第七話 多分、それはとても幸せな夢……か?
落ちてから思い知った。川の底は、明丸の足が付くかどうかというくらいに深い。ただ川底に立てたとしても、すぐに押し寄せる川の流れに足を掬われてしまっていただろう。
最後に水泳をやったのは中学生の頃だ。高校にはプールが無かったし、自ら海やプールに行くような性格じゃない。エステレラの海はとても綺麗だが、そういえばまだ近くでじっくりとは見ていなかったな。
運動はそれほど得意じゃない。水泳も、中学生時代にクロールで二十五メートル泳げる程度だった。でも、泳げるかどうかは関係ないと理解した。
こういう溺れる寸前の状況に陥った時、クロールの姿勢なんてとれない。ていうか、そもそも人は泳ぐとかそういう思考になんてならないのだ。
「ぶはっ! うわ、おおお……溺れる、溺れる!!」
腕をばたつかせながら何とか顔を出して、呼吸をする。水を吸った服が重く、泳ぐどころか身動きすることすら難しい。流れが相当速く、既にユア達の姿はどこにも見えない。
このままでは、彼女達とどんどん距離が離されてしまう。とにかく陸地に上がりたい。それが無理でも、せめて何かに捕まってこれ以上流されるのを阻止しなければ。
視界に見える、岩や水草を掴もうと手を伸ばす。でも、どれにも届かない。何かを掴むどころか、触ることさえ出来ない。空振り続けた手からは、次第に感覚が無くなっていく。水の冷たさに、体温が奪われ始めているのだ。
鼻の奥がきんと染みて、呼吸が出来ない。まずい、溺水の症状が出始めている。このままでは本当に溺れ死ぬか、それとも魔物に襲われるかのどちらかだろう。
「だ、誰か……だれ、か……たす、け」
無意識に口からぽろぽろと零れる言葉に、ふと考える。そんな余裕はどこにもないのだが、それでも考えてしまう。
そもそも、自分は死にたかった筈。あの時、仕事や何もかもが嫌になって。逃げ出したくなって、電車が迫りくる線路へと飛び込んだ。あれからまだ、三か月も経っていないのに。
この世界に来て。一度だけ、ワイルドボアに襲われて死にそうになったけど、ハルトとシナモンに助けて貰って。ユア達と共に、色々大変だけど充実した楽しい毎日を送ってきた。
でも、だからと言って生きることへの苦しさが無くなったわけでは――
「助けてえぇー! 死ぬうぅー!! いやだー! まだ死にたくないいぃ!!」
迷ったのは一瞬だけ。気がついたら、水を飲みながらも必死に助けを求めて喚きまくっていた。うるせえ、どうでもいい! 生きることが苦しいとか、ラクになりたいとか、知るかバーカ!! 自分がかわいそうかわいそう、って悲劇に酔っている場合じゃない。溺れてるんだから、このままでは本当にかわいそうなことになってしまう。
死にたくない! 死にたくない死にたくない!! やっと友達が出来たんだ。やりたいことが見つかったんだ。必要としてくれる人が出来たのに、力を貸してくれる仲間が出来た、誰かを助けてあげたいと思えるようになったのに。
それに、ユア。彼女に、まだ言いたいことがあるんだってば!!
「誰か、助けて……」
でも、現実というのはどの世界でも非情で残酷だと思い知った。バシャバシャと手足を動かしたせいだろう、口や鼻に飲み込めない程に大量の水が入ってしまった。
頭が痛い。身体中が痛い。しかも、次第に意識が薄れ、視界も歪み始める。
「……し、にたくない」
ついに、身体のほとんどが水の中へと沈んでしまった。死にたくない。手を必死に伸ばすけど、もう何かを掴む余裕なんか無かった。くそ、くそくそくそ! 決めたのに。今度はちゃんと生きようって。明弥との約束を守りたったのに。
明弥……ごめんな。俺、また約束を守れなかった。明丸が心の中で詫びて、自分の情けなさに目を閉じた、その時。
「――おにいちゃん!!」
懐かしい声が聞こえたかと思いきや、誰かが明丸の手を掴む。あれ、誰だろう? 誰かが川に飛び込んできたように見えたが。それとも、死を拒む余りに見た幻影か。
ぼやける視界の中で、辛うじて見えた金色。誰だろう、わからない。目を凝らそうとするも、身体の自由は既に利かず。明丸はそのまま、意識を手放すしかなかった。
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