第88話 褒美の魔石 後編


「魔術師、貴様ふざけるな!」

「イルメルサさまを石扱いだと!」


 ざわめきのひろがる広間のあちこちから、ラスティに罵声が飛んできた。私の心臓は高鳴り、手のひらに汗がにじむ。不安や恐怖でではない。


「シファードの領主よ、褒美にお前の娘をくれ。イルメルサを」


 ラスティは騎士たちの怒りになんの興味も覚えていない風に、父だけを見て言葉を重ねた。繰り返されるたびに強くなる彼の言葉に、私の胸の中の喜びも大きさを増す。


「……くれぬといっても連れていくがな」


 挑発的なラスティの声の調子に、広間にさらに緊張が走った。ロインが前に出てきて、私に並ぶ。奥では腰掛けていた騎士たちが次々立ち上がりはじめた。何人か、広間から逃げ出した者もいる。


「ラスティ」


 召使いたちが見ているとわかっているのに、気持ちが抑えられない。父を追い越し、ラスティの元へ行こうとした。けれど、お父さまがさっと腕を上げ、私の行く手を遮ってしまった。


「みな、落ち着きなさい。魔術師ラスティ、連れていくなどと言われては、あれらも私も、黙ってはいられなくなる。発言には気をつけてくれないか」

「考えなしに言っているわけではない」


 ラスティは不愉快そうに眉根を寄せ答えると、そのままの表情でこちらを向いた。 


「顔色が悪い。故郷で守られて過ごしていたのではないのか」


 彼の赤銅色の目が、私を映している。


「守られて過ごしているわ、ラスティ。今日は気分がいいくらい。これが、いつもの私なの」


 私を気遣ってくれたのね、彼の目にはそんなに不健康そうに映っているのかしら。それはいやだ。それにそうだわ、私、髪が短いのだった。小さな子供みたいな頭で彼の視界に入るのはもっと嫌だったけれど、言葉を交わせる喜びが勝る。父の腕を挟んで、ひと月ぶりに彼と話をした。


「魔力の濾過は受けたのだろう」

「ええ。あなたがお父さまに助言してくれたのよね? ありがとう。さっきね、ジーンが飛びついてきて私の顔を舐めたのよ」

「そうか」


 ラスティは表情を少し緩め、足元のジーンの首筋を軽く叩いた。


「領主、イルメルサに魔力を与え続けろと教えただろう、忘れたのか」

「可能な限りやってはみたが、君のいう量には到底届かない。多くの魔力を毎日、娘の為だけに使っていては我々はシファードを守れなくなる」


 それで。

 シファードに戻ってきたばかりの頃、毎日、日替わりで魔術師たちが私の元にやってきていたのを思い出した。みな魔力を失い青い顔になっても日に何度もやってくるものだから恐ろしくなって、私は彼らに部屋に来るな、と命じる他なくなった。その中には父も含まれている。


「俺ならできる、やってみせてやろう」


 ラスティが、私の方へ手を差し出してきた。手を取りたいのに父の腕がまだ邪魔をしている。


「お父さま」

「知りたくはないか? お前の娘が、俺の犬を追って走るときどんな声で笑うのか」


 言葉巧みに父の腕を下ろそうとしているラスティは、物語に出てくる悪い魔物みたいだった。ジーンが黒い目で私を見上げくうん、と鳴く。そっと父の様子を窺うと、彼を見定めんとしているのか、唇を引き結んだ険しい表情をしていた。

 

「俺が魔力を与えれば、イルメルサは魔術を使うこともできるんだがな」


 ラスティは口元に小さな笑みを浮かべ、とどめの一言を口にした。父がはっと息をのむ音がした。周囲にも驚きが広がり、騎士や召使いたちが、顔を寄せささやき合いはじめる。


「……すまない、ロイン」


 なぜかロインに謝罪して、父は腕を下げた。


「いえ、よいのです。確かにあの洞窟でお会いしたとき、イルメルサさまはとてもお元気そうだった」


 ロインが父に答えている。そういえば父が私をここに呼んだ、ふたつめの話はなんだったのかしら。そんな思いが頭をかすめたけれど、一歩踏み出してラスティの手に自分の手を重ねた瞬間、小さな疑問は消えてなくなった。

 彼の、大きくて熱い手。同じ熱を持った魔力がすぐに私に注ぎこまれはじめた。熱い。熱くて心地いい。


「ラスティ」


 名を呼んでさらに一歩近づくと、ラスティは、私の存在を確認しようとでもしているみたいに、強い視線で私を見下ろしてきた。なんだか恥ずかしくなってくる。


「あまり見ないで」

「なぜだ」


 うつむいてラスティの視線を避けると、すぐさま不満げな声が降ってきた。


「髪が……短すぎて不格好だもの」

「髪?」


 つぶやきと共に、彼が空いた手で私の毛先をつまんだ。首筋に彼の指が触れる。そこにも彼の魔力を感じた。


「すぐに伸びる」

「夏の草じゃないのよ」


 くすくす笑って、ふと周りが気になった。いやに静かだわ。みな黙って、私たちを遠巻きにしている。振り返ると、お父さまとロインは険しい顔をしてなにかにひどく耐え、眉間に皺を寄せていた。ラスティの魔力が辛いのね。多くもれているのだわ。


「もう、これくらいで」


 手を引こうとしたのに、ラスティは許してくれなかった。


「いいや、まだ駄目だ。満杯の魔力で、ここを水浸しにしてもらわねばならないのだからな」


 どこまで本気なのかそう言って、更に大量の魔力を送り込んでくる。困ったわ、放してくれない。満杯なんて無理なのに。このままでは、彼がみなに怖がられてしまう。


「イルメルサ」


 私の戸惑いを感じ取ったのか、彼は少し屈み、私の名を呼びながら耳に唇を寄せてきた。


「俺といればお前になにができるのか、ここのやつらに見せてやって欲しい」


 そういうこと。彼の計画を知らされ、嬉しかったけど困ってしまう。魔術なんて、まだ数えるほどしか使った経験がないのに。


「ここを水浸しにしたら、召使いたちに恨まれてしまう」


 困っているのに嬉しい、その気持ちのままの笑みを唇に浮かべこっそりラスティに伝えると、ふいに彼が指の背で私の頬に触れてきた。


「赤みが差してきた」

「少し暑いのよ」


 ぼやくと、彼は苦笑いを浮かべ私に流す魔力を打ち切った。私の後ろから、ほっと息をつく音が聞こえた。父かしら。


「お父さま大丈夫?」


 振り返った私を見た父が浮かべた表情を、私はずっと忘れないと思う。水色の瞳を大きく広げ、口を薄く開けて。ただ驚いた、といった顔。


「……お父さま?」

「イルメルサ」


 私の名前を呼んだまま、続く言葉もなく立ち尽くす父にさすがに不安が募る。


「ロイン、お父さまどうしたのかしら」

「お元気そうなイルメルサさまをご覧になって、驚いておられるご様子だ」


 父の隣のロインに尋ねるとすぐにそう答えてくれた。両手をあげて自分の頬に触れると、そこは久しぶりに温かかった。指先まで血が通っていて、力がわいてくるような。


「そうね、こんなのは久しぶり」

「それはなによりだ。さあ、イルメルサさま、早く魔術を使っていただけませんか? 私もゲインさまも、広間のみなも待っております」


 魔術。

 視線をめぐらせると、当然みな私に注目している。奥ではアリアルスが、騎士のひとりに体をつかまれながらも、じっとこちらに大きな目を向けていた。


「でも、なにをしたらいいのか……」


 つぶやいたときだった。広間の入り口がにわかに騒がしくなった。どやどやと数人の足音と一緒に、


「お前、娘から離れなさい!」


 母の声が飛び込んできた。


「イルメルサを寄越せと言ったそうね、なにをふざけたことを。この子はシファードの、領主の娘なのですよ!」


 誰かが告げ口をしに厨房まで走ったみたい。ラスティを指差しまっすぐこちらを目指し歩いてくる母は後ろに、調理道具の棒を手にした料理人を従えている。背中を丸めた料理人はきょろきょろとあたりをうかがい、困り果てた様子だ。


「お母さま!」


 母の姿に力を得たのか、妹を捕まえていた騎士の気が逸れたのか。おそらく後者だろう、アリアルスも叫んで、母の方へ駆け出した。その動きに触発されたのか、ジーンまでもが走り出してしまったから、もうわけがわからない。


「いやっ! 犬がついてくる!」

「逃げるから追いかけるんですよアリアルスさま!」

「そのひらひらした布を放して!」


 妹とジーンのおいかけっこに、周りから野次が飛びはじめた。 


「騒々しい」


 ラスティは不機嫌そうな顔になってむっつりと黙り込んでしまった。こうなったのは彼の責任もあるというのに。でも本当に騒がしいわ。恥ずかしい。ガウディールより城もずっと小さいし、中のものはみなお喋り。ラスティ、シファードに来てどう思ったかしら。


「お前」


 そんなことを考えている間に、母がそばまで来てしまった。緑色の目を細め、ラスティを見て……いないわね、私を見ている。


「はい、お母さま」


 ラスティの隣に並んで答えると、母は口元を緩め優しい目をして微笑んだ。


「随分と具合が良さそうね、イルメルサ」

「たった今、このラスティが魔力をたくさん私に分け与えてくれました」


 お母さまの笑顔が嬉しくて私も笑って伝えると、母は突然じろりと冷たい目で隣のラスティを見た。


「そう、それはご苦労でした。お前、捕らえられる前に素直に魔石を受けとって出てお行き」

「お母さま! あんまりです、そんな……」

「わかった、そうさせてもらう」


 ラスティが私の言葉に被せ返事をした……と思う間もなく、彼は前触れなく突然私を抱き上げた。大きな手ががっしり腰をつかんでいる。


「きゃあっ」


 視界がぐんと上がる。ぐらりと揺れる体を支えるため、ラスティの首に手を回した。彼の顔がすぐそばにある。すごく険しい表情をしている。


「っな、なにをしているの、娘を降ろしなさい!」

「黙れ!」


 黙れ。語気の荒い乱暴な言葉に、広間の空気が凍りついた。こんどは剣の柄に手をかけた騎士までいて、あちらこちらでカチャカチャと音が鳴った。


「易々手放した娘が生きて帰ったからと急に惜しくなったのか」

「ラスティ!」


 お母さまの顔がみるみる赤くなる。怒りのあまり言葉が出てこないのか、お母さまは頬を震わせながら口を開き、また閉じを繰り返している。


「お、お母さま……」


 気位の高いお母さま。倒れるのじゃないかしら。


「お父さま、お母さまが」

「シェイリル、さあ、落ち着きなさい」


 振り返って父に助けを求めると、すぐに父が母の元へ進み、肩を抱いて声をかけてくれた。母は父の胸に頭を寄せ、深い呼吸を繰り返している。


「お前たちの娘は、狼の群れが徘徊する深夜の森でひとり、矢を深く胸に突き立て死にかけていた」


 ラスティは寄り添う両親を見下ろして、静かに語りはじめた。


「イルメルサが俺を見て最初に口にした言葉がなにかわかるか?」


 最初? なんだったかしら……。あの森に思いを馳せてみても、すぐには思い出せない。彼は覚えていてくれているのね。父と母はなにも答えず、黙って彼を見ている。


「助けなくていい、と」


 ラスティの言葉に、広間に沈黙がおりた。

 そうだったわ。あのときはもう、ひどく疲れていて。助けなくていい、お行き、と、そう彼に言ったのだった。

 母が、嗚咽をこらえた声をもらしはじめた。父の胸に顔を埋めている。


「それを俺が拾って助けた」


 ラスティの私を抱き上げる腕に力が込められた。


「俺がいなければとうに尽きていた命。俺のものだ」


 “俺のもの”

 その言葉に胸が熱くなり、涙が滲む。シファードに帰ってきてから毎日、まいにち、部屋の窓から空を見て彼を想っていた。


「ラスティ」


 両腕を彼の首に回し、ぎゅうと抱きつく。頬を彼の頬に寄せ、触れる。彼に触れるのを、名を呼ぶのを、もうなににも邪魔させはしない。


「私を連れて逃げて」

「――ああ」


 彼の表情は見えないのに、笑ったのがわかった。みなに、魔術を見せられなかったわ。いえ、今から見せられるかしら、誰も傷つけないでここから出るために……。


「待て!」


 ラスティが身じろぎしたのを感じたのか、父が鋭い声を上げた。歩き出しかけていたラスティが、体ごとゆっくりと父の方を向く。広間じゅうの視線が、私たちに集まっていた。


「お前たちの望みはわかった」


 父は、青ざめた硬い表情をして私たちを見、絞り出すような声を出した。


「叶えてやろう」

「あなた?!」


 一番に反応したのは母だった。顔をあげ、信じられないといった風に首を横に振る。


「あなた、まさかイルメルサを、この素性の知れない男にやっておしまいになるおつもり?!」


 涙で潤む緑の目をこちらに向けながら、ラスティを指差し叫ぶ。


「私たちの娘なのですよ?! だいたい、国王にはなんと――」

「シェイリル、イルメルサ、お前たちにまだ伝えていなかったことがある」


 父は母をなだめながらその背中に手をあてると、一度ぐるりと広間に視線をめぐらせてから、よく通る声で話しはじめた。


「王都で国王からお言葉を賜っている。イルメルサの今後については、私の裁量で決定してよい、とな」


 ざわ、とみなが近くの者と顔を見合わせささやき合う。私もラスティの顔をみる。彼は赤銅色の目を細め、じっと父を見ていた。

 

「政略結婚の駒としてはもはや使えんと判断されたのか。ここに来る道中も様々な噂を耳にした」


 ラスティの言葉に、父が不愉快そうに唇を歪ませる奇妙な笑みを見せた。それにしても……。


「噂って、どんな?」


 好奇心に勝てず尋ねると、ラスティは肩をすくめつつ、すぐにすらすらと教えてくれた。


「魔力なし、死を呼ぶ不吉な女、ガウディールの事故で醜い傷を負った哀れな娘、亭主殺し……他にもあったが不愉快だ、口にしたくない」


 今並べたのより酷いのがあるの。興味はあるけれど、聞きたくないわ。


「亭主殺しって、なによ、婚約しかしてないわ」

「民衆の噂とはそういうものだ、ただの娯楽だからな、気にする必要はない」


 そう答えてきたのは父。


「でもお父さま、すぐに教えてくださればよかったのになぜ隠していたの?」

「今日にも伝えようと思っていた」


 今日? 私に知らせたい話があると、ここに呼ばれたのだった。それはこのことだったの。


「……あ!」


 突然、それまでぼんやりと抱いていた疑問に光が差した。ラスティの肩越しにロインを見ると、彼は首を傾げ困ったような笑みを浮かべた。

 ロイン、父に私を娶れと命じられていたんだわ。だからさっきのあのどこか不自然な態度。


「ロイン、お父さまが無理を言ったのね、ごめんなさい」

「――いえ。無理などでは決して。むしろ……」

「そうだ、私が騎士ロインにお前との婚約を迫った」


 父が私たちの会話に割り込んできた。


「お前が穏やかに暮らせればと願ったのだが、いらぬ世話だったな」

「余計なことを」


 今度はラスティが軽く振り返り話に加わる。途端にロインが、片方の口角をあげる皮肉げな笑みを彼に向けた。


「お前がいつまでも戻らんからだ」


 ラスティはその言葉にはなにも返さず、私を床に下ろした。重かったかしら。


「それがお前の妹か、イルメルサ」

「お姉さまの魔術はいつになったら見られるの」


 私たちの足元に、いつの間に来たのかアリアルスとジーンが並んで座っていた。仲良くなったのか、ジーンの首に私のベールが巻かれている。


「いやだ、いつからいたのよアリアルス!」

「少し前からよ。その男がお姉さまの旦那さまになるの? お母さまは素性の知れない男と言っていたけれど、私は構わないわ。本当にその男がいれば、お姉さまが魔術を使えるようになるのならだけれど。嘘だったら、この男をぶってやるから。鞭があるのよ」


 立ち上がりペラペラと言葉を並べていたアリアルスが話し終わると、ラスティは呆れたのか、ため息をひとつついた。


「お前を小さくしただけの見た目に、偉そうな話し方。間違いなく血縁だ」

「ラスティ!」


 見た目以外そんなに似てやしないわ。そう言いたくても、はにかんだ笑みを浮かべたアリアルスが傷つくかもしれないから我慢した。私たち姉妹はこれまで、姿以外を似ていると言われた記憶はほとんどなかったから。


「アリアルス、なんです今の話は? イルメルサが魔術を使える?」


 と、急に血相を変えた母がアリアルスに詰め寄った。


「ええそうよ、お母さま。この魔術師がたーくさん魔力をお姉さまにあげたから、魔術を使えるのですって。みなでそれを見ようとしていたときにお母さまが入ってきたのよ」


 この返事を聞いた母はただ私を見た。その目がすべてを語っている。早くやってみせて、と。


「ええ、ええ。できると思うわ」


 頷きながら言う。誰にもなにも言われていないのに、変な私。なにをしようかしら。指の先に魔力を集め、冷たい水の力に塗り替える。そうね、アリアルスが初めて出したみたいな霧雨を降らしましょう、それなら床もそんなには濡れないはずよ。


 決めて、手をぱっと振った。


「あ!」


 のに、力加減を誤った。空中に現れたのは粒の大きな水の集合体で、バタバタと音をたてて妹とジーンの上に降り注いだ。そこら中で驚いた声があがる。


「いやだ、ごめんなさい、失敗だわ。ラスティ乾かしてあげて?」


 恥ずかしい。かっと頬が熱くなる。

 濡れて額にはりつく前髪の隙間からみえるアリアルスの大きな瞳が、どんどん大きく見開かれていく。びしょ濡れになった妹は……。


「お姉さまが水を出した! 私のお姉さまが! お姉さまの魔術! お前たちご覧! ほら! 水よ!」


 大声で喜びの声をあげると、そのままの体で広間を走り、奥の騎士たちのところへ走り出してしまった。妹の行く先々でどよめきが起こっている。


「アリアルス!」


 止めてもきかない。ジーンも一声吠え、床に足跡をつけながらアリアルスを追いかけて行った。嵐みたいな子。ほう、とため息をついてから、ようやく母が両手で顔を覆って泣いているのに気がついた。私が不出来だから。


「お母さま……簡単な魔術を失敗し、床を汚して申し訳ありませ……」

「いいえ!」


 謝罪は母の大声に遮られた。母のこんな大声を聞くのは初めてで、驚く。


「いいえ、いいえ! いいえ!」


 母は顔を手で覆ったまま、首を横に激しく振った。


「謝ることなどなにもない。魔力があってもなくてもお前は私の大切な娘……だのにお前が魔術を使う姿を見てこんなにも嬉しい、自分の心が浅ましくて恥ずかしいの……」

「お母さま」


 母の言葉の意味するところ、そのすべてはわからなかった。でも母の告白は、愛と悲しみと喜びが混じった複雑な気持ちを私の中に生んで、最後に幸福だけが残った。それが私の頬に涙を流させる。

 いやだわ、召使いたちが見ている。ちゃんとしていなければいけないのに。唇を震わせながらも口を閉じ、背筋を伸ばした。


 母も同じように思っているのだろう、ゆっくり体を起こし、威厳のある表情でラスティをみつめた。でもその目からは、さきほどまで燃えていた激しさは微塵も感じられなくなっていた。


「……娘より先に死ぬことは許しません。イルメルサの一生を見届けなさい」


 父に肩を抱かれた母が、私たちにだけ聞こえる声でそう言った。父も目を赤くしている。ラスティは顎をあげ尊大な態度でそれを聞いていたけれど、ふとした瞬間、表情を和らげ口を開いた。


「もとよりそのつもりだ」

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