第七話 彼は今までの人生で、何よりも誰よりも大切な存在でした


 その日の夜。明丸はユアと共に作業場に籠って、店に並べる薬を一から作り直していた。

 軟膏やクリームを小瓶に詰め、わかりやすいようにラベルをのりで貼る。錠剤やシロップ薬も同様に、粉薬は一回分ずつ紙に包む。本当ならば薬作りを手伝いたいものだが、流石に複雑なガラス器具の類をすぐに扱えるとは思えない。あれを使いこなすには、相当な時間と練習、それから集中力が必要だろう。

 でも、こういう単純作業って結構好きかもしれない。それに何より、この薬が困っている誰かの元に渡って役に立ってくれるのでは、と想像するとやる気が尽きないものだ。

 そういえば、医療事務員の時もそうだった。患者と出来るだけ関わらないようにしていたものの、いざ直接話をして、それで感謝の言葉を言われた時の感動は今でも忘れられない。

 ああ、何だかとても懐かしい。あれほど考えるのも嫌だと思っていたのに、不思議なものだ。


「アキマルさんって、本当にお薬のことに詳しいですよね。どこかで専門的なお勉強をされてきたのですか?」


 外はすっかり暗く、ランプの暖かな光で照らされる部屋の中。ユアの声が明丸を呼ぶ。薬作りもひと段落したのだろう、こちらを向いた彼女がにこりと笑っていた。


「えっと……そう、ですね。ただ、ユアさんやキルシさんとは……何ていうか、種類が違うっていうか」

「ふふ、私達はほとんど独学ですからね」


 ほっ。上手く誤魔化せた。


「でも、アトピー……でしたっけ。アレクさんの皮膚炎について、とてもお詳しいなって思って」

「ああ、あれは……」


 ラベルを貼る手が止まる。これまで友人にも、同僚にも誰にも話したことが無い話だ。きっと死ぬまで、誰にも話すことなんて無いだろうと思っていたけれど。

 気が付いた時には、自然と言葉となって紡いでいた。


「あれは……弟も、アトピーだったんです。弟も、夜は眠れないくらい苦労していたのを知っていたから、めちゃくちゃ調べたことがあって。まあ、あの子の場合は背中とかお腹が一番酷かったので、服で隠せたからアレクくんより大分マシでしたが」

「弟、さん?」

「ええ。明弥って言います。十個も歳が離れていたせいか、俺……あの子のことが可愛くて仕方が無かったんですよ。気が弱くて、人見知りで。いつも俺の後ろをくっついてきて」


 ああ、思い出してしまう。ふにふにとしたほっぺに、小さな手。父親譲りの癖の強い髪に、母親と同じ口元の黒子。何より無邪気な笑顔とキラキラとした瞳は、今でも目を閉じれば鮮やかに蘇ってくる。


「まあ! そうだったんですね。アキヤさんは、何をされている方なんですか? 是非ともお会いしてみたいです」

「死にました」

「…………え?」

「弟は……明弥は、死にました。元々身体が弱くて、持病がいくつもあったんですけど……彼が八歳の時に死にました。薬剤性の肺炎でした」


 ユアの目が、皿のように大きく見開かれる。当時の明丸は十八歳で、進路を決定する大事な時期だった。

 そういえばあの頃、医者か薬剤師になりたいと思っていた。明弥の病気を全部治してやろうと、無謀にも本気で考えていたのだ。成績も優秀だったから、医学部を狙うことは不可能じゃなかった。

 でも、明弥が死んで。勉強も何もかも手に付かなくなって。成績がガタ落ちして。結局は医療事務の専門学校に行くことになったのだ。

 ……思えば、ユアの薬の扱い方が妙に気になったのは明弥のことがあったからか。まさか、命を助けてくれる筈の薬が原因で亡くなってしまうとは。

 薬に罪はない。病院に過誤はない。誰も悪くない。明弥の死は誰にも予測できなかった薬の副作用が起因となったもので、運が悪いとしか言いようがなかった。

 それゆえに、どこにもぶつけようのない怒りや、やりきれなさが今でも明丸を蝕んでいる。どうすれば助けられたのか、なぜ自分が身代わりになれなかったのか。そういうことを、ふとした瞬間に考えてしまう。

 そうだ、そうだよ。明弥じゃなくて、自分が――


「そうだったんですか……すみません、悲しいことを聞いてしまって」

「いえいえ、もう十年以上も前のことですから。あ、このブレスレットも明弥がお揃いで作ってくれたんですよ」


 ああ、いけない。悲しそうに俯くユアに笑いかけながら、手首にしたままのブレスレットを軽く揺らして見せる。病気のせいであまり外では遊べなかった明弥は、手芸が大好きだった。

 このブレスレットも、明弥が病室で作ってくれたものだ。明丸には赤と黒、自分は青と白のビーズで、お揃いで作ってくれた大切なお守り。

 我ながら女々しいと思うも、どうしても手放すことが出来なかった。まさか、異世界にまで持ってきてしまうとは思わなかったが。

 なぜだろう。この世界に来てから、明弥のことをよく思い出してしまう。


「だから、何となくアレクくんのことは放っておけなくて。彼、すごく悲しそうな表情でしたね」

「はい……魔人族の方は、誰もが強く美しいと憧れていますからね。アレクさんはあの皮膚炎のせいで、今までに辛い思いをされてきたのでしょう。何とかしてあげたいです……」


 しゅん、と肩を落とすユア。それは明丸も同じだ。アレクにはもっと自信を持って、堂々として欲しい。

 あんなに悲しそうな顔を見るのは、嫌だ。……でも、


「ユアさん、今はとにかくお店のことを第一に考えましょう。何よりもまずは、薬局の経営を立て直さないと」

「そ、そうですよね! アキマルさん、私……頑張りますね!」


 両手の拳をグッと握り締めると、ユアが再びガラス器具に向き直った。うん、そうだ。アレクのことも気にかかるが、まずは借金を返済しなければ。

 自分自身にそう言い聞かせながら、明丸もラベル貼りの作業に戻る。再び静寂が訪れたが、何とも心地の良い時間だった。

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