悪魔を噂する酒場


 携帯端末を顎に当ててしばしの間、思考に耽っていたサイだったがやがてなにを思ったのか一度切った端末の電源を入れ直してどこかに連絡しはじめた。


 文書作成アプリを起動して簡単な文句を作成し、即送信したサイは返答が来るのを確認するまでもなく再び電源を切った。携帯端末の電源を落とすことがサイの切り替えになっている様子。公私混同とは違うが、やる時には徹底的にしてやり通す。サイの意識は職人の志であった。


「さて、雑務といこう」


 こんなこともあろうかとサイは倉庫街にいる、現在駐留していて戦闘ができる組織については調べをあげていた。結果、戦闘可能組織はバイグーシェ社だけ。


 他組織はどこもバイグーシェ社の戦力を警戒してへたに喧嘩を吹っかけられないよう、最低限の見張りしか送っていない。それはどこもかしこも使い走りの若造ばかり。


 バイグーシェ社はそれくらい、ここ数年で肥大化した組織。迂闊に手をだすには危険が伴う。


 なのに、受けた。その理由が知れない。今回の暗殺依頼主に特別の施しをくれてやり、圧倒的不利な状況に自らを落とす。ある意味でだけ、かなりの変態行為だ。


「つまらぬ狩りだが、果たすことを果たすまで」


 サイの静かな声が深更の闇中に落ちる。


 つまらない狩り。依頼人が新しく追加した無理難題をつまらないもの扱いしたサイは暗殺の現場から去っていく。


 あの死体が発見されるのは早くて翌朝。悪くすれば数日後になると踏んでいるサイは隠蔽しようともしない。清々しいほど正々堂々。「闇の伝説」だなどと頭が悪い名だ。


 そのサイが足を進めていくと、先に一軒、粗末というよりは簡易的な飲み屋が建っていた。


「聞いたか、あの話」


「ああ、沈黙の悪魔、だろ。耳を塞いでいても聞こえてくるぜ。ありゃ本物のバカか化け物だ」


「……」


 倉庫街にあとづけされた簡易的な酒場からわいわいがやがやとにぎやかな声が聞こえてくる。


 今日一日、組織が無事であったこと、盛況であったことを祝って酒を飲み交わしている男たちはほろ酔いでいい気分だったようだが、酒場の端ではじまった話を聞くなり、水を打ったように静かになった。


 話題は「沈黙の悪魔」について。それはこの業界に生きる者ならば誰でも知っている話であり、存在だった。


 祝いの酒席に聞きたい話題ではなかったが、誰かが話しはじめてしまうとその話題は尽きないくらい逆の意味でその悪魔は有名であり負の意味で人気者だった。


「マスファトルの北欧支社が壊滅」


「だけじゃねえ。オブウージャも組長が暗殺されたって話だ。今となっちゃ誰がつけたか知れない異名がそのまま畏怖と怖懼ふくの象徴として君臨している」


 ひそひそと話す男たちは酒場の雰囲気をなるべく壊さないようにしているようだが、もうそれに意味はない。


 「沈黙の悪魔」という単語がでてきた時点で酒場はしんと静まり返ってしまっていた。それくらい影響力のある存在に関する最新情報は是が非でも知っておきたい。


 それで多少なり寿命が縮むことになっても怖いもの見たさというのと好奇心が先に立つ。


 人間のくだらない、厄介に阿呆な性だった。


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