第90話 行き遅れた領主の娘の後日譚


「母親にいい加減荷物を送るのを止めろと伝えてくれ」

「前に手紙を使いの者に渡しているわ。十日に一度が十五日に一度に減ったじゃない」

「量が増えている」

「量についてはあなたなにも言わなかった!」


 勢いよく顔を上げた拍子に、髪を縛っていた紐が解け髪が肩に下りた。

 

 兵士たちが洞窟内に運び入れ、積んで帰っていったシファードからの荷を前に、私とラスティは舌戦を繰り広げていた。きりのない戦い。誰も悪くない。長い道のりをやってきて、ラスティに睨まれ帰る兵士たちが可哀想なだけ。


「今度はなにを送って来たんだ、深海魚の鱗か羊肉でも入っていれば助かるんだが」


 文句を言いながら、一番手近にあった木箱の蓋を開けたラスティがため息をついた。


「布だ。また布地。これから冬を迎える森にいる娘に送るのが絹に綿とは、お前の母親は何を考えているんだ」

「重ねれば暖かいわ」


 やっとくくれるくらい伸びた髪を、後ろでひとつに結びながら短く答えると、ラスティが即座に言葉を返してきた。


「誰が服に仕立てるんだ? こんな上等な布、ここらの人間に渡せばそのまま逃げられて終わりだ」


 正直、同意しかない。けれど私を思って荷を送ってくれた母の気持ちも大切にしたい。


「売ればいい」


 それでちょっとムキになって母の味方をしていた。


「この四カ月、毎月売っている。じき足元を見られ安く買い叩かれ出すぞ」

「それなら、それなら……肉にしてと手紙を書くわ」

「駄目だ」


 駄目なの?

 即答され、さすがにムッとした。

 

「俺がお前を飢えさせている甲斐性なしだと思われるだろうが。充分に食わせてやっているというのに、そうだろう?」

「ええその通りよ」


 彼は今では時々、蜂蜜だって手に入れてきてくれている。手紙にそれも書いておこう。


「もう一度お母さまに心配しないでと手紙を書くわ。兵士たちは明日出立すると言っていたからまだ間に合うもの」


 これでラスティも納得してくれると思ったのに、彼はなお一層怖い顔をして、じろりと私を見た。


「明日? あいつらは、また俺のねぐらの前で野営を張るつもりなのか」

「もう夕方近いわ、今から動くと夜の森を行くことになってしまう、危険よ」

「土を踏み固め道を作り、何様のつもりだ? この間は兵士目当てに物売りが来ていたぞ、ここに村でも作るつもりか」


 私たちの住処のまわりに、村。想像してたまらず吹き出した。


「買い物が便利になるわね」

「冗談はよしてくれ、俺は隠れ住みたくてここを選んだんだ」


 積んだ箱のひとつに腰をおろし、腕組みをしたラスティがため息をつく。私、彼にため息をつかせてばかりだ。


「ごめんなさい、ラスティ。でも私たちがここに住んでいると、もうみな知っているのよ」


 王が諸侯に、私たちがここに滞在する許可を出したと知らせを出してくださったからだ。当然ガウディールにも伝わっている。念のためにと、王は森を巡回する兵士の数を増やしてくださった……というのは表向きの理由で、本当はガウディールの動きを監視し牽制するためだろう、とラスティが話してくれた。


「ああ、そうだな。なにもかもが変わっていく、世の常だ仕方がない。だが、お前の母親からの荷は多すぎる、それだけはなんとかしてくれ」


 ラスティはそれだけ言い残すと、研究の続きを進めると言い残して奥に戻っていってしまった。私ひとりでこの荷を片付けろというの? ジーンも遊びに行ったきり戻って来ていないのに。


「まあいいわ、のんびりやりましょ」


 とりあえずラスティの開けた一つ目の箱の中を私も見た。そこには彼の言ったとおり、反物がいくつも詰まっている。ひとつひとつ手にとってみると、ラスティのいうほど高価な布地ばかりが詰まっているのではなかった。そうよね、そんなにいい布地が用意できるなら、私の婚礼衣装だって新しくできたはずだもの。


「あっ」


 下の方に、暗い赤のものがある。ラスティのローブを仕立てるのにぴったり。彼へのものも入れてくれたんだわ、嬉しい。厚手で暖かそう。房のついた紺色の腰紐も入っていた。今度マルドゥムさまの館へ行くときに持って行って、奥さまに預けて来よう。


「次の箱はなにかしら」


 ラスティは怒っているけれど、私は楽しかった。故郷から送られてきた荷を、誰にも邪魔されずに一番に自分で開けられるんだもの。わくわくしながら蓋をずらして中を覗く。


「毛皮」


 これは寝具に使える。ほら、冬が来るから毛皮を入れてくれてあるじゃない、とここにラスティがいたら言ってやれたのに悔しい。ほんのりと獣くさいから、あとでどこか、庭にでも広げておこう。


「さあ、最後の箱よ」


 ラスティが喜ぶものが入っていますように。肉とか魔石とか、なにかそういう……あら、この蓋はずらして固定してあるのね。どうして。不思議に思いながら中を見て、理由がすぐにわかった。


「お母さま」


 脱力感に襲われ膝を床につく。

 箱の中には藁が敷き詰めてあり、中心に置かれた籠の中に、恐らく魔術によって眠らされている四羽の鳥の雛がいた。目を閉じすやすやと、呼吸に合わせ白いの羽毛がふくらんだり戻ったりしている。


 どうするの、これ。ラスティに私が伝えるの? 彼がなんていうかもうわかる。また食い扶持がどうこう、とかよ。

 持ち上げて目を覚ましたら困る。四羽も、鳴いてあちこち転がって行くに決まっているもの。そっと蓋を元の状態に戻して、一度大きく深呼吸をした。いいわ、ラスティにどうすればいいのか聞く。


 と、決意したものの足は重い。奥に進むにつれ、気持ちまで重くなってきた。どうして鳥の雛なのかしら。卵をとれというの?


 ラスティの研究部屋へ向かう途中、庭に差し掛かった。様々な果実が大きく実りはじめている。ここに戻ってきた時、しばらくの間主人の魔力を絶たれていた庭は荒れていたけれど、また少しずつ美しく色づいてきていた。


 ラスティが私のためにと、森で原生の薔薇を探し植えてくれた一角もある。小さな白い花がいくつも花開き、品のある香りを漂わせていた。あの株を持って帰ってきたときラスティは言った。お前が、薔薇が枯れたと泣いたから、と。そんなささいなことを覚えていてくれたのが嬉しくて、私はまた泣いた。


 まだ片付けの残っている炊事場を横目に通り過ぎ、しばらく進むと大きな木製の合わせ扉が私の前に立ちふさがった。


「さあ、行くわよ」


 前は決して入れてくれなかった彼のこの部屋は、今では勝手知ったる私の部屋でもある。寝室がこの中にあるからだ。それでも、昼間はあまり近づかないようにしていた。だって、やっぱり少し気味の悪い部屋だから。


「ラスティ、入ってもいい?」

「ああ、なんだ」


 声をかけると、扉越しに彼のくぐもった声が聞こえた。扉に手を触れると、カチリと音がして自然に軽く開く。

 はじめに見えたのは彼の背中。部屋の中央にある大きな一枚板の長い机の前に立ち、天秤になにかを乗せている。


「あの、箱を確認し終えたの。二箱目は毛皮だった」

「そうか、それはなによりだ。売るにも使うにもいい」

「そうね、私も同じ意見よ。それでね、あの、最後の箱も開けたの……」


 なんて言おう。言葉を探して黙り込んだ私に不審なものを感じたのか、ラスティが作業の手を止めた。


「なにが入っていた、また布地か」

「ち、違うものよ、そうね、入っていたのは――肉、だったわ」

「……」


 肉か、と喜ばれても困るけれど、こんなに無言だとそれはそれで怖くなる。私もなにも言えずにいると、ラスティはゆっくりと首だけ動かしこちらを向いた。眉間に皺が寄っている。


「正確に言え、なんの肉だ? 鹿か?」

「ええと、あの、鳥よ。なにかの雛で白いの……寝ているわ」


 だんだん声が小さくなる。ラスティがなにかの器具を机の上に置く音がした。


「何羽だ」

「四羽……」


 ああ、きっと彼、またため息をつくわ。ほら、ついた。でも、どうしてか怒った様子はなかった。


「ジーンはいないんだったか?」

「ええ、兵士について外に行ってしまったの、彼らは枝を投げたりして遊んでくれるから」

「魔術で旅の間眠らせていたなら、早く解いて水を飲ませねばならんだろう」


 水。


「わかったわ、水は私が用意する」

「麦を食わせておけばいいか……育てばそのうち勝手に虫を食いはじめるだろうが」


 布で手を拭き、半ば独り言みたいにつぶやきながら、ラスティがこちらに歩いてくる。結局すぐ雛を見に来てくれる、彼はそういう人なのだ。入ってきたばかりの部屋を出ながら、ラスティの優しさを感じて胸があたたかくなった。


「まったく、これ以上口のついたものが増えるのはごめんだと次の手紙に忘れず書いておけ」

「ええ」


 言われなくてもそのつもりだ。喜んでみせたら次は羊が送られてくるに違いない。もしかしたら山羊かも。


「でもほら、いずれ卵を産んでくれるかも。楽しみね」


 空気を少しでも明るくしたくて言ったのに、返ってきたのは鼻で笑う音だった。


「雌がいればいいが」

「え?」

「育つまでわからんだろう」


 そうか、全て雄の可能性もあるのね。どうしよう、そうだったら。そもそもなんの鳥かもわからない。


「お前の鳥だ、お前が世話をしろよ。庭に場所を作ってやるから」

「私?」


 私に鳥の世話をしろというの?

 鶏やアヒルみたいに?

 そんな、下働きの者の仕事よ。


「私は領主の娘なのよ?」

「今は俺の妻だ、シファードの雇われ魔術師の妻」


 すぐに言い返され、なにも言えない。そうね、確かに彼に嫁いだ時点で前と生活ががらりと変わる覚悟はしていたわ。彼は召使いをここへ入れるのをいやがったし、それは私も同じだった。だからほとんどのことは自分たちでなんとかしながらやってきていた。でも。


「でも、でも、鳥の世話なんていやよ、藁くずまみれになる」


 藁くずならまだまし。生き物だもの他に色々不都合なものが。


「だが俺には四羽の雛の世話をする時間はない。ジーンと馬の世話は俺がしていて、さらにお前の父親に、王に報告できる新たな研究を進めろとせっつかれているのだからな」

「じゃあお父さまに、あなたをあまり急かさないでって手紙を書くから……」


 力なく言うと、ラスティが急に立ち止まった。顔を背けて肩をふるわせている。笑っているわ。


「ラスティ?」

「いや、お前、その情けない声……たかが鳥の世話で」


 ちら、と私を見てまた彼は笑う。とても感じが悪い、不愉快だ。


「たかが? たかがというならお前がおやりなさいよ!」


 ふん! と私も顔を背け、服の裾を持ち上げるとそのまま駆け出した。魔術が解けたのか、ピヨピヨと鳴きはじめた声の漏れる箱の横を通り過ぎ、ジーンを追って洞窟へ。


「イルメルサ!」


 彼の声がしたけれど、知らないわ。長く走れるって便利。走って、走って、洞窟の途中で足を止めた。このあたりはもうラスティの魔力が溜まっていないところ。吹き抜ける風は冷たくて、そのせいもあるのか体から魔力がこぼれ落ちていく。


 久しぶりだわ、この感覚。ずっとラスティといたから忘れていた。急に心細くなって走ってきた道を振り返った。岩肌の剥き出しの洞窟。

 ここは、私が暮らしはじめてからすっかり様子を変えていた。道は平らにならされ、壁には昼も夜も魔力のあかりが灯っている。獣や不審者が入り込まないよう結界まで張ってあって、とても安全だ。もう熊もいない。分かれ道で私が迷わないよう、行ってはいけない穴には木の柵もつけられている。全て、ラスティがこの数ヶ月でしてくれた。


 私、たくさん彼にしてもらっている。それなのに鳥の世話がいやだと言って彼にあたるなんて、いけない態度だったわ。彼の言うとおり、私は魔術師の妻になったのだから、そのくらい、やらないといけない。

 考え直し戻ろうとしたときだった。向こうからラスティが足早にやってくるのが見えた。私の姿を認めたラスティは立ち止まると、片手をあげて手招きをした。


「イルメルサ、来てくれ、雛が」

「えっ?」


 ◆◆◆


「下にまだいたなんて……」


 ラスティの手のひらの上に、ぐったりと目を閉じた雛が一羽乗せられている。四羽の下に入り込んでいて見えなくなっていたその子は、重さでか、呼吸ができなかったのか、すっかり弱ってしまっていた。箱の中の他の子たちは元気に鳴いてラスティの与えた皿の水を飲んでいるのに。


「だが幸いにもまだ生きていて、ここにお前がいる。癒やしの力を送ってやってくれ、こんな小さな生き物に俺の魔力を送れば負担にしかならんだろうからな」

「ええ」


 彼に促され両手のひらを上向け差し出すと、ラスティはそこに雛を乗せた。温かくて、なにも乗せていないみたいに軽かった。


「お前の魔力すら強すぎるかもしれん、少しずつ送ってみてくれ」

「やってみるわ」


 手のひらに癒やしの力が広がるよう意識した。雛は灰色の目を閉じて、嘴が緩く開いている。言われたとおり、少しずつ魔力を生み出す。元気になって。じっと見ているとある違いに気がついた。


「この子、翼の先に黒いところがある。ガウディールにいたときの私みたい」


 冗談めかして言おうとしたけれどうまくいかなかった。微かに声が震える。助かるかしら。と、直後、ラスティが私の背中に手をあてた。温かな彼の気配に心が安らぐ。


「さっきはすまなかった。お前の育ちを甘く考えていた。領主の用意する屋敷が完成したら、移っても構わないからな」


 彼の言葉に、冷たい水を頭から浴びせられた心地がした。森に隣接した私の土地に建てている途中の、小さな館があった。客人を迎えることもあるだろうからと、両親が結婚祝いに用意してくれた家。


 一度バルバロスに渡した土地は、父の根回しと多額のお金を使って取り戻していた。当時内紛寸前だったガウディールに、戦も辞さないという態度で臨んだのが効いたと父が笑っていたのを覚えている。


「あそこなら人も置ける。お前ひとり、以前に近い暮らしをさせてやれるくらいの稼ぎはあ――イルメルサ?」


 ラスティはそこでようやく私の異変に気がついた。遅い。私は、泣いていた。頬を伝い流れた涙が、手のひらの雛の近くにぱたぱたと落ちていく。


「いや……いやよ、あなたと離れて暮らすなんて」


 話すと口の中に涙が入った。


「離縁するわけではない、会いに行く」

「毎日は会えないでしょう、あなた今だって部屋に篭もりきりのときがあるのに。出会った時だって、何日もここを空けられないからって言い合いになったのを忘れたの?」


 手の中の雛を見る。この子は本当に、ラスティのいなかった時の私みたい。生きているのに生きていないみたい。どうか助かって。


「よそに行けなんて言わないで、ここにいたいの。この子たちの世話もする」

「わかった、わかったからもう泣くな。お前を疎んじたわけではないんだ」


 珍しく焦りの滲んだ声でラスティは言って、大きな手のひらで私の頬の涙を強く拭った。


「ここにいて惨めな思いをするよりはと思っただけだ。俺もお前には、いて欲しいと思っている」

「本当?」

「当たり前だ、お前がそばにいる、それだけで、俺が毎日どんなに満ち足りた思いを感じている思う?」


 ラスティの赤銅色の目に私が映っている。その私が近づいてくる。


「伝え切れない」


 違うわ、ラスティが近くに来たのよ。雛を潰さないようにしないと。手を丸め、お腹のあたりに置いて雛を守りながら目を閉じた。すぐに彼の唇が触れる。唇を啄む優しい口づけを繰り返され、胸の中の悲しみが消えていった。おまけに、手の中からヒヨヒヨと小さな声も聞こえはじめて。思わず笑った口に、また彼の唇が降ってくる。


「鳥については二人で考えよう、森番かマルドゥムにやってもいい」

「ええ、でもまずこの子にお水をあげたいわ」


 体を離しながらいうと、ラスティは私の目尻に優しく指で触れた。まだ濡れていたみたい。泣いたのが急に恥ずかしくなって、誤魔化すために小さく笑った。それよりそうよ、水。この子を箱に戻しましょう。

 箱の中に手を伸ばし、藁の上に元気になった雛をそっと乗せた。それにしてもずっと鳴いているわこの子たち。ジーンが帰ってきたら興奮してしまうだろう。しばらく静かな一日は戻りそうもない。


「かわいい。小さくてふわふわ。ねえこの子たちなんなの? あなた知っていて?」


 箱の縁に指をかけしゃがんで、頭の尖った小さな白い毛玉たちを眺めていると、自然と笑顔になった。


「東方の鶏だな、大学で一度見た、珍種だ。すぐに大きくなって鳴きはじめる、雌でもかなりうるさいぞ。この庭では鶏など持て余すとわからなかったのか? しかも五羽も。騒がしくてかなわん、全く、なんだってこんなものを――ん?」


 私の後ろに立って一緒になって箱を覗き込んでいたラスティが、突然手を伸ばしてきた。どうしたのかしら。


「なにかある、下に」


 雛たちをそっと避けながら、藁の中に手を入れたラスティは、ごそごそと奥を探っていたかと思うと、何かを掴んで取り出した。


「なあに、それ」

「木箱だ」


 それはわかるわ。手のひらに収まるほどの、古ぼけた、彫り物のある木箱だった。


「花びらの砂糖漬けが入っていた箱を思い出すわね」

「あの神経質な母親は、動物の下に菓子は入れんだろう」


 ラスティ、母が苦手なのね。仕方がない、顔を合わせるたびにああしろこうしろ、それをするな、と言われているもの。


「魔術で封がしてある、随分厳重だな」


 ラスティの魔力の気配がしたかと思うと、木にヒビが入るのに似た硬い音が響いた。実際箱に損傷はなく、封を破ったのだとわかる。


「鶏の雛でこれを隠していたの?」

「そのようだ」


 箱の蓋を開くと、中には小さな羊皮紙の紙片が折り畳まれ収められていた。


「私に手紙?」


 ラスティは首を横に振りながら紙片を開き目を落としている。私への手紙なら、魔術で封なんてするはずがないものね。ラスティの表情からなにか読みとれないかと思ったけれど、いい知らせなのか悪い知らせなのか、それすらわからない。


「なにが書いてあるの?」

「……ああ、そうか、なるほどな」


 読み終えたラスティに手紙を見せてもらおうとしたのに、彼はそれを一瞬で灰にしてしまった。


「あ!」


 伸ばそうとした手が中途半端なところで止まる。煤けた臭いが鼻につく。


「私には秘密?」

「いや、すぐ燃やせ、と書いてあったから燃やしただけだ。領主が、じきここに宮廷魔術師がひとり訪ねてくるだろうから準備をしておけと伝えてきた」

「まあ、そんな方がなぜ?」


 宮廷魔術師といえば、一代限りとはいえ立派な貴族。


「宮廷魔術師ダートン……魔石研究の第一人者だ。俺の魔石に興味を持ち、ここに来たいといってきたらしい」

「ここが、大きなあなたの魔石みたいな場所だから?」

「そうだ。それを受け、領主から命令が俺にひとつ」

「命令? 随分ものものしいのね、なにかしら」


 ラスティは勿体をつけようとしているのか、言葉を続けるより先に手紙の仕舞われていた箱を手渡してきた。カラ、と音がする。まだなにかあるわ。傾けると赤いものがひとつ奥から転がって出てきた。


「せいぜい取り入れ、と」

「紅玉だわ、綺麗」


 つまんで明かりにかざすと、光を受けて赤く輝く。質のいい宝石。


「珍しい生き物と宝石、それに酒の好きな男だと書いてあった」

「お酒以外はあなたと似てる」


 最高級の宝石にみとれて適当な返事をしていると、ラスティが呆れたように長く息を吐いた。なんだっていうの。


「わからないのか、お前の父親は俺を宮廷魔術師にしたいようだ。は、優しげな風貌をしてあの男、バルバロスより野心家なのではないか?」

「ラスティが宮廷魔術師?」


 紅玉からラスティに視線を移す。この彼がいつか王都に暮らすというの。彼の妻として私も美しく装って王宮に行き、王に謁見し……。


「いやだわ、ここにいたいのに」

「同感だ。だが楽しみだ、あのダートンと会えるのか。今行き詰まっている研究について意見を聞ける」

「ラスティ、取り入らないで。怒らせて帰してよ」


 魔石について話す時の、妙に熱心で饒舌な彼が顔を覗かせていて不安になる。


「ここしばらくの研究の記録を纏めておくか……」

「ラスティ、聞いている? ねえ、鳥の雛はどうするの?」


 袖を引いて聞くと、ラスティは競うように水を飲んでいる雛をちらりと見た。


「そうだな。ダートンが来るまでは庭に置いておくとしよう。機嫌をとれば口も軽くなるだろうしな」

「そういうのを取り入る、というのではないの?」


 どうしよう。どう見てもとても楽しみにしている。困るわ。さっきラスティがもらした、父がバルバロスより野心家なのではないかという言葉が脳裏をかすめた。


「ラスティ!」


 不安になって呼ぶと、彼はやっと、しっかりと私を見てくれた。


「どうした、大丈夫だ。研究を進めるためだ」

「あまり熱心にやらないで。あなたを魔石に取られてしまいそうで怖い」


 彼の手を片方取って、その手に紅玉を握らせた。ラスティは手の中の宝石に目を落とし、ぽつりぽつりと語り出す。


「俺は……イルメルサ、傷のついた石に魔力を留めておく研究をはじめている」

「そうできたらすごいわね」


 できるのかしら。尊敬の眼差しで見上げると、彼は目を細め表情を和らげた。


「お前の体に魔力を留めておく方法がわかればと」


 私のため? いつもあの扉の向こうに行ってしまって少し寂しかったけれど、私のためだったの。胸の中が熱くなる。


「ラスティ」


 身を寄せ名前を囁いた。


「どうした」


 私の耳の横に垂れた髪を指に巻きつけながら、ラスティが答える。もう片方の手は私の腰に降りてきてそこを撫でる。彼の温かな魔力が流れてきた。


「私もあなたになにか贈りたい。もらってばかりだもの」

「もう貰っている、お前自身を」

「そんなの、私なんてただの行き遅れよ、死を呼ぶ行き遅れ」


 唇を尖らせ言うと、ラスティが抑えた笑い声をあげた。彼の笑った声、大好き。


「違う、お前は魔石だ。俺の魔力を受け止める美しく高貴な石、そうだな、これよりずっと美しい」


 そう言ったラスティが、紅玉を指で挟み明かりに透かした。私もそれを一緒に見上げる。本当にきれい。あれより美しいと言ってもらえるなんて、光栄だ。


「ありがとう」


 心からそうつぶやいて、彼の胸に頬をつけた。彼の心音が聞こえる。と、どこからともなく、犬の吠える声が響いてきた。


「そら、騒がしいののお帰りだ」


 ため息まじりにラスティが言って、私から体を離すとすぐに雛の入った箱を持ち上げた。雛の鳴き声にジーンの駆けてくる足音。彼の言うとおり、騒がしくなる。


「ラスティ、その子たちの世話、私も手伝うわね」


 庭に向かう彼の背に言うと、ラスティがこちらを振り返った。赤銅色の目に、ちょっとだけ意地悪な色が乗っている。


「間違えるな。俺が、手伝うんだ」

「もう、わかったわよ」


 笑いながら庭に入っていく彼を追った。夕暮れ時の金色の光が、天井の穴から庭に降り注いでいる。彼のくれた薔薇が香る美しい庭。


 私の心の還る場所。


 

 ―完―

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