第89話 行き遅れた領主の娘の婚姻譚


「イルメルサ」


 城の秘密の場所で、ひとり膝を抱え顔を伏せて座っていたら、突然ラスティに呼びかけられ驚いた。入り口の木戸が薄く開いて、腰をかがめた彼が顔をのぞかせている。急いで肩にずらしていたベールをかぶり直した。


「アリアルスがここを教えたの?」

「ああ。かわりに明日までジーンを貸し出すはめになったがな」


 ラスティは小さな入り口に体を押し込み小部屋に入ってくると、天井に頭をぶつけないよう腰を低くしながら、そろそろとこちらに向かってきた。


「ここはなんだ」


 探求心の強い魔術師らしい顔をして、きょろきょろしている。


「私の秘密の隠れ場所。みんな知っているけれどね、どうぞ、座って」


 背中にあてていたクッションをひとつ取って差し出すと、彼は苦笑して首を横に振った。


「いらん、お前が使え」


 そう言って私のそばで腰を下ろすと、彼は頭を巡らせまたあたりを見回した。特別なにがあるわけでもない、座ってぼんやりするための場所だ。


「狭くてごめんなさい、元々物置だったのよ。小さな頃、私が父に隠れ場所が欲しいとだだをこねたので扉をつけたんですって、覚えていないのだけど」

「壁のタペストリーで隠しただけの隠れ家か」

「ええ。ここに来るのは久しぶり。留守にしている間に、アリアルスが入り込んでいたみたい」


 床に散らばる木の実や葉っぱを目で示すと、ラスティが小さく笑った。


「まるでリスだな……外を見ていたのか?」


 彼が、床に手をついて私の横の窓に顔を近づけてきた。私も外を見る。ちょうど、一羽の黒い鷲が風に乗って高さを増すところだった。薄い雲の広がる青空を背負って、円を描いては風に乗り、どんどん上空へと昇っていく。気持ちがよさそう。


「外ならここじゃなくても見られるわ」

「ならばここでひとり、へそを曲げていたのか」


 図星をさされてむっとした。わかっているのに聞くなんて。窓から視線を外し、抱えた膝に顎を乗せる。ラスティは、窓を背に座り直すと、黙って私の答えを待っているようだった。


「そうよ。だって、あなたはここへ来てからお父さまと話してばかり。その上また婚約式からやり直すなんて聞かされて……」


 私なにを言っているのだろう。ラスティがお父さまと話すのは当たり前。国王陛下が抱かれた、私とバルバロスとの魔術契約についての疑問に、この二日間私にかわって答えてくれているのだから。


「領主との話は終わった」

「本当?」

「ああ。お前を貰うには予想以上に手間がかかるのもわかった。婚約式を終えたら俺はあちこち出かけねばならん」


 ため息とともに吐き出された言葉に耳を疑った。

 出かける?


「出かけるってどこに?」


 弾かれたように顔をあげると、頭からベールが落ちたのがわかった。でもそんなの、どうでもいい。


「領主が王の元へ行くのに同行する。それから恐らく、大学へも。気が重いが仕方がない、俺は最後あそこの所属のまま出てきている」

「大学って、どこにあるの?」

「ダーリフ……王都の南西になるか」

「いつ帰れる?」


 聞いたが答えはわかっていた。どんなに急いで往復しても三週間はかかるだろう。やっと会えたのに、また行ってしまうなんて。


「やっと会えたのに……ずっと待っていたのよ?」

「すまない」


 俯くと、すぐに温かな手が頬に触れた。顔を上向かせられる。ラスティの赤銅色の目がすぐそばにあった。魔力をわけてくれるのかしら。何故か一瞬そう思った。馬鹿ね、違う。

 ゆっくり目を閉じると、少しあとにラスティが唇を重ねてきた。やっと、私たちの二度目の口づけ。はじまりは私の意志を確かめるようにそっと、それから、強く。


 彼の胸に手を伸ばし触れると、ラスティが私を抱き寄せた。彼の体温と魔力を感じて胸が鳴る。初めての口づけの夜と同じように、彼が私の髪に指を絡ませてきた。今すぐ髪が元に戻ればいいのに。そう思いながら、私も彼の首に腕を回して彼の髪に触れた。ちょうどうなじのあたり。柔らかい。


「ラスティ」


 甘い口づけの合間に彼を呼んだ。返事のかわりに、ラスティの唇が触れる寸前で止まる。


「あなたを愛してるわ」


 ささやいて私から口づけると、彼の私を抱く腕に力がこめられ、


「俺もだ」


 低くかすれた声が私の耳に届いた。薄く目を開けると、窓の向こう遠く、まだ鷲が空を舞っている。かつてあんなに抱いた、苦しいほどに鳥を羨やむ気持ちは、気がつけば私の中から消え去っていた。



 ◆◆◆



「なんと美しい花嫁だ!」


 マルドゥムさまが、すっかり出来上がった赤い顔をして、私たちのところへ来てくださった。もちろん、手には酒で満たされた杯。


「マルドゥムさま!」


 大好きなマルドゥムさまの登場にたまらず立ち上がると、爽やかな夏の風が頬を撫でた。ラスティがシファードを訪ねてきてから四十日と二日後の今日、私は彼の花嫁になった。城内の小聖堂での挙式を終え、町に下りてきている。祝宴を町の聖堂の前で開いたからだ。


「水の精霊が姿を顕したかと来てみればイルメルサさまであったとはな」

「ありがとうございます」


 褒め方が大袈裟すぎて、本当に今日の私はちゃんと美しいのかしらと不安になった。婚礼衣装は母のお古。色こそ美しいシファードの青だけれど、手直ししたとはいえどこか古めかしい。頭には、アリアルスとジーンも使ったあの水色のベールを。端が少しほつれていたのは、城の者が綺麗に直してくれた。

 バルバロスとの婚約の解消にかかわる問題や、ラスティの身分の問題――父は彼を、ダーリフの大学から王都の魔術大学に転籍させてから、シファードの魔術師として引き抜いた――、それに私たちの新居の問題などを解決するのに、どうやらかなりの金額がかかった様子だったから、贅沢は言えない。


「これが噂の婿殿か?」


 気がつけばいつの間にか、隣のラスティも立ち上がっていた。赤の婚礼服を身につけ、細い金の冠を被っている。ローブ姿でない彼を見るのは今日が初めてで、ひどく胸が高鳴る自分に驚いた。

 

「“錆色の魔術師”……シファードは素晴らしい魔術師を手に入れたものだ。心強い」

「ラスティ、こちらはマルドゥムさまよ、ほら、私があなたに拾われたあと、連れて行ってと何度もお願いした」


 ラスティにマルドゥムさまを紹介すると、私を助けたときを思い出したのか、彼は目を細め頷いた。


「ああ、あれか。森近くに館があるという」

「その通り。おふたりは王の森に住まわれると聞いたがまことか? よく許しが出たものだ」

「正確には、許されたのは俺の魔術研究のための場所を森に持つことだ」


 ラスティがそこで言葉を切ったので、私が会話を引き継いだ。

 

「彼の魔力量の多さを宮廷魔術師の方々にお見せして、王にお伝えいただいたんです」

「領主は宮廷魔術師どもにかなりの額を握らせていた」

「あなたの研究成果の魔石も添えたのでしょう?」


 魔術師としての彼の実力を明らかにした上で、私たちが森に滞在するのを許可して欲しいと父が交渉してきてくれたのだ。有能な魔術師である、望みを叶えれば必ずや王国の魔術の発展に資する者であるからと熱弁した、と戻ってきた父が自慢げに話していた。


「俺は今やガウディールの魔術研究について知る数少ない生き残りでもあるからな。王は俺を自分の力の及ぶところにおいておきたいだろう」

「彼は年に一度、王都に行かなくてはいけなくなりました。ついて行きたいけれど遠いのよね、ラスティ? 私は一緒に行けないかしら」

「心配するな、なんとかする。お前をひとりで森に置いていけるわけがないだろうが」


 マルドゥムさまは私たちが話すのを赤らんだ顔で興味深そうに見ていた。あるときラスティの前の杯に目をやり、大袈裟に驚きながら卓の上の酒壺を手にした。


「なんたること、葡萄酒が減っておらんぞ、戦士たるもの祝宴では酒豪ぶりを知らしめておかねば、尊敬を得られぬだろう、そら、飲め、のめ!」


 言ってマルドゥムさまは、彼の杯から溢れるほどの葡萄酒を注ぎ足した。祝宴のため卓に掛けられた白い布が葡萄酒色に染まっていく。


「俺は魔術師だ」


 迷惑そうに虚しい抵抗をするラスティがおかしくてくすくす笑うと、彼にじろりと睨まれた。


「もう飲みたくないんだ、この場合断るのは礼を欠くのか?」


 礼を欠く。そんなことを彼が考えているのに驚いた。私のためかもしれない、と思うとなんだかくすぐったい気持ちになる。


「平気よ。マルドゥムさま、ラスティはもう飲めないのですって」

「まだこんなに日も高いというのに」


 マルドゥムさまにつられて見上げる空は夏の青、そこに白い雲が連なって浮かんでいる。天候に恵まれたわ。


「人が多い。酔えば魔力を抑えるのが辛くなる。宴席でそれは避けたい」


 確かに人は多いわ。祝宴の参加者こそ身内ばかりだけれど、すぐそこで町の人たちにも酒や料理が振る舞われていて、召使いもたくさん立ち働いている。まだ小さくて力のないリュイまでが駆り出され、大皿を運んでいたくらいだ。今日のシファードは町中飾り付けられ、お祭り騒ぎ。そう、ラスティ、魔力を抑えていたのね。


「私に魔力をわけてちょうだい」


 そっと彼の腕に触れた。手のひらから、服越しでも彼の熱い魔力が滲んでいるのを感じる。以前彼は、魔力を抑えるとあちこち痛むと教えてくれた。今も辛いのだろうか。今日は朝から、私たちの周囲には人が溢れていたもの。ラスティが無言で私の手を取った。彼の魔力が流れ込んでくる。


「これ以上ここにいては若いふたりの熱で溶かされてしまう、わしは退散するとするか。魔術師ラスティ、近所のよしみだ、これからよろしく頼む」

「こちらも。助けを頼むときもあると思う」

「いつでも訪ねて来るといい、歓迎する」


 マルドゥムさまは力強く頷いてから嬉しそうに大きく笑うと、父の名を呼びながら去っていった。


 マルドゥムさまを見送ってすぐ、私たちはまた席に着いた。ラスティは体をこちらにむけ私の両の手を握ると、安堵のため息をつく。とたん流れ込む魔力の量が増えた。すぐ近くを通った召し使いが、ラスティを恐れを含んだ目で盗み見ていったのに気がついた。これまで、魔力のない私の体に触れた者たちが浮かべた表情と同じ。どんな気持ちがするか、知っているわ。


「イルメルサ」


 けれどラスティは気にした様子もなく、和らいだ表情を浮かべていた。その上、片方の手を離すと何の前触れもなく、上方を指差し笑いすらした。


「あの方向にむけ、霧雨を降らせてくれないか」

「え? 今?」

「ああ、今だ。ほら、やってくれ」


 彼が頼むならやるわ。私は立ち上がると、彼から受け取ったばかりの魔力を指先に這わせ、さっと腕を振った。霧雨はアリアルスに教わったもの、もううまく降らせられる。夏の陽を弾いてきらきらと光る細かな水があたりに舞った。魔力のせいか、単純に水のおかげなのか、あたりの空気が冷えて心地いい。


 私の魔術だと気がついたひとたちがわっ、と歓声をあげる。


「まあ」


 私も声をあげた。虹だわ。薄く小さな虹が、祝宴の席の上にかかる。虹は雨を止めるとすぐに消えた、けれど人々の間に生まれた楽しげな感情はなお続き、私たちのそばを通る者の顔にもそれは表れていた。祝宴の向こう、領民たちが驚き笑っている。私を遠くから指差している者まで。無礼ね。でも嬉しそうな顔をしている、知らぬ振りをしてあげましょう。


 金の冠をつけた私の夫は卓に肘をついて私を見上げている。もう片方の手は繋いだまま。どうしてか恥ずかしくなって、ふいと視線をそらすとすぐに見咎められてしまった。


「どうかしたか?」

「なんでもないわ、だって今日のあなた、いつもと違うのだもの、知らないひとみたい。魔術師に見えないの」


 悔しいわけでもないのに、どうしてか素敵よ、の言葉が口にできなかった。


「お前もだ、イルメルサ」

「なにが?」


 なにがお前も、なの?

 尋ねると、ふ、と鼻で笑う音がした。見ると彼が小さく笑んでいる。


「俺のねぐらで半泣きで床を磨いていた娘と同じとは思えん」


 いつの話よ!

 むっとむくれると、彼は更に笑みを深めた。そんな彼の様子に、急に胸が苦しくなる。もう体は楽になったのかしら。幸せそうにしてくれているのが嬉しい。泣きたくなって、椅子に座ってぎゅっと下唇を噛んでこらえた。これは夢ではないわよね。


「どうした」

「わからないの、幸せなのが急に怖くなって」


 思えば、ガウディールにいたときからまだふた月と少ししか経っていない。バルバロスの遺体は未だ掘り出されぬまま、王国の魔術調査団の受け入れを拒否したガイルさまと他のご兄弟の間で、争いが起きつつあると聞いた。私を恨んでいる者もいるだろう。祝いごとだというのに、騎士たちの姿がほとんどないのは、万一の襲撃を警戒しあたりを守護しているからに違いない。それなのに私はこんなに幸福で……。


「お前の身に直接迫るような恐ろしいことはもう、すべて起きてしまったんだ、イルメルサ。この先なにがあろうがすべて、俺が砦となって守ってやる」


 ラスティはそう言うと、口づけの代わりみたいに、親指で私の唇を優しく撫でた。その指の温かさに、ざわめいていた心は次第に落ち着いていった。



 ◆◆◆



「……遅いわ」


 丸二日続いた祝宴は無事終わりを迎え、シファードに夜がやってきた。私は身を清め、ひとり部屋でラスティを待っている。待っているのに、花婿は待てど暮らせどやって来ない。きれいに整えられ花弁の散らされた寝台に腰掛け、ため息をついた。指にはめた指輪を撫でる。

 ラスティが婚約と結婚の証に贈ってくれた指輪だ。金の台座に蒼玉の魔石がついていて、魔石には彼の魔力がこめられている。王都に行ったときに持ち物を売り、金塊と魔石を買って文字通り自分で作ったと言っていた。それを聞いたとき、とても嬉しかったわ。愛されていると実感した。

 それなのに今私はひとり。


「なにをしてるのよ」


 つぶやいて、後ろに倒れた。反動で跳ねた花弁の赤が視界の端にうつる。壁には魔術で灯されたあかりが、柔らかな淡い光を放っていた。そこにも花が飾られている。女たちがこんなに綺麗にあれこれ用意してくれたのに、男たちときたら……。目を閉じると、どこかから男たちの騒ぎ歌う声が風に乗って届いた。父のひどい歌声がする。ラスティはあそこに捕らえられているに違いない。騎士たちの宴会に。


「迎えに行くわけにも行かないし……お母さまがみなを叱ってくれないかしら」


 自分で言って、母が歌う騎士たちの輪に突撃する姿を想像してすぐに妄想を打ち消した。駄目よ、語り草になる。


「眠い……」


 つぶやいて目を閉じた。ラスティとの最初の夜になるはずだったけれど、もういい。今頃来たって追い出してやるから。とはいえ本音をいえば、この夜を迎えるのはちょっとだけ怖かった。先に延びてほっとしている自分もいる。


 だから今夜はもうひとつの、ここでの、シファードのイルメルサとしての最後の夜をゆっくり過ごすとしよう。明日、私とラスティはシファードを出て森の洞窟に向かうのだ。

 この父の調子外れの歌、次に聞けるのはいつかしら。歌声を子守歌に、私はゆっくりと眠りに落ちていった。


 ……。


 はあはあと荒い息遣いが聞こえ、眠りの海から引きあげられる。さすがにもうわかるわ。ジーンね。目を開けると、予想通り、黒い犬の顔が目の前にあった。べろりと顔を舐められる。


「おはよう、ジーン」


 首のあたりをなでてやると、ジーンは嬉しそうにわふ、と鳴いた。薄暗い寝台の上には私しかいない。最初の夜に夫が来ないなんて、そんなことがあるなんて思わなかったわ。


「困ったものね」


 ゆっくり身を起こす。鎧戸は閉まったまま。隙間から漏れ入る光や、階段の方の明るさからすると、もうとっくに誰かが窓を開けに来ていていい頃だと思うのだけど。

 夫に放って置かれた私が不機嫌でいると思って、みな来られないのかもしれない。そう思いながら何気なく入り口の方を向き、


「え?」


 奇妙なものをみつけ二度見した。

 なに。手、みたい。

 入り口の床に手のようなものが。寝台の上で四つん這いになって目を凝らす。やっぱり、手よね。私の視線を追って同じ方向を見たジーンが、クーン、と甲高い、甘えるような困っているような声を出した。

 賊のわけはない。それなら賢いジーンが噛みついているはずだ。


「まさか」


 寝台から飛び降りて、入り口に走った。見覚えのある大きな手。一昨日この手でラスティの指にはめた、私の贈った金の指輪をつけている。


「ラスティ!」


 部屋から顔を出すと、塔の階段を登りきったところでラスティがうつ伏せに倒れ、


「……ラスティ?」


 寝ていた。


 横を向いた顔は、眉間にしわを寄せ苦悶の表情を浮かべている。けれど寝息は深く規則的で、でも酒臭い。誰も来ないはずだわ、ラスティの魔力が溢れた川の水みたいに流れ出てあたりを浸している。更によく見ればこの私の夫は、髪にも背にも草や葉をつけて、手首には赤くこすれた跡がついていた。縛られでもしていたみたい。一体どこでなにをしていたのか。


「ラスティ、風邪をひいてしまうわ、ラスティ」


 床に膝をつき、彼の肩に手を乗せ強く揺らすと、彼が一度呻いて寝返りを打った。そしてまた寝息。


「ラスティ!」


 耳に顔を近づけ叫ぶと、彼はやっとといった風に、片方のまぶたを持ち上げた。


「……イルメルサ……すまない」


 かすれ声で謝ってくる。


「いいのよ、起きられる?」


 こんなボロボロの姿で来られては腹も立たない。そうだわ、治してあげましょう。彼に触れる手から癒やしの力を生み出し、送り込んであげた。


「来ようとしていたんだ、ずっと」

「この姿を見たらわかるわ」


 彼の手首を撫で赤い跡を治すと、ラスティはそこをさすりながらこう言った。

 

「だがお前の父親が邪魔を」

「お父さま?」


 聞いたばかりの言葉が信じられず、床に寝ているラスティの顔を上から覗き込んで聞き返した。


「あなたをこんなにしたのはお父さまなの?」

「直接ではないが。酒盛りの最中突然立ち上がり、“私の城で娘に手をつけられてたまるか”と叫んだかと思うと、騎士どもに俺を日の出まで捕らえておけば褒美を出すと言い放った」


 褒美。騎士たちの騒ぎが目に見えるようだわ。アリアルスがあとで聞いたら、見たかったのにと悔しがるだろう。もうお喋りな誰かに教えられているかもしれない。


「全員消し炭にしてやってもよかったんだが、お前が命をかけて守ろうとした者たちだからと耐えたんだ」

「ラスティったら」


 彼の冗談に吹き出すとやっと彼も目を細め笑い、床に手をついて身を起こした。


「ごめんなさい、まさかお父さまがそんなことをする方だったなんて知らなかった」

「俺もだ。王都への旅の道すがら、領主にそんな素振りは微塵もなかったというのに。歌は調子外れ、言い放つ冗談はクソほども笑えんとくる」


 ラスティが心底迷惑だといった様子で父への文句を並べるので、声をあげて笑ってしまった。


「ああ、おかしい」


 笑いすぎて涙の滲む目を擦っていると、視線を感じた。見れば階段をくるりと降りた先、そこからアリアルスが小さな顔を覗かせていた。


「アリアルス、おはよう」

「お姉さま、聞いた? 結局アリンが一番たくさんの褒美をもらったんですって。アリンはラスティを松の木に吊り下げようとしたの。でも彼は、手を縛られていたのにアリンのもみあげを燃やして逃げたんですって。どうやるの教えて?」


 ひと声かけたとたん、アリアルスはぺらぺらと話しながら階段を登ってきた。昨日は、今日の別れが寂しいと泣いていたのに今は元気そうでほっとした。

 ラスティはふうと息を吐いて立ち上がると、私を置いて部屋に入っていく。


「出発まで少し眠らせてくれ」

「あっ、待ってよ、お、お兄さま!」


 お兄さま。アリアルスの突然の発言に驚いた。ラスティはもっと驚いたらしく、私の部屋に一歩足を踏み入れた状態で固まっている。アリアルスとの距離がどんどん狭まってくる。ラスティ大丈夫かしら。


 階段を登りきったアリアルスも、緊張で頬を強ばらせていた。落ち着かないのか体を左右に捻っては揺らしている。


「お兄さまとお姉さまのおうち、いつか私も遊びに行ってもよくて? 素敵なお庭があるんでしょう?」


 ラスティがなんと答えるのか興味があったので、助けは出さず気配を殺して立っていると、彼は振り返ることなく小さく一度頷いた。


「……いつでも。連絡を寄越せば、あの声のでかい騎士の館まで迎えに行ってやろう」

「マルドゥムさまね! マルドゥムさまは大好き。ジーンも一緒に連れて来るのよ、あの子も大好きだから。あと、お兄さまも、好き。お姉さまを笑わせてくれているもの」


 アリアルスは頬を赤くしている。


「今日城壁からふたりを見送るわ、見えなくなるまでずっと手を振っているから、私のこと忘れないでいてね」


 そう言うと、身を翻して風のように階段を駆け下りて行った。沈黙が降りる。先に動いたのはラスティ。私の部屋に入ると、鎧戸の閉じたままの窓に向かい開けてくれた。光が部屋に入る。朝の光に照らされた、しおれ縮んだ花弁を見るのはなぜか少し気まずい。なにか話さないと。出発について尋ねようか。


「出発は――」

「妹が」


 言葉が重なる。妹?

 お互いが続きを求めてまた沈黙。黙っていると、窓の外に目を向けたまま、ラスティが話しはじめた。


「俺にも妹がいたが……家を出るときまだ赤ん坊だったから兄と呼ばれたのは初めてだ」

「そうなの」


 彼の背中が急に寂しげに思えてきて、隣にそっと寄り添った。私、彼の過去をほとんどなにも知らない。


「ご家族の話、いつか聞かせて」


 腕に手を添え頼むと、なぜかラスティが小さく自嘲気味に笑う声がした。


「話せるほどの思い出はほとんどない。記憶も曖昧で、顔も声もみな――もう遠い」


 そう言いながら、体ごとこちらを振り返ったラスティが、私を見下ろす。窓から吹き込むシファードの風が彼の髪を揺らしていた。


「思い出したときには話すから聞いてくれるか」

「ええ、いつでも」


 答えると、彼は穏やかに微笑んだ。近づいて彼の胸に頭を預けると、すぐにあたたかな魔力が流れ込んできた。心地いいわ。甘えて、わがままのひとつも言いたくなってくる。


「いつでもよ、これからはずっと一緒。昨日みたいにひとりにするのは、もう許さないから」

「お前の父親に言ってくれ」


 すぐにうんざりした声が返ってきた。密着したまま上を向くと、ラスティは片方の口角をあげる皮肉げな笑みを浮かべている。


「ラスティ、お父さまを怒っているの?」

「当たり前だ。本当なら俺は今頃……」


 ラスティはそこで言葉を切ると、私から視線を外してしまった。

 

「今頃?」

「なんでもない。それより見ろ、俺たちの場所が」


 くく、と笑うラスティの視線を追って私も笑った。


「変な音がするわねって思ったのよ」


 ジーンが、寝台の上で寝そべって、散った花弁を噛んで遊んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る