【番外編1/3】泥棒市の姫と魔術師


 森の泥棒市に私がふたたび足を踏み入れたのは、ラスティの妻となってひと月と半分ほどが過ぎた、夏の終わりの頃だった。シファードから何度か運ばれてきた荷のおかげで新居に籠もっていられたけれど、外の世界を感じたくなって彼に頼み込んだのだ。


 露天の並ぶ通りは、以前来たときより人も店も多い。今はちょうど正午ごろのはずだから、時間も関係しているのかもしれない。貧しい身なりの者の多いどこか荒れた雰囲気の場所だったけれど、独特の活気や嗅ぎなれない食べ物の匂いが物珍しく、私の心を浮き立たせてくれた。


 でもそれもほんのしばらくのこと。

 

「おい見ろよ……あれ」

「森にいるって本当だったのか」


 少し歩くと、市場の者や客たちが私たちに視線を飛ばしながら、こそこそと囁きあう声が耳に届きはじめた。恐らく私のことを話している単語を、耳が拾う。


 白い顔、話すと死ぬ女、不吉、はやく帰れ……。


 覚悟はしていたとはいえ、こんなにあからさまだなんて、不快だわ。話すと死ぬってなによ、馬鹿らしい。こんな声に負けたくない。ぎゅっと唇を引き結んで顔を上げると、向けられていた視線のほとんどは白々しくそっぽを向いた。フードも外してやろうかと手をかけた瞬間、馬を引きながら前を歩いていたラスティが私を振り返って呆れ声をあげた。


「やめろ、面倒ごとを起こすな」

「なぜ私が顔を出すのが面倒ごとになるのよ?」

「野次馬どもがお前を見に集まってくるからだ」


 ぼそ、ともらされた言葉に、沢山の視線に晒される、見せ物になった自分を想像した。嫌だ。フードから手を離すと、ラスティの顔も前に戻っていった。

 

「ねえ、今どこに向かっているの?」


 気分を変えようと足を速め、ラスティに並んで尋ねる。


「肉屋だ」

「前に訪ねた店かしら」

「そうだ。干し肉を買う。お前は、体調は変わりないか? あそこを離れるのは久しぶりだろう」

「大丈夫よ。馬を降りる前に魔力を分けてもらったばかりだもの」


 気遣ってもらえたのが嬉しくて、微笑んで彼を見上げると、なぜか近くで潜めた驚きの声が複数あがった。なにかしら。気になって横を向くと、乾燥した豆を売っている店の店主と目が合った。私と同じ年くらいの、日に焼けた茶色い髪をした粗末な身なりの男。目を大きく開いて私を見ている。

 いつまで見るの。横にいた妻らしき女はすぐに私に背を向けたのに。むっとして目を細めると、男は慌てて俯いて、袋に詰まった豆を手でならして整えはじめた。


「どうした?」


 ラスティが、顔を私に寄せ囁く。


「なんでもない。あら、見て、あの水差し綺麗。細工がいいわ」


 地面に敷かれた布の上に色々なものを並べた店があった。マント、靴、木桶に石板、木の皿に小刀。そんな雑多な品物の中に注ぎ口の形が繊細な、陶器製の水差しを見つけたのだ。


「お目が高い、これはいいものだよ」


 すぐに店の主人がもみ手をしながら近づいてきた。この男は私たちが何者か知らないのだ。周りの者たちの視線を感じる。私に話しかけたこの壮年の店主が、突然ばったりと倒れ死ぬかどうか確かめようとしているみたい。

 なら、一言ふたこと言葉を交わして、私が死を呼ぶ女ではないと知らしめてやらなければならないわね。薄く口を開き、そっと息を吸った。なんと言おうかしら……。


「盗品だ」


 と、ラスティの冷静な声が私と店主の間に割って入ってきて、口から出かけていた言葉は行き先を失った。

 盗品、確かに、それでこの無秩序な品揃え。


「テメエ、なんだ不躾に、ここをどこだと思ってる」

「水差しなら家にあるだろう」


 ラスティは突如凄んできた主人には答えず、私を見下ろし言った。ええそうね、確かにうちにも水差しはある。


「うちのは持ち手の縁が欠けているじゃない、昨日手を切ったのよ」

「切った? どこをだ」

「もうとうに治したわ」


 私の手を取ろうとするラスティから腕を振って逃れながら、もう一度店の水差しを見た。やっぱりきれい。


「持ち手に傷があるものを使うのは危ない、いつ割れて落とすかわからないよ、お嬢さん」


 私の視線に気がついたらしい主人が、体を私の方に向け話し出した。この男、ラスティは無視すると決めたようだ。


「それにこれは軽い、よかったら持ってみるといい、ほら」


 差し出され、心が揺れた。これは恐らく盗品。でもそれなら今使っているものだって出所はわからない。日用品のほとんどは、ラスティが盗賊のねぐらを奪ったとき、すでにそこにあったものを使っているのだもの。


「よせ、いらん。金がない。銀貨二枚は取るだろう」


 伸ばしかけた手を、ラスティに止められた。店主との会話も奪われてしまう。


「銀貨五枚だ」

「馬鹿にするな、五枚の価値がないことくらいわかる」

「は! 五枚だ、一枚たりともまけねえからな」

「そうか、銀貨五枚も持っていない。水差しなら帰って物置を探せばすむ、行くぞイルメルサ」


 目の前でラスティと店主がやり取りするのを、見ているしかできないのが歯がゆい。銀貨一枚がどのくらいの価値なのか、そんなことすら私にはまだよくわからないのだもの。わかったのは、今私たちは銀貨五枚は持っていないのだな、ということくらい。


「ち、冷やかしかよ! ……ん、イルメル……」


 私たちに金がないと知るやいなや舌打ちをした店主は、わざとらしく水差しを私から遠ざけるように奥の方に置いた。置きながらぶつぶつつぶやいていた言葉と動きが途中で止まる。


「イルメルサ……?」


 私の名前をつぶやいた店主は、そのまま凍りついたように動かなくなった。少し面白いと思ったのは許して欲しい。


「なにか?」


 名を呼ばれたので気取った調子で返事をしてみた。店主の肩がびくりと震え、でも、それ以上の反応はなかった。


「行くぞ」

「あ、待ってラスティ!」


 通りを奥に歩きはじめる素振りをラスティが見せたので、慌てた。


「ここでひとりにしないで」


 前に置いて行かれたとき、ならず者たちにさらわれたのを忘れたの? ぴったりと彼に身を寄せ囁くと、ラスティの大きな手が私の指を探し、握ってきた。


「そうだったな」


 手をつなぐなんて。


 周りに見られているかもと思うと、恥ずかしさで頬が熱くなった。けれど、ラスティは平気な顔をしてそのままどんどん道を奥に進んで行く。大きくて温かな彼の手のひらから、静かに魔力が送り込まれ続けてくる。それで私は息も切らさず、長い道のりを立ち止まらず歩くことができた。


「錆色の! 生きていたのか」

「勝手に殺すな」


 前に訪ねた肉屋の露天は同じ場所にあった。夏の暑さのせいで、獣の臭いがきつく漂っていて少し気後れする。けれど、店の主人がまだ離れたところから近づいてくるラスティに気がついてあげた驚きの声には、嫌みがなくて嬉しくなった。


「ガウディールの城壁の崩壊に巻き込まれたと聞いてたからな」


 崩壊したのは魔術師塔なのに、城壁になっているのね。手元の干し肉を重ねながら話す店主の視線が、私を捉える。挨拶をするべきかしら。迷っていると、繋いでいた手が外され、その手が私の背に触れた。


「……妻だ。万一俺とはぐれて迷っているのを見かけた時は声をかけてやってくれ、恐ろしいほどの世間知らず」

「ちょっと!」

「は! 妻? 嫁を? あんたが?」


 恐ろしいほどの世間知らず、なんて失礼ではない?

 あまりの言い草にむっとして彼を睨むと、見上げた拍子にフードが外れた。途端、店主が息をのむ。


「おい、そりゃあ……前に連れてた気取った話し方の娘だろ、あとでシファードのって噂が……おかしいと思ったんだ、錆色の、あんた、あんたまさか貴族の女を攫っ……」


 なんですって。


「お黙り、私の夫をそんな風に言うのじゃないわ。また言ってご覧なさい、頭から水を……」


 せっかく夫を庇う言葉を並べていたのに、突然ラスティが私の顔の前に人差し指を立ててきたので口を閉じるしかなくなった。


「言葉に気をつけろイルメルサ、ここの人間たちはお前の召使いじゃない」

「でもラスティ、あなたが人攫いだなんてひどいわ」

「この有り様だ、ひとりにしておけばどんな騒動を引き起こすかわからんだろう」


 ラスティは話す私からふいと視線をそらして、ため息混じりに店主に訴えた。店主は、片方の眉をあげ小首を傾げ苦笑する。


「確かに。だがその女の様子なら錆色の、あんたが無理やり連れてるんじゃないのはわかる」


 そう言って、店主はにや、ともの言いたげな笑みをこちらに向けた。なによ。


「それはなによりだ」


 つぶやく彼の言葉が届いているのかどうか、突然店主がぱん、と大きく一度手を叩いた。


「さ、今日はなんの用だ、売りか買いか? まさか新妻を自慢するためだけに来たんじゃないだろう」

「干し肉をくれ」


 ラスティは店主の軽口を無視すると、露天に並んだ肉をひとつふたつ指差した。その横には捌いたばかりの赤い肉、ここは王の森なのに狩りをしている者がいる。


「今日は鹿がある」


 と、そこで言葉を切った店主はちらりと私を見、鳥の罠にかかったのがいたもんで、と言葉を付け足した。気まずそうな雰囲気ではなく、ごく当たり前に。この森の生き物は、なんでも鳥の罠で捕らえられるのだろう。


「調理が面倒だ、いらん」

「時間をくれりゃ焼いてやろう。調理代は結婚祝いだ、あんたとの付き合いも長くなったからな」

「なら肉ごと贈ってくれ」

「そこまではさすがに。どうだ奥さ……あー、錆色の、その、なんだ、そのシファード娘に関しちゃ聞いた話があってな」


 私に話しかけはじめていた店主が、突然言葉を切ってラスティの方を向いた。人差し指で耳の上のあたりを掻きながら、言いにくそうにもごもごと言葉を並べている。

 この男も私と話すのが恐ろしいの。大きな体をしたいかつい男を、呆れた気持ちで見上げる。


「話しても死なん、その話のことなら。普通の人間だ。他のやつらにもそう言っておいてくれ」


 ラスティが断言すると、店主は小さく頷いて、ごくりと喉を鳴らした。私に話しかけるのはそこまで難しいのかしら。


「あー、姫さま、おれ、いやわたくし……わたくしめは」


 と、口を開いた肉屋が、首をしきりにかしげながら妙な話し方をしはじめたものだから、おかしくて吹き出してしまった。わたくしめ、なんて城でもそんな言葉遣いの者はいなかった。


「イルメルサと呼んで。先ほどは失礼したわ。どうぞ、彼に話しているのと同じに話して。名はなんと?」


 くすくすと笑いながら言うと、店主は目を丸くして私を見つめながらも、どこかほっとした表情を浮かべた。


「あ、ああ、そうか、あー、名前か、名前ね。おれはベグだよ、イル……奥さん」

「あんたそんな名だったのか」


 肉屋が名乗ると、ラスティが隣でぽつりとつぶやいたので驚いた。何年も通っている風なのに今名前を知ったの。


「ああ、そうだ。“ラスティ”」


 ゆっくり彼の名を口にした店主をラスティがじろりと睨むと、男は焦った顔を私に向け助けを求めるように笑みを浮かべた。


「で、どうだい鹿肉は。新鮮だ、旨いぞ」


 鹿。もちろん食べたい。嫁いで来てからほとんど干し肉ばかりだもの、たまに塩漬けの魚。けれど、明らかに密漁の肉を食べたいとすんなり認めるのは、なんだかはしたない気がした。

 少し考えてから、隣のラスティを見上げ口を開く。


「買ってちょうだい、ラスティ。ここの者たちに水差しも肉も買えないなんて思われたくはないわ」


 私が言い終わると、ラスティは眉根を寄せ黙り込んだ。なぜ。肉を買うくらいのお金はあるはずよ、彼はシファードの魔術師で私の夫なのだもの。私も負けじと彼を見つめた。


「わかったわかった、見せつけるな。半額にしてやるよ、結婚祝いだ。その代わりこれからもうちを贔屓にしてくれ、あんたの持ちこむ肉は保ちがいいんだよ」


 ベルグが私たちの視線を遮るように手のひらを差し込んで振るものだから、はたと我にかえった。ラスティはと見ると、ほんの少し目の下を赤くして目を伏せている。見せつける、なんて言われたからかしら。

 なんだか私も恥ずかしくなってきた。こほんと咳払いしてフードをかぶりなおした。


「いっ時半ほどしたら来てくれ」

「買うとは言ってない」

「もう、ラスティったら。いただくわ、干し肉と、そちらの腸詰めも。では、のちほど」

「まいど!」


 店主に笑みを向けてからラスティのコートを引くと、彼は渋々といった様子で私について来た。


「勝手に腸詰めを足したな」

「スープに入れて煮ればいいのでしょ、私にも調理できるわ……たぶん。そうよね?」

「知らん」


 振り返りながら聞くと、ふい、と目を逸らされた。意地悪なんだから。


「あまり目立つ行動をするな、面白おかしく人の口の端に上る羽目になる」

「まあ、どんな? あなたが私の尻に敷かれている、とかかしら。亭主殺しよりずっとまし」


 口にした言葉が思いのほか楽しげな響きだったので笑うと、いつの間にか横に並んだラスティの方からもふ、と吹き出す音がした。


「そうだな」


 優しい声に見上げると、ラスティが赤銅色の瞳に柔らかな光を浮かべ前を向いていた。近くを通る人たちが驚いた顔をして私たちを見ているのも視界に入る。

 娼婦殺しや人攫いの噂も、いつか消えるかもしれない。


「ね、これからどうするの? 半時ほど時間ができたわね」

「布を金に替えて、飯にする」


 ラスティが、馬に背負わせた麻袋を叩きながら答えた。ぱん、と張りのある音がする。袋の中には母が送ってくれた布がみっしりと詰まっているのだ。


「どのくらいになるかしら、銀貨五枚にはなる?」


 期待を込めて袋を見つめながら聞くと、ラスティが呆れ声をあげた。


「金貨に化ける質と量だぞ」

「そうなの? ならあの水差しを買いましょうよ」

「買わん。物置を探せばあるはずだ」

「あそこで大きな蜘蛛を見たのよ、入りたくない」

「ジーンが狩る」


 ラスティの言葉に、家で待つあの子の姿が脳裏に浮かんだ。そうね、ジーンは頼りになるもの。それにしても、水差し。あの雑然とした物だらけの物置。確かに探せば水差しくらいはありそう、


「あんなに美しいのがあるかしら……」


 さっき見たばかりの水差しを思い出しながらぽつりと呟くと、ラスティが馬の綱を引きながらふん、と嘲りの音をたてた。


「割れやヒビがなければ充分だ」


 ぶっきらぼうに言い捨てて、彼が歩みを速める。なによ、そりゃそうよ日用品だもの。


 でも考えてみれば、彼とジーンと、物置で探し物をするのは案外楽しいかもしれない。宝探しみたいだもの。少し先を歩くラスティの背中を見つめながら、そんな風に思った。

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