトに入る合図を寄越せ。三度は言わぬ」


「アジ、拠点アジト? な、にをする気だ? お前、バイグーシェ社に喧嘩売る気か!?」


「己には関係のないことである。吐けばわずかばかり長生きできるが、どうするのが好みか?」


 男の詰問を無関係の一言で切り捨てた謎の美形殺人者に男は通常起こりえない悪寒を覚えた。


 バイグーシェ社はここ数年業界に横たわる不況時に稼ぎをあげてきた実力派の一社。その武装集団に喧嘩を売るというのはそれなりの戦歴でなければ考えもしないこと。


 そこの社員を脅すのも相当に頭の螺子がどうにかなっているとしか思えないいかれ、ぶっ飛びぶりである。だがしかし、ここで「返答をせず」は死に直結する。


 男は生き残りを懸けて一生懸命知恵を搔き集める。そしてでた答で突然の襲撃者に対した。


「死ね!」


 男が肩からさげていた軽機関銃が火を噴き、美貌の殺人者に銃弾の雨が襲いかかる。そのまま蜂の巣にすると思われた銃弾はしかし、コンクリ地面を抉った。


 そのことに男が恐怖する暇はなかった。首筋に一瞬の冷たさを感じ、景色が一変。愚かな男が最期に見たのは闇深い深夜の曇り空、そこにうっすら嘲るように輝く月。


「……」


 役に立たない男を殺した殺人者――サイはくだらない末路をたどることを知らず知らずに選んでしまった男に憐れみの瞳を向けているようだったが、すぐに切り替えた。


 懐からだした携帯端末を起動する。


 そして、先ほど送っておいた文書に対して届けられていた新着の回答文書を確認していく。


 内容はバイグーシェ社の拠点アジト潜入に必要な情報の題名と相手が希望する報酬金額。


 確認していくサイは書かれている金額を見て眉間に皺を寄せた。暴利が可愛く思えるほどの暴利が書かれていた。おそらくは今回の依頼でサイがえられる報酬まで見越しての額なのだろうが、ぼったくりも甚だしく、いっそのこと天晴と思えるほど強い金への欲望剝きだしだった。


 クイン・セ・テー。この情報屋とは不思議な縁で付き合いがあるのだがそろそろ本気で縁を切りたいと思っているサイはそれでも渋々相手の言い値で情報を買ってやる。


 端末を操作して自分の仮想銀行にある金を動かし、情報屋の口座に送金。数秒もせずサイの端末が震える。クイン・セ・テーから拠点アジトの正確な位置と侵入方法が送られてきたのでそれを頭に叩き込み、サイはまた端末の電源を落として懐にしまい、先へと進んでいった。


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