第二話 まあ、ざっとこんなもんっすよ……
ルサリィの森は、エステレラから内陸部に向かって一キロも離れていない場所にあった。というより、自室から少し遠くに見える森こそがルサリィの森だと今更ながらに知った。
足を踏み入れてみた印象としては、前の世界で子供の頃に学校のキャンプか何かで行った森と大して変わらないように見える。ふかふかとした地面も、ちらちらと揺れる木漏れ日も何となく懐かしい。
街の喧騒は遠く、静かで鳥や虫の声しか聞こえない。エステレラでも感じていたことだが、空気が新鮮で美味しい。
身体の中から洗われるような感覚。気持ちが良くてたまらない。
「さて、じゃあ早速……お、これかな」
目当ての薬草はすぐに見つかった。紫色の小さな花。書き込まれたメモにある通り、根っこごと引っこ抜いて土を丁寧に払う。草や花は免疫力を向上させる飲み薬に、根っこは皮膚炎に効く塗り薬になるらしい。
他にも鎮痛効果がある花や、抗炎症作用がある木の葉など。一つ一つ、図鑑と見比べて慎重に見比べては大事に籠へと入れる。前の世界では、秋頃になるとよく毒キノコを食べて救急車で運ばれて来る患者が多かったことをふと思い出す。
最終的にはユアに確認して貰うものの、出来るだけ間違いは避けたい。今回はわかりやすいものだけに止めて、他のものはこれから学んでいくしかない。
「ふう。この辺りのものは大体採ったかな。うーん、スペース的には半分くらいか」
リュックから水筒を出し、水分補給がてら木陰に座って一休みしつつ。まだまだ籠には余裕がある。でもこの辺り一帯の薬草は採ってしまったらしく、見回してみてもそれっぽい植物はもう無い。
昼からのバイトのことを考えれば、早めに引き返した方が良いのだけれど。
「……ユアさんに、喜んで貰いたいしな」
よし、決めた。帰るのは、この籠をいっぱいにしてからだ。水筒をしまいリュックを担ぎ直し、図鑑と籠を手に森の奥へと向かう。奥に行けば行くほど、生い茂る草木の背が高くなり歩き難くなる。
気温も高くなってきた。拳でいくら拭っても、額の汗が止まらない。森の中で迷わないように意識しつつ、目当ての薬草を探し続ける。世話になってるユアの為に、彼女の笑顔の為に。……そう。全ては、明丸の不注意のせいだった。
――突如、布を切り裂くような咆哮が森中に響き渡る。
「……え?」
何だ、今のは。考える間も無かったし、都会育ちの明丸にとっては縁遠い代物だ。否、前の世界で生きている者が直面する事態ではまずあり得なかった。
野生動物――否、『魔物』に襲われるだなんてこと!
「ひいっ!? ななな、なんだこいつら!!」
明丸と同じくらいの身体に、真っ黒な毛皮。真っ赤にぎらつく禍々しい双眸に、マンモスか何かのような鋭く巨大な一対の牙。
強靭な蹄で、地面を削るように掻く。何これ! イノシシ!? 十メートル程先で、明らかに明丸を狙っている。
「来るな、来るな……」
恐怖に尻餅をつき、そのまま立ち上がることも出来ずに後退る。そうだ、忘れていた。というより、あまり意識していなかった。
恐ろしいとは思っていたものの、どこか現実味が無かった。だって、魔物なんて明丸にとってはラノベとかゲームとか、そういう二次元の生き物だったし。魔族達とは知り合いになったが、それでも魔物を見たのは今回が初めてなわけで。
明らかに普通のイノシシじゃない、色合い的に。そして、デスクワークを生業としていた明丸ではきっと逃げきれない。
っていうか、そもそも足に力が入らない。立ち上がれたとしても、歩くことすらままならないだろう。
頭に蓄えてきたありったけの知識をかき集めるも、何のアイデアも浮かばない!
「ど、どうしよう。こここ、こういう時って鈴とか!? そんなもんないし! 何か臭いが出るもの、とか……ひいぃ!」
悪いことは続くものらしい。イノシシの後方に、もう一頭居るのが見えた。よくわかんないけど、とんでもなく殺気立ってるのだけは伝わってくる。
何で! まさか、こいつらの巣とか縄張りとかに入っちゃったのか!?
「助けて……だれか、たす……け、て」
武器になりそうなものは何もない。木の枝くらいならあるが、それで立ち向かえる程、明丸は馬鹿でも勇敢でもない。
だめだ、殺される!! 再度轟く咆哮と、物凄い勢いで迫りくる巨体。反射的に目をぎゅっと瞑った。きっとあの巨体に吹っ飛ばされて、蹄で踏み付けられるか牙でぶっ刺されてしまうのだろう。
心臓が、痛いくらいに鼓動する。
「嫌だ、こんなところで……」
考えてみれば、死ぬのは二回目だ。死んだら、またサリエルに睨まれるのだろうか。命を粗末にしやがって! って蹴られるだろうか。
それとも、今度こそ終わってしまうのか――
「にゃはははー!! 今夜はイノシシ鍋かにゃー?」
「……え」
予想だにしていなかった。もうすっかり聞き慣れた声が飛び込んできて、明丸は思わず目を見開いた。恐怖で涙ぐむ視界に、すぐそこまで迫っていたイノシシの巨体。そして、そんなイノシシに飛び掛かる少女の姿。
「にゃっほーい! ハールト、早く来にゃいとシナモンが手早くちゃちゃちゃっと終わらせちゃうにゃよー!?」
両手にナイフを握り、空中で踊るようにイノシシを斬り刻むシナモン。耳をつんざく断末魔は、イノシシが絶命したことを意味しているのだろう。
「し、シナモン? なんで、ここに」
「鍋だけじゃねぇな、ステーキとトンカツも追加だぜ!」
迫りくるもう一頭が真横に大きく吹き飛ばされ、そのままあっという間に事切れた。弾丸のように距離を詰めたハルトが、愛用の槍で巨体を貫いたのだ。
獣臭さと、血生臭さが森の空気と混ざり合う。先程までの静寂がようやく戻ってきたものの、今までの景色とはまるで別物だ。
「……イノシシのカツって、トンカツで合ってるのかにゃ?」
「うーん……ま、似たようなもんだろ、気にすんな」
緊張感の欠片もない、いつも通りの二人の会話。凄惨な景色との噛み合わなさに、頭痛がしてきそうだ。
「えっと……二人とも、何で」
どくどくと跳ねる心臓が、少しだけ落ち着いてきた頃。明丸が力無く、二人に問い掛けた。どうして、二人がここに居るのだろう。
確か、海岸部で魔物退治に参加すると言って別れた筈なのに。
「…………」
「…………」
「えっ? な、なんで無言?」
いつも表情豊かな二人が、全く何も喋らずに無表情で明丸を見下ろしている。え、何か怖い!
「……アキマル、正座」
「は?」
気まずい沈黙の後、最初に口を開いたのはハルトだった。でも、今……彼は何て言った? 正座って言いました?
正座? それとも星座? 双子座です。
「アキマル、正座! お説教だにゃ!! お説教聞く時は正座って相場は決まってるのにゃ! にゃー!!」
「は、はいぃ!」
普段とは別人のような威圧感に、明丸は慌てて正座に座り直した。っていうか、正座という文化がこの世界にもあるんですね!
「よーしよし。アキマルさあ……この森には魔物が出るって、言ったよな?」
「はい……聞きました」
「この森の魔物、見ての通りそんにゃに強くにゃいけど……武器も持ってない人が一人で入るなんて、命取りもいいところにゃ」
「すみませんごめんなさい反省していますこちらの不手際です危機感が無かったです。ヒヤリハット報告書は帰ってからすぐに提出します」
二人が明丸の前でしゃがみ、鋭い視線を注いでくる。傍からはヤンキーに絡まれているように見えるかもしれない。
うう。怒られた。世界が変わっても怒られるだなんて。
……でも、これは。今までとは違う。
「ひやり……? よくわかんねぇけど、とにかく今後は一人で森に入ろうだなんてするなよ。今回はおれ達が追いかけて来られたから、まだ良かったけど」
「そうにゃ! もしもシナモン達が気が付かなかったら、アキマルは今頃ズタボロのボロ雑巾になってたにゃ! トモダチがそんなことになったらダメにゃー!」
こんな風に……明丸のことを思って叱って貰えるなんて、初めての経験だった。
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