第五話 お薬は用法容量を守って正しくお使いください


「薬の怖さは副作用以外にもあります。例えば、風邪で発熱した時には風邪薬を飲みますよね? 風邪って、何が原因で引いてしまうと思います?」

「シナモン知ってる! バイキンだにゃ!」

「そう、ばい菌……つまり、細菌です」


 右手をピシッと挙げたシナモンに頷く。本当はウイルスが大半なんだけど、多分ウイルスって言ってもわかってくれなさそうなのでとりあえずは細菌で話を続けることにする。


「細菌も生き物なので、同じ薬を使っていれば耐性がついて進化します。そうすると、その薬を使っても症状を改善することが出来なくなる。薬というものは、使うことで病気を治すことが出来ますが、同時に細菌に進化させるきっかけを与えてしまっている。薬を使い続けていった結果、将来的にはどんな薬も効かない細菌が誕生してしまうかもしれない。それを避ける為には薬は最低限に、かつ適量で使っていかないと駄目なんです」

「ほへー! アキマル、やっぱり凄いにゃー? シナモン、さっぱりわかんにゃいにゃーん」


 パチパチと拍手するシナモン。ああ、柄にもなく熱く語ってしまった。でも、これは決して?彼女が褒めてくれるような凄いことではない。

 ぶっちゃけ医療従事者にとっては常識なんだよ! 事務員みたいな末端でも、こういうこと勉強してるんだから!


「うう……私、とんでもないことをしてしまっていたんですね……。ずっと、不思議に思っていたんです。どうしてお父さんは、あんなに沢山のお薬を作っていたのか……私は、一つの薬で効果が広いものを作れば便利だと思っていたんです。でも、それは間違いだったんですね……」


 床に両手をついて、がっくりと項垂うなだれるユア。良かった、わかってくれたらしい。

 でも。アキマルもその場に膝をつき、ユアを真っ直ぐに見る。


「ユアさん。あなたの薬を少しでも使いやすくしたい、という思いやりは素晴らしいです。その気持ちは何よりも正しく、間違ってなどいません」

「あ、アキマルさん」

「色々と偉そうに言いましたが、俺には薬を作ることは出来ません。ただ、少しだけ医学や薬学に詳しいだけです。それでも、俺はユアさんのことを助けたいと思っています。お手伝いさせてください。このカナリス薬局を、もう一度復活させましょう。かつての、お父さんが居た頃のように……街の皆に頼って貰える薬局に」


 そうだ。勉強し続けたとはいえ、明丸にあるのは知識だけ。それも、この世界ではどこまで通用するのかわからない。不安は尽きないし、自信なんか持てる筈がない。

 それでも、このままやらないなんて考えたくない。


 どうせなら、やるだけやって後悔したいと思えたから。


「はい……そうですね! このお店を、もう一度お父さんが居た頃のように、街の皆さんの拠り所になれるように。私、お薬のことを改めて勉強し直します。力を貸してください、アキマルさん!」


 細い両手に右手を取られ、驚く程に力強く握り締められる。なんだ。ハルトとシナモンが言っていた通りだった。

 今までの努力を否定されたにも関わらず、ユアは明丸を嫌うどころか、頼ってきたのだ。彼女の瞳に嘘はない。

 彼女は、本当に仕事が好きで、この店を守りたいと思っているのだ。


「ええ……もちろんです! 俺もこの世界の薬は未知の代物なので、色々教えてください!」

「わかりました! 私で良ければ、何でも……え、この世界の薬は?」

「はっ!? あ、い……いや、なんていうか今のは」

「にょほほ……お二人さん、良い雰囲気にゃねー? ユーたち、そのまま付き合っちゃえにゃ?」

「ぶはっ!?」

「ししし、シナモンさん!? なな、なに、何を!」


 ニヤニヤと、悪戯好きの猫のような笑みで茶々を入れてくるシナモン。思わずぱっと、二人同時に手を離した。


「あ、アキマルさんはそんな、私みたいなどんくさい女よりも、なんかこう……もっと綺麗でちゃんとしてる人との方が……って、何を言ってるんでしょう私! 忘れて! 忘れてください!!」

「にゃはは! ユア、顔が夕日みたいに真っ赤だにゃあ?」


 耳まで顔面を赤くしたユアに、シナモンが笑う。全く、どうして他人はすぐに誰かの恋愛事情をあれこれ詮索したがるのだろうか。面白い? それ面白い?

 と、とにかく。このままではユアが恥ずかしさのあまりに沸騰してしまいそうなので。何か、話題を変えなければ――


「……あ、あの。今日は、やってますか? お店……」

「え?」


 混沌カオスと化し始めていた空間に、控えめに転がる聞き慣れない声。誰だろう、と明丸が出入り口の方を振り向く。ユアとシナモンも、不思議そうな顔で明丸と同じ方を向いた。

 そして、見た。ドアを少しだけ開けて、店内の様子を注意深く窺う人物の姿が。そりゃあ、店内で男女三人が床に座ったままわちゃわちゃ騒いでたら入るの躊躇うよな。

 俺だったら絶対入らない。見なかったことにする自信がある。


「……あ、あー! オマエ、昨日の不審者だにゃ!!」

「ええ!? ふ、不審者じゃないですよ。ぼくは、その……」


 ニット帽を目深にかぶり直して、その人物はマフラー越しにもごもごと喋る。そうだ。昨日、薬局カナリスの前に立っていた人だ。相変わらず、肌が少しも見えない程の厚着でモコモコしている。

 でも、声と口調からすると結構幼いのかもしれない。多分、少年と言って良いだろう。


「はい、開いていますよ。あ、でも……」


 ユアが不安そうに、明丸の方を向いた。


「あ、アキマルさん。どうしましょう、お薬……私が作ったのは、使わない方が良いですよね?」


 こそこそと、ユア。明丸の話を聞いたばかりだからか、流石に自分の薬を渡す気にはなれないらしい。


「あー、そうですね。……でも、せっかく来てくれたお客さんだから。ちなみに、キルシさんのお薬ってすぐに作ることって出来たりします?」

「えっと、物によります」

「そうですか……それなら、とりあえずお話だけでも聞いてみましょう。今日中が難しかったら、後日取りに来て頂くようにお話も出来ますし」

「わかりました。とりあえず、まずはお話ですね!」


 二人で頷いて、再び少年の方に向き直る。じとっと睨んでいるシナモンから、必死に目を逸らそうとしていた。

 やめてあげろよ! お客さんだぞ!


「お待たせしました。本日は、どのようなお薬をお求めですか?」


 可憐な営業スマイルで、ユア。薬局に舞い降りた天使に、少しは心を許してくれたのだろう。俯きながらも、少年がぽつぽつと喋り始めた。


「えっと……肌荒れ、っていうか……かゆみを抑える薬って、ありますか?」

「痒みですか、もちろんありますよ。すぐにお作り出来ますので、お時間頂きますが」


 チラチラと視線を感じる。なるほど、軟膏やクリームの類はすぐに作れるらしい。そういえば、今日はクリームを魔改造していたのだから、すぐに作成する準備が出来ているのだろう。

 ……でも、少し気になる。


「あの、失礼ですが……どこがどう痒いか教えて貰えませんか?」

「えっ、ど……どうして」

「皮膚炎にも色々な原因があるので。何かを食べたり飲んだり、触ったりした時に痒くなるのか。それとも、虫に刺されたりしたのか。それぞれの原因で薬は変わってきますので、より詳しい症状を教えて頂ければ効果の高いお薬をお渡し出来るのですが」


 自分でも驚く程に、自然と少年に話しかけることが出来た。今までの、否……病院の医療事務員だった時からは考えられない行動だ。あの頃は、出来るだけ患者とは関わらないように過ごしていたくらいなのに。


 

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