第六話 遺産相続すると連帯保証人も付いてくるシステムやめて!


「あの……ユアさん。俺、明日にでも仕事探して、お金を貯めて出来るだけ早く一人で暮らせるようにしますから。それまで、ご迷惑になると思いますが……少しだけ居候させて貰っても良いですか?」

「え? もちろん構いませんが……そんなに気にしなくて良いんですよ。私の家、一人で住むには広くて寂しいですし。お部屋も余ってますから」


 太陽も傾き始めた帰り道。明丸はくしゃくしゃとした決意を何とか固めて、ユアに宣言した。

 当面の目標はヒモの脱却、それから自立だ。


「いや、駄目ですよユアさん。俺が自分で言うのもなんですが、若い女の人がどこぞの馬の骨ともわからないような男を家に入れて養うだなんて!」

「はう……で、でも」

「とにかく! 出来るだけ早く出て行けるようにしますので!」


 羽毛のように柔らかく、蜂蜜のごとく甘い誘惑をなんとか振り切る。街を案内してもらってわかったことだが、ここには職業安定所という気の利いた施設は存在しない。就労に関する支援とかも無い。

 つまり、仕事が見つかっていない以上、家を借りることも出来ない。だからしばらくはユアの申し出を有り難く受け取りつつ、早めに一人暮らしをしなければ。

 大丈夫。今までと同じだ。


「アキマルさんがそう仰るなら……でも、何か困ったことがあれば、遠慮せずに言ってくださいね?」

「はい。えっと、ユアさんも……あ、いえ。何でも無いです」


 風に靡く髪を押さえながら、微笑むユア。彼女は本当に優しい。今までの何が彼女をそう形作ったのかはわからないが、危なっかしいくらいに親切な人だ。

 そんな彼女に、何かしてあげたい。でも、自分に出来ることなんか何もない。


 道武明丸は、自殺を選ぶくらい無力な人間なのだから。


「それじゃあ、アキマルさん。お金が貯まるまでの間ですが、よろしくお願いしますね。まずは、お部屋の整理をしましょう? 定期的にお掃除はしているのですが、何か足りないものがあるかもしれませんし」

「そうですね。それじゃあ――」


 ユアが薬局カナリスの前で足を止め、二階を指さしながら提案する。アキマルも頷き、彼女に続いて中へと入ろうとした。

 その時、だった。


「どーもどーも、カナリスさん。おんやぁ? そちらのお兄さんはハジメマシテ、ですねぇ。お友達ですかぁ?」


 コツコツと、杖をつきながら何だか粘着質で厭らしい声がユアを呼び止めた。びくりと肩を跳ねさせて振り返る彼女に、アキマルもつられてそちらを見やる。

 ひょろりとした体躯に、蝙蝠のような翼。ヤギの角を頭に生やし、ぎょろりとした双眸で不気味に笑っている。緑色の髪に、やたらド派手なタキシードのような服に、金色の杖が目にしみる。

 背後には男が二人。やはり似たような翼と角。どちらも明丸が見上げる程に背が高くガタイが良い。

 ていうか、双子かなって思うくらいそっくりなんだけど。


「あ……アンドレアルフス、様。こ、こんにちは」

「あんど……? えっと、ユアさん。お知り合いですか?」


 アンドレアルフス。何だか聞き覚えのある名前だが、こんな男は確実に知らない。街では見なかった男だ。

 それに、今まで誰にでもフレンドリーだったユアが明らかに怖がっている。


「おやおや、お兄さんは旅行者さんですかぁ? それなら、自己紹介からハジメマショウ。ワタシはジョナン。七十二柱が一つ、アンドレアルフスの座を頂いた者デス。魔王セトの命令を受け、エステレラの守護を任されている者デス。アナタは?」

「あ、明丸です。あの、七十二柱って……もしかして、悪魔の?」

「ええ、そうデス。あ、後ろの二人は気にしないでください。彼らはウオとサオ。ワタシの部下デス」


 男、ジョナンが不気味な笑顔のまま明丸に言った。そうだ、街で少しだけ聞いた。天使と対になる、悪魔という種族。彼らは魔族の一種で、特に七十二柱という階級に属する者はずば抜けた能力と権力があるのだとか。

 ということは、彼はアンドレアルフスという階級を与えられたものということ。お偉いさんだ。現代社会で言うところの、市議会議員みたいな?

 あと、後ろの二人は双子だ、きっと。名前的に。


「ええっと、そんな方がどうしてこんなところに?」

「カナリスさんにご用がありまして。実はワタシ、魔王陛下の命令とは別にお金のビジネスにも携わっておりましてね。簡単に言うと、お金を貸しているんです」


 再び、ジョナンがユアの方に向き直る。


「覚えてますよねぇカナリスさん? 返済期限、先月末までだったんですけど?」

「う……あ……」

「もう散々期限を延長しておりまして。流石にこれ以上は厳しいと言いますか、ワタシも我慢の限界と申しますか」


 ジョナンの言葉に、ユアの顔がさあっと青ざめた。カタカタと小さく震え、尋常じゃないくらいに怯えている。


「元々はカナリスさんの『借金』じゃないことは、ワタシも重々承知しているんですよぉ。でも……契約者が失踪して、連帯保証人であったキルシさんも亡くなってしまった為に、返済責任は遺産を相続したアナタに移ってしまった」

「うぅ……」

「ワタシ、こんな顔していますけど鬼ではないので……今からでも、キルシさんの遺産を全て放棄するなら、借金は帳消しにしてあげますよ。つまり、このお店と家を手放して貰えれば――」

「そ、それだけは出来ません!」


 ユアが両手を大きく広げて、店を庇うようにして立った。肩はまだ震えているし、目からは今にも涙が零れそうだ。


「このお店は……薬局カナリスには、お父さんとの思い出がたくさん詰まった、大切な場所なんです! 私の、たった一つだけ残った……だから、だからお願いします! もう少しだけ、返済を待ってください! お願いします!!」


 頭を深々と下げるユア。そうか、ウーヴェが漏らした『借金』の意味が分かった。そして、それがきっかけで彼女が苦しんでいることも知った。

 手放すことは出来た。全てを捨てて、この街ではないどこかでやり直すことも出来ただろう。でも、ユアはその道を選ばなかった。


 彼女にとってこの店は、明丸が想像出来ないくらいに大切な場所なのだから。

 

「……はあ、やれやれ。そう言うと思っていましたケド。残りの借金、アナタ一人で返せるとお思いデスカ?」

「そ、それは」

「聞くところによると、このお店……全然流行っていないみたいデスネ? 毎日暮らしていくだけでも厳しいとお察しします。それにね、カナリスさん。大人の世界では、返ってくる気配のないお金を何もせずに延々待ち続ける、なんてことは出来ないんですよ」


 ジョナンの声が一変した。ねとねととした厭らしさが消え、冷酷な悪魔そのものに。


「……アナタ自身を怪しいお店に売り払わないだけでも、感謝してクダサイネ。ウオ、サオ。このお店、今すぐ差し押さえなさい」

「ハイ」

「了解」

「そんな! お願いします、アンドレアルフス様!」


 ウオとサオが――どうしよう、シリアスな場面なのにどっちがウオでサオなのかわからない!――ジョナンの前に歩み出る。片割れがユアの腕を掴み、もう片割れが店へと入ろうとドアノブに手を伸ばす。

 どうする。助けて貰ったとはいえ、明丸は完全に部外者だ。このまま呆気に取られ、事の成り行きを見守ることも出来る。そして、そうしないことも出来る。


 ……でも、


「俺に……出来ること、なんか」


 何もない。何も出来ることなんかない。こんな惨めで非力な自分に、出来ることなんか――


『おにいちゃ……やくそく、ぼくの……あきやのぶんまで……』


 ああ、どうしてこんな時に明弥のことを思い出してしまうんだろう。小さくて、冷たい手の感触が蘇ってしまうんだろう。


 彼の最後の願いに、縋ってしまうのだろう。


『あきやのぶんまで……かっこよく、生きて』


「ッ、まっ……待ってください!」


 らしくないどころか、明丸という人間から考えればあり得ない行動だった。ユアを捕まえる腕に掴みかかり、武骨な手を何とか彼女から引き剥がすことに成功した。

 そしてユアとジョナン達の間に割り込んで、ユアと店を庇う。相手は三人の男。取っ組み合いになったら絶対に勝てないことは明らかなのに。


「わ、あ……アキマルさん?」

「はあー? 何なんデスカ、アナタ。関係ないでしょう、ジャマしないでくださいよ」

「か、関係は……」


 明らかに機嫌を損ねるジョナン。うう、他人が不機嫌になるだけで怖気づく自分が嫌だ。小物過ぎる。

 でも。それでも、引くわけにはいかない。約束したんだから。


「関係は、あります。俺、これからしばらくこの薬局カナリスでお世話になる予定だったので。今のお話、聞かせて貰いました。ユアさん一人で返せない借金なら、俺も協力します!」

「ええ!?」

「ほほー! アナタ格好良いデスネェ。ふむ、ちょっと感動シマシタ。それならば、これが最後のチャンスです」


 ウオとサオを下がらせ、ジョナンが明丸の前まで歩み寄る。魚みたいなぎょろっとした目が怖い。


「アキマルさんの男気に敬意を表して、三か月だけ期間を延長しましょう。三か月後にまた来ますので、それまでに『一千万リレ』を用意しておいてクダサイ。もしも、その時までにお金を用意出来なかったら……今度こそ、このお店を差し押さえさせて頂きますので。よろしいデスカ?」

「……わ、わかりました」

「それではアキマルさん、この契約書にサインを」


 まるで手品のように、何もないところから巻紙を出現させて。もしかして、これが魔法かと若干感動しつつ。目の前に差し出された羽ペンで契約書にサインを綴った。

 これでもう、後戻りは出来ない。


「はい、確かに。それでは、三か月後にまたお会いしまショウ。行くぞウオ、サオ」


 踵を返し、立ち去る三人。今になって感じる寒気に、ぶるぶると震える指先。大変なことをしてしまったとショックを受けつつ、不思議と後悔は無かった。むしろ、満足感まであるのだから人間というのは不思議だ。


 怒涛の一日が終わり。こうして道武明丸の異世界生活兼、借金返済生活が始まったのだった。

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