第六話 実際のアトピーはちゃんと医師に相談するんだぞ!
でも、どうしてだろう。
この少年のことは、何となく放っておけない。
「そ、それは……その」
「……オマエ、なーんか怪しいにゃ」
もごもごと言葉を詰まらせる少年に、シナモンがそう言った。椅子から立ち上がり、左足でぴょんぴょんと跳ねながら少年の隣に寄ってくると、全身を舐めるように観察し始めた。
「う……あ、あんまり見ないで……」
「お、おいおいシナモン。初対面の人をそんなに見るな」
「そうですよ、シナモンさん! 流石に失礼ですって!」
「にゃー……でもでも怪しいにゃ、怪しいにゃ。このご時世に、そんなに濃い『魔力』を持っているだにゃんて、おかしいにゃ」
「魔力?」
はて、そういえばこの世界に来てからたまに聞くワードだ。魔力。ラノベ知識から察するに魔法を使う能力だとは思うが。
そもそも、ここって期待より全然魔法使わないんだよな。人間界だからかな。
「う、あ……そ、それは……すみません、やっぱりぼく帰ります!」
「ええ!? そんな、待って!」
シナモンの視線に耐え切れなくなったのか、大慌てで店から出ようと少年が逃げ出した。せっかくのお客さんだったのに!
こんの猫娘、あとでキュウリの刑だな。
「うわっ!」
「おっとと、すんません。大丈夫、ですか……って、あれ?」
追いかけるのは流石にやり過ぎかと思い、諦めようとしたその時だった。お店の前で、先ほどの少年と誰かの声が同時に聞こえてきた。誰か、の方も知っている声だ。
ユアに目配せして、二人で店の外へと出る。やっぱり。そこには驚いた様子で立ち尽くすハルトと、尻餅をついた少年の二人が居た。
ぶつかった衝撃にニット帽が脱げてしまったのだろう、鮮やかな金髪が露わになっている。
「あ、ハルトさん! どうしたんですか?」
「いやー、この子が急に出てきたからぶつかっちまってな。ていうか、この子……昨日の不審者じゃねぇか?」
「ふ、不審者じゃないです……いたた」
「大丈夫ですか!? お二人とも、お怪我はありませんか?」
ユアが急いで駆け寄り、少年の傍に膝をつきながら交互に二人を見た。ハルトの方は大丈夫そうだし、少年も腰を擦ってはいるがゆっくり立ち上がるところを見ると大事は無いらしい。
明丸も彼らに近寄り、脱げた帽子を拾う。特に何の変哲もない、普通のニット帽だ。
「だ、大丈夫です。すみません、ご迷惑をおかけしました」
「ああ、こっちも悪かったな……って、お前まさか」
「へ? ……あ! ぼ、帽子が」
服の裾を軽く払う少年が、焦りを露わに脱げた帽子を探す。うーん、これそんなに大事な帽子なのだろうか。
「帽子ならここにありますよ。どうぞ」
「ああ、すみません。ありがとうございます」
明丸の声に振り向いて、少年がこちらを見上げた。その時、はっとした。
彼を放っておけないと思った理由が、やっとわかったのだ。
「き、きみ。その顔、もしかして――」
「ふえーん! シナモンのこと、放置しないでにゃーん……って、あー! オマエ、やっぱり『魔人』だにゃ!?」
「うええ!? な、何でわかったんですか! こんなに頑張って隠してるのに!」
「あー!! 本当だ、魔人だ! 初めて見た!」
「まあ! 魔人の方にお目にかかれるなんて、光栄です」
片足ジャンプで寄ってきたシナモンを含めた、明丸以外の全員が共鳴する。ええ、急になんか置いてきぼりなんですけど。ユアまではしゃいでるし。
仕方がない。全員が落ち着くまで、明丸は大人しく待つことにした。
※
で、皆が静かになるまでに二十分ほどかかりました。
「お、大きな声で騒いですみませんでした……」
「い、いえ。元々は、挙動不審だったぼくが悪いんです。確かに、もうすぐ夏なのに普通はこんなに着込まないですよね」
改めて店の中に戻り、少年とシナモンを椅子に座らせて。ちなみにシナモンには『わたしは見ず知らずの少年をじろじろ見ました。嫌がっているのに止めませんでした。心の底から反省しています』という札を首から下げさせて貰った。お陰でちょっとは大人しくなってくれた。
で、話は少年に戻る。
「あの……魔人って確か、魔王と同じ種族だったような」
「ぎくっ」
「そうだぞ、アキマル。人間界で魔人と会えるなんてレア中のレアだぜ!」
「そうにゃ! 魔人はとっても少ないのにゃ。それでも、歴史に残るような大戦で何度も勝ち上がってはその威光を見せつけてきたのにゃ! カッコいいのにゃ!」
魔族の二人のテンションが高い。話を纏めると、魔王という存在が象徴するように魔人は軒並み能力が高いらしい。簡単に言うと、強いってことか。
人間にはわからないものの、魔族には個人が持つ『魔力』を感知出来るとのこと。魔人族には角も翼も無い為に、見た目は人間と大した違いは無い。二人が居なかったら、彼が魔族だなんて一生気が付かなかっただろう。
……っていうか、これ見よがしの「ぎくっ」って何。どうした。
「それに、魔人はとにかく美形揃いなのにゃ! ハルトじゃなくても鼻の下が伸びるのにゃ!」
「おれじゃなくても、って何だコラ」
「美形……」
改めて、少年を見る。どうやらもう観念したのか、彼は帽子もマフラーも外していた。確かに、美形だ。
緩く編まれた三つ編みは蜂蜜のような金色で、不安げな瞳は海よりも深い蒼。整った容姿は中性的で、少しでも乱暴に扱ったら壊れてしまうかのような儚さがある。なるほど、確かに圧倒される。
……でも、
「これは、酷い皮膚炎ですね。もしかして……かなり前からこの状態なのですか?」
少年の前で両膝をついたユアが、頬に触れる。そう、彼の顔にはその美貌を損ねるほどの酷い皮膚炎があったのだ。
痛々しいくらいに隆起した赤い発疹が、右の頬全体から口元、首の方にまで広がっている。こんなに暑いにも関わらず厚着をしているところを見ると、身体の方にまで続いているのだろう。
「はい……物心ついた頃から、ずっと。良くなる時期もあるんですけど、凄く痒くて」
「うーん……痒み止めのお薬なら、すぐにご用意できますが。アキマルさん、どうすれば良いと思います?」
ユアが立ち上がり、明丸の方を向く。確かに、皮膚炎が悪化する最大の原因は爪で掻いてしまうことで出来る傷のせいだ。だから薬で痒みを抑え、刺激を与えないようにすれば皮膚の炎症は収まる場合が多い。
……でも、
「ちょっと失礼……これは多分、アトピー性の皮膚炎だと思います」
「あとぴー? 何だにゃ、新しい魔物かにゃ?」
シナモンが不思議そうに首を傾げる。明丸は医者ではないので、流石に確定診断を下す能力は無いのだけれど。
物心ついた頃からある、そして軽快と悪化を繰り返すという彼の話からするに可能性はある。蕁麻疹や乾癬、白癬の特徴とも一致しないし。
それに、明丸にとってアトピー性皮膚炎はとても身近で見覚えのある病気だったから。
「元々持つ体質のせいで発症する、慢性的な皮膚炎のこと。きみは皮膚炎の他に、何か特定のものを食べたりした時に症状が重くなったりしないかな? もしくは、喘息とか花粉症とか別の病気を持っていたりしないかい?」
「えっと……特には、思いつかないです。でも、特に酷くなるのが今の次期です。もう……夜も痒くて、眠れなくて……薬も色々試したんですけど、全然効かなくて。うぅ」
「はわわ! な、泣かないで欲しいのにゃー!」
ぐすん、と鼻を鳴らす少年にシナモンが慌てた。ていうか明丸も焦った。
ただでさえ儚くて幸薄そうな雰囲気なのに、涙まで流されたら見ているこちらの心臓が張り裂けてしまいそうだ。
「アキマル、何とかならねぇか? なんか、こっちまで泣きそうなんだけど」
「うん、同意する……わかりました。それじゃあ、ユアさん。保湿剤と、それから……花粉症の飲み薬って用意出来ますか?」
「出来ますけど……痒み止めのお薬は?」
「アトピーに痒み止めの薬を使うと、症状が悪化する場合があるんです。下手に試すよりは、使わない方が良いでしょう」
アトピー性皮膚炎は外用療法が基本だが、効果が確認されているのは副腎皮質ホルモン剤と免疫抑制剤から作られたものだけ。その他の薬では、アレルギー反応を起こして悪化してしまうこともある。事実、本人がどの薬も効かなかったって言ってるし。
キルシの薬の中で、該当する薬を見つけるのは難しいだろうし。流石にそこまでの知識も技術も無い。
「今出来ることは、とにかく皮膚を落ち着かせることですね。かなり乾燥していますので、まずは肌を保湿すること。お風呂上りとか、乾燥が気になったら保湿剤を使ってね」
「は、はい」
「それから日常生活も気をつけないと。これ以上傷がつかないように、爪を短く切るように。痒くても掻かないで、氷などで冷やすようにする。それから過度に石鹸を使って洗ったり、逆に不潔にしないように。あとは、何より生活習慣を正してストレスを溜めないように気を付けること、ですかね。今の時期が一番酷くなるなら、花粉のアレルギーを持っていることも考えられますから、花粉症用の飲み薬で様子を見てみましょう。でも、飲み薬の方は少しでも合わないと思ったらすぐに止めてください」
「わかりました」
「アトピーは根気よく付き合っていかなければいけない病気です。何かあったら、またすぐに相談してくださいね」
「えっ、良いんですか?」
ぱあっと、少年の表情が明るくなる。良かった、やっと笑ってくれた。
何でだろう、この子の笑顔が凄く嬉しい。
「嬉しいです! ぼく、この顔のせいで周りから孤立してて……信頼出来る人も、頼れる友人も居ないから。相談出来る方が出来るなんて、夢のようです!」
「あはは。大袈裟だよ」
「にゃにゃ! それじゃあ、今からシナモン達と友達になるにゃん! シナモンは、シナモン・ダイフク!」
「お、それ良いな。おれはハルトムート・シナー。ハルトで良いぜ」
初めて見せた笑顔に、シナモンとハルトも笑う。そういう境遇なら、否、境遇も種族も関係ない。
困っている人、助けを求めている人、傷ついて苦しんでいる人全てを絶対に見捨てない。それが、薬局カナリスの決まりなのだから。
「俺はアキマル。きみより歳がかなり離れてるけど、気楽に接してくれて良いからな」
「私はユア。ユア・カナリスと申します。あなたは?」
「えっと、ぼくは……」
突然始まった怒涛の自己紹介に、おどおどしながら。少年は立ち上がり、ぺこりと小さく頭を下げた。
「ぼくは……えっと、アレク……です。よろしくお願いします、皆さん」
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