第三話 彼女は徳を積み過ぎたようです
何やらとんでもないことを口走るアレクに、ジョナンが薄っぺらく笑う。ああもう、二人を合わせないようにと外に出たのに!
……でも、どうしてだろう。
「お、おいアキマル……アレクのやつ、なんか雰囲気変わってねぇ?」
「う、うん。確かに」
駆け寄ってきたハルトのひそひそ声に、小さく頷く。そうだ。どう見ても、アレクが怯えている様子はない。むしろ、ジョナンの方が戸惑っているように見える。
「それにしても、まさか一千万リレを支払うだなんて。意味をちゃんとわかって言ってマス? 確かに、魔人は高給取りな御方が多いですケド」
「わかっていますよ。ユアさん達には、一千万以上のことをして頂いたので。一千万だろうが一億だろうが、払ってあげますよ。ただし、その借金が本当に存在するなら、の話ですが」
「……え?」
彼の一言で、空気が一変した。考えもしなかったことだ。だが、あり得ないことではない。
「……アナタ、大人しく見えて意外ととんでもないコトを言いマスネ。でも、そういう突拍子もないウソはやめた方が良いデスヨ」
「嘘をついているのはそちらでしょう? この契約者の名前、ゲオルクってありますけど。これ、誰ですか? ファーストネームしか持たないのは、悪魔と天使だけ。天使が地上まで来てお金を借りるなんてあり得ませんから、この人は間違いなく悪魔ですよね?」
「キルシさんのおトモダチだったヒトでしょう。もしかして、ワタシが同じ悪魔だからって知り合いだと思ってマス? 流石にそんなに詳しい個人情報なんか知りマセン」
「あれあれ? おかしいですね。あなた、お金貸しのくせに依頼人の情報を把握してないんですか? かなり
アレクがパチンと、指を鳴らすなり空中に現れた巻紙の数々。二十枚はあるであろうそれらは、どうやらユアの契約書と同じような代物らしい。そして、驚いた。
「そ、その契約書は……!」
「ゲオルクさんは、人間界と魔界、合わせて二十以上の街でお金を借りてるみたいですよ。他ならぬジョナンさん、あなたから」
ジョナンが目をこれでもかという程に見開く。そこに記載されている、契約者の名前。連帯保証人の名前は全て違うのに、契約者の名前だけは一様に『ゲオルク』と記載されていた。
人間や他の魔族とは異なり、ファミリーネームやミドルネームを持たないのは悪魔と天使だけ。その中で力のある者は地位の高い階級に属し、ジョナンのように階級の名前を語るようになる。しかし天使は天界で暮らすゆえに、地上で活動することなど滅多にないのだと言う。
よって、名前しか書いていないということからゲオルクは悪魔ということになる。しかし、連帯保証人を変えてお金を借りるなんて不自然なやり方は可能なのだろうか。
「えー、何あれ。もしかして、詐欺ってやつ?」
「そうよ、そもそもおかしいと思った。いくらキルシさんがお人よしだとはいえ、そんな簡単に借金の保証人になんかなるかしら」
「そうだ。あの人ならもっと別の方法を取る筈だ。お金がないなら仕事を探してあげたりとか、そういう助け方をする人だった」
「う……」
徐々に、ジョナンへ疑いの眼差しが注がれ始める。ウオとサオまでもがお互いに顔を見合わせ、そわそわと落ち着きを無くしている。
「そ、その契約書はデタラメです! 偽物です! アナタ、このワタシを陥れようとして偽装工作したのデショウ!?」
完全に冷静さを無くしたジョナンが、声を荒げる。う、このヒステリーな感じ。ちょっと前の職場の上司に似ている。
でも、アレクは動じない。それどころか、すうっと表情を消して静かにジョナンを見返すだけ。
「偽装工作したのはそっちだと思いますけど? さっさと罪を認めて、ユアさんに謝罪をしては? 今なら、魔王も寛大に取り合うと思いますよ」
「ウルサイウルサイ! いくら魔人とはいえ、こんな傍若無人な振る舞いは許されマセン!!」
ギャンギャンと金切り声を上げながら、ジョナンが杖を高く振り上げる。次の瞬間、杖の先に巨大な炎の球体を作り出して見せた。
肌を焙るような熱風に、ユアやウーヴェ達が悲鳴を上げた。
「きゃあああ!?」
「に、逃げろ! 燃えちまうぞ!!」
「アハ、アハハハハ! ほらほら、どうデス? 今なら土下座で許して差し上げマスヨ。バカな魔人の坊や、せっかく綺麗になったお顔にヤケドなんか負いたくないデショウ?」
完全に血走った目で、ジョナンが高笑いする。こういう展開、なんかゲームで見たことあるぞ!
「あ、アレクくん! 逃げよう、お店の中に……早く!!」
「大丈夫ですよ、アキマルさん。今度こそ、あなたのことはぼくが護ります」
下がってください。アレクの肩を掴むも、逆に後ろへ下がらされてしまう。明丸だけではなく、ユアとハルト、シナモンまでも。
きっ、とアレクがジョナンを睨む。
「これが最後の忠告です。今すぐ魔法を解除し、ユアさんに謝罪しなさい。今ならまだ、罰金刑と懲戒免職くらいで許してあげますよ」
「ウルサイ!! これだから魔人族はイヤなんデスヨ、魔王が同族だからと偉そうに……! 大した力も無いくせに、粋がるなガキが!!」
鬼のような形相で、ついにジョナンが杖を振り下ろした。轟、と燃え盛る灼熱の火球がアレクに迫りくる。
それなのに、アレクは明丸の方を見て笑った。今までで一番の笑顔だった。
「ありがとうございます、アキマルさん。あなたのお陰で、自分に少しだけ自信が持てるようになりました。最後にお礼が言えて良かった」
「アレクくん!!」
あんな炎の塊が当たったら、火傷どころじゃ済まないぞ! こうなったら、力づくでも引き下がらせようと明丸がアレクに駆け寄ろうとした。でも、無駄だった。明丸の手は、届かなかった。
夜よりも深い闇色の斬撃が、火球を細切れに切り裂いたから。
「だから、あなた達の前ではずっと『アレク』でいたかったのだが。やれやれ、上手くいかないものだな」
「……え?」
幾千にも切り刻まれた火球は威力と形を保てず、空中で呆気なく霧散した。消滅する間際の光と風に反射的に目蓋を閉じて、開いた。たったそれだけの時間しかなかったのに。
アレクは、どこにも居なくなっていた。別れも言わずに、一方的に礼を言って消えてしまった。
そしてなぜか、アレクが居た場所に全く知らない青年が立っていた。
「……は、えっ? 誰?」
思わず、口から出た。知らない、知らないぞこんな人。身長はかなり高く、傍に居るハルトよりも更に頭半分は高い。傍から見ても上等な黒衣を纏う体躯は手足が長くすらっとしているが、筋骨隆々とは言えないものの脆弱性は無い。足長いし、ファッションモデルみたいだ。
その手に持つのは、いつどのタイミングで取り出したのか、刃の部分だけが血色に染まった真っ黒い大鎌。死神かな? 腰まで届く、緩く編まれた髪と蒼い瞳だけはアレクと同じだけど。
いや、でも髪型は同じでも髪の色が違う。
「え、えっと?」
「今まで騙していて申し訳なかった。見ての通り、この姿では何かと目立つからな。エステレラに来る時は姿を変え、アレクという偽の名を名乗りあなた方と接触させて貰っていた。最初は知っての通り、私の顔にあったアトピーを治せる薬を探していて、この街にも偶然立ち寄っただけだったのだが。我ながら、こんなことになるとは」
「いや、あのー」
「ど、どちらさまですか……?」
状況が飲み込めない。何で相手が明丸達のことを知っている風なのかがわからない。ユアも同じなのか、今にも消え入りそうな声で青年に名前を尋ねた。
「……えっ」
「えっ」
「ここまであからさまなのに、まさか本当にわからないのか?」
「す、すみません。世情には疎いもので」
三か月前にこの世界に来たばかりなので!
「……あはは! そうか、そういえば親族以外に素顔を見せるのは初めてだった。むしろ、当たり前に知っていると思っていた私の方が無礼だったな、悪かった」
「い、いや」
「それでは、改めて自己紹介をしよう。この姿では、初めまして」
そう言うと、青年が懐から真珠色の仮面を取り出して顔を隠すように嵌める。そしてそれをすぐに外すと、絹糸のような銀髪を払い、美貌と称して良い程の面立ちで悪戯っぽく笑った。
「アレク、という姿と名前は偽りだ。私の本当の名前はセト。セト・ジル・ティアレイン。まだ玉座を預かって間も無いが、魔界の主を務める者である」
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