第六話 ただ、彼女に喜んで欲しいのです


 夜。ハルトとシナモンは夕飯前に帰って、ユアと二人で食事を済ませた後。風呂にも入って、あとは寝るだけとなったところで、明丸は自室の本棚を眺めていた。

 運び込まれた時からそのまま使わせて貰っているこの部屋も、服も、ベッドも。ほとんどがユアの父親であるキルシ・カナリスのものだ。既に部屋の主は居らず、好きにして良いと言われたので有り難くその通りにさせて貰っていたのだが。いや、借金返済が終わったら相応の対価は支払うつもりだけど。

 部屋の備品の中で今まで手をつけていなかったものが、一つだけある。本だ。ただ一つとは言っても、一冊だけという意味ではなく。天井まで届く高さの本棚にぎっしりと詰め込まれて、壁の一面を独占している。果たして何冊あるのやら。気にはなるものの、数えるのは早々に諦めた。

 キルシは読書家だったらしく、小説や旅行記など色々な本が置いてある。明丸も読書は好きな方だし、割と面白そうなものもあるが……それはまた今度の楽しみにするとして。


「えっと……薬草の辞典とか、図鑑みたいなのは……お、これかな」


 上の方にあった本を何冊か引っ張り出し、机へと持っていく。少しだけ日に焼けた、古い本特有の埃っぽい匂いが鼻を突く。

 最近は電子書籍ばかりだったから、こういう本は懐かしい。


「えーっと……あ、これがユアさんがよく使ってる薬草か。何々……紫色の小さな花を付けていたら採り頃なのか。へえ……想像していたよりも、結構わかりやすいかも」


 ぱらぱらと本を捲っては、目印代わりのメモ用紙をページに挟んでいく。ユアの為に、少しでも役に立ちたい。だから、明日はエルの庭でのバイトが始まる前にルサリィの森へ行ってみようと思ったのだ。

 そして、少しでも薬草を採ることが出来れば。借金返済に一歩でも近づけるかもしれない。


「よし、こんなものか。……それにしても、凄い書き込みだな。キルシさんって、本当に勉強熱心だったんだな」


 余白にびっしりと書き込まれた、ちょっと癖のある文字の数々。『似たような毒草があるから注意』やら、『夜には花を閉じてしまうので、採取は日が出ている時間。午前中がベスト』などなど。これは、明丸が今までにしてきた資格試験や受験の為の勉強とは全くの別物だ。

 薬師という仕事と真摯に向き合って、楽しんで、そして努力し続けた証。その集大成が、かつての薬局カナリスにはあった筈なのに。


「……はあ。やるせないな、なんか」


 いや、弱音を吐いている場合ではない。今は、自分に出来ることを精一杯にしなければ。明丸は本を机の真ん中で静かに重ねると、明日に備える為にランプの火を消してベッドの中へと潜り込んだ。

 ちゃり、と手首でブレスレットがシーツと擦れる。すると、どこからともなく懐かしい声が聞こえてくるよう。


『おにーちゃん。これ、あげる。あきやが作ったんだよ? おにーちゃんがどこにいても、元気でいられるためのお守り! 絶対に失くしちゃ駄目だからね? 約束だよ!』

「明弥……兄ちゃん、少しは頑張れてるかな?」


 記憶の中にしかいない、弟に問い掛ける。答えは聞こえなかったが、無邪気で大好きだった笑顔で頷いてくれたような気がした。

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