第八話 ゲームみたいに、上手くはいかないものだ


「う、うう……」

「アキマルさん! 大丈夫ですか!?」


 水の流れに押し流されたかのように思えた意識は、意外にあっさりと取り戻すことが出来た。

 頭はどくどくと脈打つように痛いし、全身が氷にでもなってしまったかのように冷え切っているのがわかる。

 でも、それでも。明丸は、何とか生きていた。


「ゆ、あさん……? あれ、おれ……どうなって」

「ああ、良かった……目を覚ましてくれなかったら、私……」

「にゃにゃ! アキマル、目を覚ましたかにゃ?」


 少しだけ霞む視界。そこに今にも零しそうな程に涙を溜めた目で見下ろしてくるユアと、ほっとしたような笑顔のシナモンが映る。そうだ、確かドラゴンに襲われたんだったな。

 それから、明丸は川に流されて。誰かに助けて貰った後、そうだ。


「は、ハルトは? まさか、あいつ」

「大丈夫ですよ。ハルトさんも無事です」

「にゃはは。バカハルトにゃら、あそこで先輩達にお説教されてるにゃん」


 シナモンが指差す方向に首を動かす。確かに、ハルトも近くに居た。まだ顔色は悪いようだが、怪我などはしていないように見える。


「へー? それで、ハルトくんは足が痛いのに何で誰にも言わなかったのかなー?」

「そ、それは……皆に迷惑かけたくなかったし、少しでもユア達の助けになりたかったし」

「ほー。それはそれは立派な心掛けだけど、だからと言って死にかけるっていうのは……冗談にしては悪趣味が過ぎるんじゃない?」

「あー! ごめんなさい、本当に反省してます!!」


 あれは、今回集まった中で一番の年長者達のチームだ。姉妹だというエルフの女性冒険者二人と、剣を携える男性冒険者が、その場に力なく座り込んだハルト――流石に正座は免除されているらしい――を囲んで、先輩達がリンチ……ではなく、ありがたい説教をしているらしい。

 うん、しばらく放っておこう。


「はは、良かった。皆が無事で。いたた……」

「あ、大丈夫ですか? まだ横になっていた方が」

「いえ、平気です」


 痛む身体で何とか起き上がり、明丸は改めて自分が置かれた状況を確認しようと見回す。服はぐっしょりと濡れており、所々に土や草がへばりついている。細かい切り傷や打撲が出来てしまったようだが、それ以外に怪我はない。うんざりする程だるいが、もう視界も元に戻ったし頭痛もいくらか和らいだ。


「あの、俺……一体どうなったんですか? それに、あのドラゴンは?」

「ドラゴンはー、アキマルを川に落とした後すぐに魔界の方に飛んで行っちゃったにゃ。あいつらは頭が良いから、ケガが治るまでは巣から動かにゃい筈だし、そもそももうこの辺りには来にゃいと思うにゃん」

「それから、他のチームの皆さんも駆け付けてくれて。皆でアキマルさんを探したんです。すぐに見つけられて、良かった」


 ぐすん、とユアが鼻を鳴らしながら目元を指で拭う。ああもう、泣かせたいわけではないのに。


「そうだったんですか。すみません、心配をかけてしまって。でも、助けてくれてありがとうございます。いやー、マジで溺れるかと思いました。ユアさんって、泳ぐの上手いんですね。あの流れをものともせずに飛び込むなんて。俺なんてほとんど身動き取れませんでしたよ、ははは」


 出来るだけ明るく、能天気な感じを装ってみる。正直気が狂う程に怖かったし、なんなら怖いを通り越して逆ギレしてたけど。

 いやー、助かって良かった。


「……はい?」

「えっ、何ですかその反応」

「私……川には飛び込んでいませんよ? ここまで走って来たら、倒れているアキマルさんを見つけたので髪やお顔をタオルで拭いていただけです。そんなに泳ぐの、得意じゃないですし」

「そーにゃそーにゃ。アキマル、自力で川からここまでよじ登ってきたんじゃにゃいのかにゃ?」

「そ、そんな馬鹿な!」


 はっとした。明丸の服はまだびしょ濡れなのに、ユアやシナモンの服は乾いたままだ。でも、自分を助けてくれた誰かは絶対に飛び込んでこの手を掴んでくれたのだ。ならば、服や身体が濡れていないなんてあり得ない。

 ハルト達の方に目を向ける。でも、足の具合が悪いハルトはもちろん、他の冒険者達の中に濡れそぼった状態の者は居ない。

 一体誰が。我ながら、溺れていた状態で自力で岸まで這い上がれるとは思えない。だから誰かが助けてくれたのは確かだ。でも、そんなことが出来る人物なんて。


「そ、そういえば。ドラゴンを撃退してくれた人は、一体誰だったんですか?」


 そうだ。ドラゴンと対峙し、絶体絶命だと思ったあの瞬間。誰かがドラゴンを攻撃して助けてくれたじゃないか。声からして、多分男。その人物が、きっと明丸のことを助けてくれたに違いない。それに、確かに謎の声は明丸を呼んだ。

 『おにいちゃん』と。一体、なぜ。


「わかんにゃいにゃ。アキマルのことを探すのに必死だったからにゃん」

「そ、そんな」

「うう、お礼を言いたかったです。同行してくださった冒険者さん達の誰でもないようですし……通りがかりの旅人さんだったのでしょうか」 

「通りがかりって、こんな森でこんな時間に?」


 街中ならまだしも、こんな場所を偶然誰かが通りかかったりするのだろうか。釈然としない気持ちを持てましていると、明丸が目を覚ましたことに気が付いたらしいハルトが、半べそかきながら抱きついてきた。


「あー! アキマルー、ごめんなーおれのせいで!!」

「うわ、ハルト!? お、重い……くるしい」


 ぺしぺしと、抱き締めてくる腕を叩く。苦しい! ギブ、ギブ!


「あはは。災難だったな、アキマルくん。でも無事で良かったよ。ハルトも反省しているようだから、今回は許してあげてくれ。この埋め合わせは、街に戻ってからうんとワガママでも言うと良い」

「はは、そうします……へ、へっくしゅ!」


 先程までハルトに説教をしていた先輩の言葉に苦笑しながら、くしゃみを一つ。うう、今更だけど結構寒い。

 これは風邪を引くかもしれない。


「とりあえず、今回はこの辺りで引き返した方が良いわね。ハルトも限界だし、アキマルもずぶ濡れのまま連れ歩けないわ。ワタシ達が一緒に付いていくから、安全な場所まで戻って、そこで休みましょう」

「ああ、そうしよう」

「満月花は見つけられなかったけど、仕方無いわ。皆の身の安全が最優先だ。良いわね、ユア?」


 先輩冒険者達三人が、子供に言い聞かせるような口調でユアに言った。ややあって、ユアが渋々と頷く。


「……はい、そうですね。これ以上の無理は出来ません。全員揃って、帰りましょう」

「ユア……」


 すっかり落胆してしまったユアの肩を、シナモンが軽く撫でる。その場に居た全員が、同じ思いだった。

 ここまで来たのに。アレクを笑顔にしてあげたかったのに。何か、言葉をかけてあげた方が良いか。少し迷って、明丸が口を開きかけた。次の瞬間。


 ――へっくしゅ!


「……え?」


 あれ? なんかどこかから間抜けなくしゃみが聞こえたような。でも、誰もくしゃみなんてしていない。聞き間違い、か。

 それとも。川に飛び込んだりして身体が濡れていたら、くしゃみくらいしてしまうかもしれない。今の明丸のように。

 ……そして、そんな人物は一人しか居ない。


「も、もしかして!」

「アキマルさん!?」


 思わず立ち上がって、明丸がくしゃみが転がってきた方に駆け出す。身体中がズキズキと痛いし、びっくりするくらい気持ち悪いんだけど。でも、確かめなければ。

 だって、明丸を兄と呼んでくれる存在なんて、一人しか居ないじゃないか。


「明弥……明弥!」


 森の中へと飛び込み、目を凝らしながら必死に探す。明弥、居るのか?

 この手が届くところに、居るのか――


「明弥!!」


 でも。何度呼び掛けても、どれだけ探しても。明弥は居なかった。どこにも、居ない。当たり前だ、だってあの子は死んだのだから。

 虫の鳴き声だけの、静かな夜の森に思わず立ち尽くして。明丸は滲んだ視界を拳で乱暴に拭った。


「……そう、だよな。何してんだろ、俺」


 きっと、幻だったのだ。兄として、明弥に格好良いところを見せたかった。もう一度だけで良いから、笑顔で明丸のことを呼んで欲しかった。そんな願望が見せた、夢。


「戻ろう……あれ?」


 踵を返しかけるも、明丸は思わず足を止めた。何だろう、もう少し行ったところで何かがぼんやり光っている。

 蛍? それとも光る苔? まるで吸い寄せられるように、明丸はそちらへ歩み寄って。


 そうして、見つけた。


「え……もしかして、これ」

「コラー! 勝手に動くにゃって何回言ったらわかるにゃー!」

「アキマルさん! 探しましたよ、どうかしたんですか?」

「ユアさん、皆! あれ、あれを見て!」


 慌てた様子で駆け付けてきたユア達に、明丸が信じられない思いで光る地面を指差した。それは、蛍でも苔でも無かった。

 夜風に吹かれ、気持ち良さそうに揺れる小さな花。ぼんやりと発光するのは青白い花弁。まるで花弁の一枚一枚が、月光で紡がれて作られているかのように綺麗だ。

 他の特徴も、図鑑の内容と一致する。


「こ、これ……! これですよ、アキマルさん! これが満月花です!!」

「やった……やりましたね、ユアさん!!」

「うおー! やったにゃ、見つけたにゃ! シナモン、ハルト達にも知らせてくるにゃ!」


 シナモンが飛び跳ねるように走って行けば、すぐに離れた場所から歓声が上がる。たまらず明丸とユアも皆の方へ戻って、全員で喜びを分かち合った。


 ただ。結局、明丸を助けてくれたのが誰かはわからなかった。せめて礼を言いたかったのだが。満月花を大事に採取している間に、徐々に明るくなり始めた空を見上げながら、明丸はやるせなさにため息を吐いた。

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