悪魔が息づく夜

深更に息づく港


 深更の刻限。とある国のとある町。


 ほど近い場所に構えられた港からその町にはいつも新鮮な魚介類がおろされている。船乗りたちは荒っぽくも素朴な者が多くその港はいつも活気に満ちている。


 建ち並ぶ倉庫。港の一角にそびえる倉庫街には漁協組合の者と違った意味で荒っぽく血の気の多い者が集まっていることが多く、地元民はけっして近づかない。


 平和な港のすぐ隣で在るのに、そこには世間一般に闇と呼称される世界が広がっているのだ。


 闇社会の抱えている倉庫だけあって夜はひそめられていてもにぎわいがある。ちょっとした騒ぎが起こっていてもみな、いつものことと流して自分たちの作業に没頭している。倉庫街ここが騒然とするならばよほどのことがなければありえず、それが倉庫街住人の共通認識。


「標的の変更?」


 静かに騒々しい倉庫街の片隅で喧騒とは毛色の違うはっきりとした声が問いを放つ。まだ若い、静かな声だった。


 暗がりに佇む倉庫二棟の隙間にはさまるようにそのひとが立っていた。雲闇に隠れた細身の影は耳に携帯端末を当てて音声通信をしているのか、その場にひとりだった。


「へ、変更と言っても違うのだよ、サイ」


「変更は不可である。もう遅い」


「違うのだ。それの変更ではなく、そう、追加依頼と言ったらいいのかな? もう一仕事頼まれてくれないか?」


「一見の追加依頼は受けつけない」


 興奮している電話の向こうに影――サイは淡々と、感情一切をこめずに言い返す。声には煩わしさがある。面倒、というのとクソくだらない、との心が見え隠れする。


 不意に、電話の相手にうんざりしていたサイが足を動かして体を横にずらした。サイが元々いた場所の奥。倉庫の間。通路と空き地があった。先には暗闇と黒。


 黒い、夜よりもなお黒いタールのような液体が通路の奥から外に流れてくる。それは潮と鉄のにおいを放っている。噎せ返るような濃度でただよう血臭がある。


 ふとして、雲が風に吹き散らされ、青い夜の闇に銀色の月が明かりを投げ込んだ。光は通路の奥にも流れ込む。そこにあったのは惨劇と呼ぶに相応しいなにか。


 空き地と呼ぶには少々手狭な場所にひとつ、男の体が転がっている。見開かれた目。恐怖の色に染まっている男の目玉には蝿が一匹留まっている。体はかばねだった。


 活動を停止した男の目玉に留まった蝿の無機質な複眼が男を見ている。男は大笑いしていた。


 真っ赤に大きく裂けた半月状の傷が喉で笑っている。男の手は死に抵抗しようとしたのか、銃が握られていた。しかし、その場に発砲された痕跡はなかった。


 抵抗もままならず男は殺害されてしまったようだ。それだけ相手の技量が男より上だったことを示している現場事実に物申す者はいない。すべてが絶えたように静かだ。


「そ、そんなに堅くならなくとも」


「……。私の仕事を飯事と思っていまいか?」


「そんなことはない、もちろん、けっして」


 死体を放ってサイは話をしている。相手の文句にサイは若干苛つき、気分を害した様子で問いを投げたが相手は月光を浴びるサイの声に不機嫌を見つけて否定を重ねた。


 殺害現場に不似合いなほど華奢な孤影。黒髪に銀瞳、左目には革の眼帯。ものものしい姿形。


 音声通信を不毛に思うサイの遊んでいる片手が大きな、細い手に不釣りあいなナイフを弄ぶ。


 刃渡り二十四センチのサバイバルナイフ。ナイフには血の湿りが付着している。十中八九、奥に転がっている男を死体に変えた凶器で間違いない。


「報酬は市場適正価格の三、五倍だそう」


「安い。以上」


 まだ仕事内容すら取引上にあげていないというのに値を言っていく男もたいがいだが、安い、と言って蹴るサイもかなりのものである。双方共に一般常識から外れている。以上でしまいだとばかり、サイが携帯端末の音声通信を切ろうとしたが、男の声が割れるほど大きく響いた。


「十二倍だ。どうだ、破格だろう? 豪遊したあとの釣り銭でも豪遊ができる。どうだ、サイ」


「遊ぶいとまなどない」


「た、たた例えだよ、サイ。と、とにかくその、具体的に言われると困るがしたいことがしたいだけできる額を用意する。特例をつくってくれないだろうか、な? な?」


「……言うてみよ」


 男の熱意に折れた、というよりは聞かないでつきまとわれる鬱陶しさと男の言うを天秤にかけて特別をもうけた方が賢い。そういう判断に落ち着いたのだろう。


 適正価格の十二倍額。どんな無理難題が来るか、サイはそちらに少し期待しているのか音声通信の相手、男の次なる言葉を待っている。サイがとりあえず聞いてくれる気になったというのを感じて男は安堵の息を吐き、続きの言葉を吐きだした。声には息切れを起こすほどの興奮。


「その倉庫街、球状の一棟からツーブロック進んだ先に拠点アジトを持っている武器商バイグーシェ社を潰してくれ」


「主に欧州国におろしている武器商。凶暴さと自社製の武器カスタマイズ技術でファンが多い」


「知って、いるのか?」


「情報に通じることが戦場に一歩立つということだ」


 こともなげに言ったサイにだが、通話の相手はついつい呆けてしまった。サイの情報網の広さと緻密さに男は愕然としたのか音声が途切れる。同じ情報を情報屋に売らせるのにかなりの暴利を吹っかけられた。それをサイがすでに入手していたのはちょっとばかりショッキング。


 時は情報社会。ありとあらゆる情報が転がっている。正しい情報を精査することが命を左右するとすら言われるこの世でより新鮮でより精度のよい情報は高い。


 そのことを情報屋、情報を商品にしている商人たちはよくよく知っているし、それが故の足下価格がわかる。支払われるべき値段と実際の代金は時としてイコールではなく阿呆がよく暴利を振り翳している。そうした者はたいがい情報の見返りをえた直後に謎の事故死を迎える。


 そして、不思議なことにそうした自称他称情報屋の不審死は警察すら捜査しないまま、死体を処理しただけで終わり、その情報屋は永遠にいなくなる。


 もちろん故意でなくとも虚偽情報を売った場合にもたどる道は同じ。なので、新鮮で光沢すら放つような情報を適正のちょっと上で上手に取引し駆け引きして売るのがこの厳しい闇を生きる情報屋たちの現状最も賢い生き方でお手本。ただ、そんな常例にはまらない者はいて……。


「クイン・セ・テーの情報はやはり精確そのものだ。気が向いたらあとで駄賃を与えておこう」


「ク、クイン・セ・テー? 現代に暴利を振り翳して唯一生きている情報屋。頭がおかしいと聞いたが……」


「アレはアホだが話は早くわかりいい。時々殺してやりたくなるが使えるうちは利用するまで」


 さりげなく「殺したくなる」と言ったサイだったが、かなり重い言葉だった。これもまた、その道で生きている人間にしかわからないことだがサイの殺意はかなり重い。


「さすが闇の伝説はやることが違う。有史以降最強の殺人者が使う情報屋も普通ではない、か」


 音声通信の向こうにいる男が呆れとも恐れともつかぬため息を零すが、サイはどうでもよさそうにナイフを弄びつつ男が続きを言うのを待つ。さらなる続きを待った。


 だがそれ以上に男が言うことはなかった。サイの耳に聞こえる音声は興奮ではち切れそうになっている息だけだ。


「また、連絡する」


 果たして、サイの発した一言、声が男に聞こえているかは甚だ疑問。荒い呼吸しか聞こえてこない携帯端末をサイは耳から離して電源を切った。


 途端、周囲には静寂が訪れた。


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