第80話 魔術師塔


 ジーンがそばにいるとわかっただけで、地面を踏む足に力が戻ってきた。平たい石を積んで作られた魔術師塔への階段を登ると、開け放たれた木製の扉の一部が吹き飛ばされ砕けていた。木片の散らばる中、真っ黒な、影が形を持ったようなものが声もなくただ蠢いている。これがもう一匹の魔物。


 さっきのものよりずっと小さい。元はなんだったのかしら。ゆっくり屈んで手のひらで覆って押さえると、それは諦めたみたいに動くのをやめた。すぐに魔力が流れ込んでくる。


 合図ひとつで父を射殺せると言っていたのは本当なのかしら、ただのでまかせ……? バルバロスさまに抱く暗い気持ちに呼応するように、私の体が魔物の魔力を吸いあげていく。

 

 バルバロスさまの存在を感じながら取り込む魔力は、不思議と私の体に馴染む気がした。寒いのに額が汗ばむ、気味の悪い魔力なのに。こんなものでも、あの男から逃れる助けになるかもしれない。


「――あっ……!」


 冷たい熱を感じ咄嗟に手を離すと、その反動でぼろ、と魔物の形が崩れたのがわかった。石の階段の上に小さな砂の山ができていて、白く冷たい煙を昇らせていく。


「終えたか」


 バルバロスさまの声がした。答えようと口を開いた瞬間、目の前を何かが駆け抜け驚いて尻餅をついてしまった。心臓がばくばく鳴る。今のは。


「犬か?」

「は、はい。おそらく……」


 ジーンね、まるでつむじ風。バルバロスさまはいつの間にか階段の下にいた。でも私に気遣いの言葉ひとつかけてはくださらない。はなから期待などしていないとはいえ、屈辱的だわ。


 立ち上がると目眩がして、横の石の手すりに肘をかけた。魔物に触れていた手のひらは冷たく、痺れて痛い。きっと火傷したわ。


「振り向かず腕を後ろへまわせ」


 手すりにもたれ掛かっていた体を起こしながら、手袋越しの手のひらを見つめていると、バルバロスさまがそう言ってきた。なんですって。


「いま、なんと?」

「振り向くな!」


 怒鳴られ、体が固まる。


「なぜです」

「拘束する」


 しゅる、と、布かなにかを引き出す音に怖くなった。縛るつもりね。


「いや」

「その薄気味悪い指で触れられたくはない」


 首を横に振って拒否しても、声は近づいてくる。


「そのようなことは決していたしません、どうかおやめください」


 拘束なんて。この塔の中で身動きも取れず実験に使われた日々の記憶が蘇る。


「早くせんか、気が長いほうではない」


 いやなのに。バルバロスさまの声の中の怒りを感じ取ってしまうと、それ以上拒否の言葉を並べられなくなってしまった。でも自由を失ってしまっては、ラスティを見つけても魔石を渡せない。


 顔をあげると、崩れた扉の向こうの中の様子が目に入ってきた。一階は足の踏み場がないほど荒れている。屋根の一部に穴が空き、光を下へ落としていた。照らし出された埃が、ゆっくりと舞い降りていくその先の床には、割れた石板や魔術の道具、羊皮紙、小さな動物を入れていた籠、薬品壺……そんなものが雑然と散らばっていて、隙間を埋めるように魔術師たちが幾人も折り重なって倒れている。それらが夕刻の光の中、ぼんやりと浮かび上がっていた。


 ラスティがあの魔術師たちの中にいるはずがない、だってジーンがいない。必死にそう考えて、浮かびあがってくる彼を失う恐怖を何度も打ち消した。

 ジーンはどこにいったのかしら、もう姿が見えない。中に逃げ込んでしまおうか。私を追って建物に入ってしまえば、バルバロスさまは弓を射させる合図というのを出せないかもしれないじゃない。


 迷ったのはほんの一瞬だった。気持ちが先に動いた。それに引きずられ足を踏み出したのに、先に進めなかった。


「っ!」

 

 突然ぎり、と腕を強く掴まれたからだ。痛みに顔が歪む。バルバロスさまだ、と気が付いたのはそのあと。なんとか声は出さずに耐え、身をよじっても抜け出せず、力ずくで両腕をうしろにまわされてしまう。直後手首のあたりに布が触れる感触があって、そのままうしろ手に腕を縛り上げられた。


「歩け」


 背中を強く押され、無理やり塔に踏み込まされた。もつれた足が、入り口近くで死んだ魔術師のローブの裾を踏む。いやだ。慌てて避け一歩進むと、妙なにおいが鼻を突いた。ずっと感じていた甘いにおいが密度を増していて、それに様々な薬品のものが混じっている。これを吸っていて大丈夫なの。ここの者たちは生じた毒で死んだのかもしれないのに。


「どうした、進め」

「お、恐ろしくて……人が大勢倒れております」

「大事ない」

「でも、嗅ぎ慣れないにおいも」

「問題ないと言っておる」


 苛立ちも露わに、バルバロスさまは続けてこう言った。


「毒であれば、先ほどの犬がそのあたりで死んでおるはずであろうが」


 確かにそうね。危険があるならあんな風に無防備にジーンが入っていくはずがない。ほっと息をついて、散らばる物や人を避けながら奥に進んだ。手の自由がないだけでひどく歩き辛い。


「我がガウディールの魔術師がこの有り様とは情けない、平時が続くのも考えものだな。そうは思わぬか」


 死んだ魔術師たちを見たのだろう、足元のがらくたを蹴りバルバロスさまが言った。こんな場所で領主が最初に口にする言葉とは思えない。お父さまだったらあり得ないわ。


「……わかりません」


 湧き上がる嫌悪感を隠し呟くのが精一杯だった。腕を動かしても硬い結び目が食い込むばかりで。


「私にどこへ向かえと?」

「上へ。あれの対応をエーメが行っているはずだ」


 あれ……闇の魔力を生み出し続けるなにかのことだとすぐにわかった。バルバロスさまがなにもかもを置いてここに来る理由など、それしかない。


「見つけ出し何が起こったのか聞き出さねばならん、よりによって他領の者のおるときにこのような失態をおかすとは」


 私も知りたい、なにがあったのか。ラスティが関係しているのか。


「歩け」


 背中を小突かれはっとする。とにかく、進むしかない。きっとラスティもこの先にいるわ。

 階段にはたくさんの石板が散らばっていた。のぼりながら、端にあった一枚を誤ってつま先で蹴ると、それはまっすぐ下に落ちていって、割れる音を響かせた。前に来たときここに張られていた魔力の網が消えている、踏み外せば私も落ちる。思った瞬間、すっと血の気が引いて足が止まった。


「どうした」

「高さに、目が眩んで」


 怖い。なるべく縁から離れて進もう。はめ込まれた魔石に肩がふれるほど壁際に寄って登りはじめると、背後から鼻で笑う音がきこえてきた。


「臆病な女だ」


 私の中の魔力を恐れ腕を拘束したくせに、私を臆病と呼ぶなんて。怒りに近い暗い気持ちが胸の中で膨らむと、指先が疼いた。いけない。バルバロスさまに気取られてしまう。こんなところで敵意を剥き出しにしても、下に落とされて終わるだけ。混乱の中道に迷い、塔で足を踏み外した間抜けな女と、ここの者たちに噂されるだけよ。口答えをするかわりに、ぎゅ、と唇を引き結んで視線を階段に移し、気持ちを切り替えた。


 気をつけて歩かないと。なにか踏んで滑ると危ない。石板ばかり落ちているわ……ああ、あそこにまた人が。仰向けになった男が、頭を下にして階段に倒れている。魔術師だ、茶色い髪。見開かれた目と口が恐ろしくてとっさに目を閉じ、その瞬間見知った男だと気が付いた。

 ラスティに敵意を剥き出しにしていた嫌みな男。ぱっと目を開け顔を確かめた。やっぱり。


「止まるな」

「……知った顔が」


 頭を動かし場所を伝えると、背後からのぞき込まれる気配がした。


「魔術師カシュカ。確かに、おぬしの件に関わらせたうちのひとりだ――死んだか」


 バルバロスさまが、男の名をさらりと口にしたので驚いた。覚えているのね、意外だわ。


「進め、確かめたいことがある」


 背中を押され、従った。確かめるって、なにを。抱いた疑問はすぐに解けた。階段を登りカシュカに近づくと、肉体の損傷が見えてきたからだ。下に倒れていた他の魔術師たちと違い、カシュカの胸には大きく穴が空いていた。傷の縁が黒く焼けている。


 顔を背ける私とは逆に、バルバロスさまは軽く身をかがめカシュカをじっと見下ろした。


「正面から一撃。ふん、油断しおったな、阿呆が」


 低いつぶやきを聞きながら、手のひらに汗がにじんだ。前に一度、あんな風に死んだ者を見たわ。森のどこかの洞窟で、背中にのしかかってきた盗賊にラスティが魔術を放って、私を助け出してくれたあの日。


 ラスティ。


 不安の中盗み見るバルバロスさまの横顔は、いつもとさほど変わらなく見えた。なにを考えているのかわからない。ラスティがやったと感づいたかしら。いいえ、まさか、大丈夫よね。あの盗賊のことは私とラスティしか知らないもの。


 バルバロスさまは、階段の続く上方に視線を向け、なにか考えておられた。鋭い灰色の目が細められる。そして。

 

 笑った。僅かに片方の口角をあげた皮肉げな笑みを浮かべ、バルバロスさまは私を見もせず先に進んで行った。今なら――。


「詰まらぬことを企むでないぞ、カシュカのようになりたくなければな」


 逃げる。体当たりをしてここから落とす……まさにそんな“詰まらぬこと”に考えを巡らしかけていたのを見透かされ、頬が熱くなった。


「早く来い」


 階段を先に登ったバルバロスさまが私を振り返る。ちょうど天井からの光が背になって、表情が見えない。怖くなくていい……ぼんやりと思った次の瞬間だった。


 深いところからの、低いうなり声に似た地響きを感じたと同時に、突然足下の床が震えた。間を開けず建物全体が一度大きく揺れ大きな音がして、短い悲鳴が勝手に口をついてでた。上から石や木片が、細かな砂と一緒にバラバラと落ちてくる。たまらずその場に膝をついた。塔が崩れる! ラスティ、お父さま!


 心臓を掴まれたような恐怖を感じながら息を止めその時を待った。でも、恐れた二度目の衝撃はない。顔を上げると、埃が多く舞う塔の中が見えた。あたりにはまだ、細かな震えの残りがあったけれど、静けさが戻ってきている。崩れなかったんだわ。安堵の息を吐いた。


「おさまったようだ、立て」

「あ……!」


 降りてきたバルバロスさまに二の腕を掴まれ立ち上がらされた。そのまま半ば引きずられ上に連れて行かれる。すごい力、痛い。


「バルバロスさま……!」

「黙って足を動かせ、二度目の揺れがないとも限らん。魔術師長の部屋から先は強い魔力結界が仕掛けてあり安全だ、急ぐぞ」


 魔術師長の部屋……壁の中の細い階段を降りたところ。その奥にあの研究に使われていた場所がある。きっと今ラスティのいるところ。魔力結界があるのなら彼は大丈夫よね。どうか無事でいて。


「なに……!」


 でもそこへの入り口が近づいてきた時にバルバロスさまの発した声が、胸に不安の種を蒔いた。なんなの。


「くそっ」


 私の目には、前に来たときと変わらないただの壁が見えているだけだ。なにに驚いているの。わからなくてただ見ていると、私を置いて駆けるように階段を進んだバルバロスさまが、その壁に手を伸ばした。


 腕が肘のあたりまで壁の中に沈む。

 それと同時に壁の幻影が消え、私にもやっとバルバロスさまの驚きが理解できた。


 前にあった鉄の扉は既に開かれ、暗い空間がぽっかりと口を開けている。風が吹いてきているのだろう、バルバロスさまのマントがうしろにはためいていた。

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