第二話 ピンチに現れた救世主は、意外な人物だった!


「それで、お金の方は準備出来マシタ? 借金は一千万リレデス。一リレたりともまけられませんし、これ以上期限を延ばすことも出来マセンので」


 外で待っていたウオとサオ――うーん、未だに見分けがつかない――の前に立って、ジョナンがにんまりと笑う。

 右手で杖をつきながら、手の平が天に向くようにして上げられた左手。その上には、見たくもない契約書がふわふわとこれ見よがしに浮いている。


「さあ、カナリスさん。お金を渡してクダサイ。ウオ、受け取ってやれ」

「ハイ」


 ジョナンの右手側に立っていた方の従者が、前へと進み出る。ユアは表情を強張らせながらも、覚悟を決めているようだ。

 自ら歩み、ウオのごつい手に金庫ごとお金を渡した。


「……どうぞ。この金庫の中に、五百万リレが入っています」

「おや……ワタシの聞き間違いでショウカ? 借金は一千万リレですよ」

「すみません。用意出来たお金は、それで全部なんです」


 ごめんなさい。ユアがジョナンに向かって頭を下げた。彼女は悪くない、誰も悪くなんかない。

 でも、やはりお金は集まらなかったのだ。


「……そうデスカ。約束は覚えてマスカ?」

「はい」

「では、今度こそこのお店を差し押さえさせてイタダキマス。お片付けの時間くらいは差し上げますので、準備が出来次第すぐに出て行ってクダサイネ」


 何の慈悲も無く、冷酷に言い放つジョナン。ユアが拳を握り締めて、唇を噛み締める。でも、彼女はそれ以上何も言わなかった。


 だから、だろう。


「ちょっと待て。金はそれだけじゃねぇよ」

「は?」

「にゃふふ。シナモン達が頑張ってコツコツ貯めた百万リレにゃん! これも持ってけドロボー!」


 シナモンが腰のポーチから剥き出しの札束を取り出し、ウオの手に押し付けた。それに驚きの声を上げたのは、ユアだった。


「ええ!? し、シナモンさん……ハルトさんも、どうして」

「ユア。お前は喋らなくても、思ってることが丸わかりなんだよ」

「そうにゃ。むしろ、黙り込んでいる時の方がわかりやすいにゃん」

「あの、お願いします。あともう少しだけ猶予をくれませんか? 残りのお金は出来るだけ早く、必ずお返ししますので」


 お願いします! 明丸が深く頭を下げる。何なら土下座しても良い。ジョナンという男は忌々しいが、薬局の為なら何でもしてやる。

 そして、そう覚悟したのは明丸だけではない。ハルトとシナモンだけでもなかった。


「アキマルさん……皆さん……」

「へえ、感動的デスネー。ですが、言った筈デスよ。これで残りは四百万。一リレもまける気はありませんし、一分でも猶予を延ばすコトは――」

「ちょおぉっと待ったー!」


 ジョナンの言葉をかき消す程の声。その場に居た全員が、声がする方を見やる。声量もそうだが、明丸は自分の目に映った光景に鳥肌が立つ程驚いた。


「うわ、何デスカそんなゾロゾロと大勢で、今日ってお祭りでもありマシタっけ?」

「おうとも、祭りみてぇなものだろ」

「ウーヴェさん!? それにカルラさん、皆さん……どうしたんですか?」


 そう。そこにはルッテ夫妻を始めとした、エステレラでお世話になった街の住人達が集まっていたのだ。お母さんに抱っこされてすやすや眠る赤ちゃんから、腰の曲がったご老人まで。

 通りを埋め尽くす程の集団に、流石のジョナンもたじろぐ。


「どうした、じゃねぇよ! ユア、お前……本当にこの店が無くなっても良いのか? 悪いが、おれ達は困るぜ!」

「え……」

「ユアちゃん。このお店はね、もうキルシさんが生きていた頃と同じなの。すっかりエステレラの拠り所に戻ったのよ。それなのに薬局カナリスが無くなったら、皆とても困るわ」

「そーそー」

「特にあたし達女子が困るよねー?」

「結局、まだアキマルにお店でサービス出来てないもんねー」

「ねー!」

「何の話!?」


 さえずるカナリアのようなサキュバス達。相変わらず目のやりどころが無い彼女達は、とりあえず置いておくことにして。


「街の皆からかき集めてきた、三百万リレだ。あとは残り百万か? 頼むぜ、ジョナンさんよ。もう少しだけ待ってくれねぇか?」

「お願いします、アンドレアルフスさま」

「そーだそーだ!」

「み、皆さん……」

「ユアさん。あなたは、本当にこのお店を手放すことが出来ますか?」


 次々と抗議の声が上がる中、あわあわと困り果てるユアに明丸が問う。ハルトも言った通り、彼女の態度や表情はとてもわかりやすい。

 それでも。彼女の言葉で、彼女の本当の思いが聞きたい。


「え?」

「ユアさん。あなたはもう一人じゃない。あなたの頑張っている姿を見て、あなたのお薬が必要だと言ってくれる人がこんなに集まったんです。それなのに、あなたは薬局カナリスを手放せるんですか?」

「わ、私……嫌です、やっぱり嫌です!」


 ユアが感情を露にさせて、再びジョナン達に頭を下げた。


「お願いします、アンドレアルフス様! お金は必ず返します! だから、もう少しだけ待ってください!! お願いします!」


 声を荒げる彼女は悲痛で、とても必死だった。ジョナンが無様だと嗤った。でも、彼以外は誰も嗤わなかった。ウオとサオでさえ、神妙な顔をしていた。


「カナリスさん、アナタがこのお店を大切にしてるコトはわかってマス。でもね、契約は契約なので。どれだけ泣こうが、叫ぼうが。一度結んだ契約には従ってもらいマスよ」

「にゃー……契約契約って、バカの一つ覚えかにゃー!!」

「シナモン!?」


 断固として意思を曲げようとしないジョナンに、シナモンが奇声を上げながら飛び掛かった。

 そして、その手から契約書を奪い取ると、それこそ本物の猫のように噛み付き始めた。


「にゃうー!! こうにゃったら、こんにゃ契約書にゃんかシナモンが噛み千切ってやるにゃん!」

「あー……たまに居るんですよねぇ。そうやって力技で何とかしようとする人。でも、無駄ですよ。その契約書、剣で突き刺しても破れないくらい丈夫な紙で出来ていますし……それに」


 ジョナンの口角がつり上がる。


「そうやって契約書を破り捨てようとする愚か者を排除すべく、契約書自体に防衛魔法を仕込んでありマス。まあ死にはしないでショウが、可愛いお顔が黒コゲになっちゃいマスよー……あ、もう遅いか! アハ!」

「にゃにゃ?」

「シナモン!!」


 口を離したシナモンの目の前に、真っ赤に燃え滾る炎のような魔法陣が展開される。ファンタジー映画で見たことがある。読者に噛み付く本とか、紙の中に吸い込む地図とか。あの魔法陣も、恐らくそういう類の魔法なのだろう。

 ……って冷静に分析してる場合か俺! マズい、これはマズい! 明丸とハルトが、シナモンを庇おうと駆け出す。でも、遅かった。


「シナモンさん!」


 ユアが両手で口元を覆う。黒コゲ、なんて可愛いものじゃない。魔法陣から噴き出した凶暴な真紅の炎が、シナモンを喰らおうと襲いかかる……ように見えた。


「……にゃ?」


 きょとん。瞬きを繰り返す無傷のシナモンに、ジョナンさえも言葉を失った。明丸が見たもの確かならば、魔法は間違いなく発動した。

 しかし、すぐ目の前にあるシナモンの顔を焼くことはなく、そのまま魔法陣はそのまま鎮火した。明丸が恐る恐る見ると、先程まで赤色だった魔法陣が真っ黒に変色してしまっている。

 まるで、それ自体が燃え尽きた炭のように。


「なっ……! このワタシの魔法が打ち消された!? 魔法学で主席だった、このワタシが魔法で負けるだなんて……」

「たかが借金の契約書にしては、大袈裟な魔法を仕込んであるんですね。ま、その程度の炎を無効化するなんて、ぼくにとっては針に糸を通すよりもずっと簡単なんですけど」


 屈辱に震えるジョナンを尻目に、というよりこの場の空気をものともせずに割り込んできた一人の金髪の少年。

 彼は綺麗な顔に、今まで見たことがないような微笑を浮かべながら、シナモンの元に歩み寄った。


「な、アレクくん!?」

「にゃにゃ? どうしたにゃアレク、お店で待ってって言ったのにぃ!」

「まあまあ。良いじゃないですか、細かいことは。あ、この契約書ちょっと借りますねー」


 パッと素早い手裁きで、シナモンから契約書を奪うアレク。そして、それを両手で持って眺めると、ジョナンの方を見ながらにっこりと笑った。


「……なるほど。一千万リレの借金ですか。それなら、足りない分はぼくがお支払いしましょう。なんなら、全額支払っても良いですよ」

「ええ!?」

「は? おやおや。どこかで見覚えのある魔人のお坊ちゃんかと思ったら、あの時の傷物さんデスネ。随分見違えたじゃないデスカ!」

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