第71話 不作法な男
「こんなもののせいで難癖をつけられた。小さいくせにはた迷惑な品だ」
「迷惑と思うのなら、なぜ埋めて手放してこなかったのです」
私の問いにラスティはすぐには答えなかった。皮肉げな笑みを口元に残したままパンを一枚取り、チーズと干しいちじくを乗せる。それからゆっくりと、視線だけをこちらに向けた。
「人目があって埋められなかった」
「ひとがいたのですか?」
「ああ。女の死を悼む男がふたり」
それだけ言った彼は、パンにかぶりつく。男。フラニードの信奉者だわ。その者たちから見れば、きっとラスティも信奉者のひとりに見えただろう。司祭さまが秘密の荷を託すくらいだもの。そう想像すると胸に嫉妬の炎が生まれ、熱で心が炙られた。
「おまけに、そいつらと揉めた。戻ったところで出くわしたのがお前たちだ」
「そう」
それで道で出会ったとき、あんなに不機嫌だったの。
「男たちと揉めたのはなぜです?」
好奇心から軽い気持ちで聞くと、ラスティがじろりと私を見てきた。その視線の強さに怯む。
「お前の侍女が身を投げたのは、俺に嫁がされるのを拒んでの末だろうと……おい、よせ」
突然、ラスティの手元からジーンの鼻先がひょこんとのぞいた。いつの間に。ラスティの視線から逃れ自分の足元を見ると、肉を乗せていた皿が洗ったようにきれいになっている。
「やめろ。前にこれを食って腹を下しただろう」
苛立ちまじりのラスティの声を聞きながら、ジーンの空の皿に大きめのチーズを入れた。そうしてから顔をあげると、卓を挟んだむこうに見えていた黒い犬の顔は、引っ込んで消えていた。
さっき一瞬張り詰めたかに思えた空気が、ジーンと一緒に消えていてほっとする。ラスティも何も言わず食事を再開していた。フラニードの死の原因が、ラスティにあると噂されているなんて知らなかったんだもの。
「俺の犬のことだが」
なにを話せばいいのかわからなくなって黙っていると、パンを食べ終えたラスティが唐突にそう言った。彼の目は、また空になった皿の底を舐めているジーンをみつめている。この子がなんだろう。
「数日ここに置いてくれないか」
「ここに? この子を? ええ、構わないわ。ずっとでもいい」
嬉しくて即答すると、ラスティは呆れた様子で目を細め首を横に振った。
「数日だけだ」
「数日でも嬉しい。この子は大好き。でもなぜ?」
「女の死で俺はいくらか敵を増やした。俺には手を出せんからと、こいつを狙うやつがあらわれるかもしれん」
面倒な、と言わんばかりのため息をひとつついたラスティが、ふいと視線を私のうしろの窓の方へ向けた。彼の目には山と空が見えているはず。
「シファードの騎士がジーンをかばう羽目になったのも、魔物との戦いの中、邪魔をしてきた者がいたからだからな」
「なんですって」
その話は、自分でも驚くほどの怒りを私の中に生んだ。握った拳を卓の上に乱暴に乗せると、目の前のお茶の表面が揺れたくらい。彼が私を見た。
「ジーンを傷つけるだなんて、私が許さないわ。邪魔をしたものとはどこの誰なの、お言い」
「言ってもいいが、なにができるというんだ? 部屋にこもったきり、広間に姿も見せられない領主の婚約者に?」
なにができる。言われて言葉に詰まる。
そうね、なにもできない。できてせいぜい、人を介して注意するくらい。
「自分でかたをつけられる。お気になさらずイルメルサさま。しばらく置いてもらえれば十分だ」
十分だと言われても、握った拳の中にはまだ怒りが燻っているのに。
「けれど、その者のせいでロインが傷を負ったのよ。おま……」
「それはあの男の責任だ」
お前にだって危険が。言いかけた言葉は遮られ口にできなかった。きつい調子でラスティが声をあげたから。突然どうしたっていうの。
私とカラルは同時に彼を見た。視線に気がついたらしいラスティが、不愉快そうに眉間にしわを寄せる。
「あの騎士、あいつが突然飛び出したんだ。ジーンは俺が守れた」
そう言って器に残ったお茶をあおった彼は、立ち上がると卓の上の荷を掴んでそれを袖口にしまった。
「それをどうするのです」
「領主はこれを俺の好きにしていいと言った。好きにさせてもらう」
「私の……!」
勝手な発言に思わず口をついて言葉が飛び出す。
「一度手放したものと、盗まれても気がつきもしなかったものだろう。俺は見せたからな、盗んだのなんだのと、あとで騒ぎにしないでくれ」
「指輪は私のではないわ、騒ぎになっても知らないわよ」
私の銀の髪飾り。フラニードと埋められるより、ラスティの役にたててもらえた方が嬉しい。でも、手放すのに礼もないなんて、ほんの少し不愉快だ。素直になれなくて毒づいた私を、ラスティは上から見下ろし鼻で笑った。
「ご心配をどうも。領主に、許可を、得ている。問題はない。それに、金も銀もすぐに溶かすつもりだ」
「なっ」
なんて憎たらしい態度だろう。なにか一言いってやりたくて、必死に頭を働かせたけれどうまい言葉がみつからない。
「異論はないな」
黙っている私にそう言うと、ラスティは腕を伸ばし卓の上のパンをひとつふたつ、つかみ取った。彼の動きに反応したジーンが立ち上がる気配がした。床に爪の当たる音がする。
「もらっていく。ジーン、お前はここに残れ」
言うが早いか振り返りもせず、出て行ってしまった。あっという間の出来事。
「無作法な」
ラスティが去ったあと、カラルがぽつりとつぶやいた。入り口をじっと見つめるカラルの背中からは、苛立ちが読み取れる。パンを持って行ったことかしら、それともその前の? きっと両方ね。
「そういえば、前にあの男にパンを貰ったわ」
「イルメルサさまが、でございますか?」
カラルが目を見開いて振り返った。薄れかけていた記憶がよみがえってくる。視線をもうひとつ感じて下を向くと、ジーンが私を見上げていた。撫でようと手を伸ばすと、ふいと首を振られ避けられてしまう。
「ええ。魔術師塔の横の薬草園の橋の上で。それを返したと思うとしましょう。あの男の機嫌を損ねてジーンを連れて行かれたらいやだもの」
触れるのは諦めよう。ジーンには笑みだけ向けて、すっかり冷めたお茶に口をつけた。
「池で鴨を見ていたら渡してきた。そんなに遠い日のことではないのに。フラニードがいたわ。私の婚約指輪をじっと見ていた」
婚約指輪。あれも指が黒く染まった夜に、土塊になって消えてしまった。あの夜が、私が最後にフラニードを見た夜になる。
「彼女が装飾品に執着しておりましたのは、私も気がついてはおりました。ですのに、このようなことが起きるのを止められず、申し訳ございません」
「嫌いだった」
心のこもらない謝罪を聞き流して、ぽつりと本音をもらす。今なら口に出してもいいような気がした。
「けれど死んでしまえばいいなんて願っていたわけでもないのよ」
「わかりますわ。いつか騒ぎを起こすだろうと思っておりましたがまさか、身投げとは。思いもよりませんでした」
身投げ、という言葉を、カラルは少し力を込めて大げさに発音した。彼女も信じていないのだ。もしかしたら、真相を知ってすらいるかもしれない。
「原因はあの魔術師の言った通りなのかしらね」
そんなわけはないとわかっているのに、こう言うしかないのが歯がゆい。ラスティに嫁がされるのを拒んで身を投げるなんて、フラニードは絶対にそんな女ではなかった。
「城で噂されているものには真逆のものもございますが」
「真逆?」
「一昨日の夜、あの魔術師の小屋に女がいたと主張するものがおりまして」
私だわ。カシュカ、人に話したのね。大丈夫、姿は髪の一筋も見せていない。ただ寝台の上掛けが膨らんでいるのを見られただけ。
「フラニードが、恋に破れ身を投げたのだというものもおります」
速まった鼓動をしずめたくて、冷えたお茶をもうひとくち飲んだ。
「その女がフラニードだったのではない?」
「あの夜フラニードは、城に姿を見せておりましたから……」
珍しく言いよどむカラルに、一昨日の夜を思い出した。私の部屋を飛び出したカラルは、途中兵士に話しかけ、それからバルバロスさまのところへ駆け込んでいる。
「ああ、そうだったわね」
どこか投げやりで皮肉げな声が出た。仕方ないじゃない。
「ですからそこで、再び嫁入りの話をバルバロスさまから強く勧められたのではないでしょうか。そうとしか思えませんわ。違うとするなら他にどんな理由が?」
「そうね」
無理やり投げ落とされたとか。
口に出せない考えを心の中でつぶやいたとき、ひとつの思いがぼんやりと浮かんだ。司祭さまはバルバロスさまを疑っておられるのじゃないかしら。
「お前、司祭さまがあの魔術師に、花や盗品の処理を任せたのはなぜだと思う?」
「なぜ疑問にお思いになるのです?」
「だって、噂はあの魔術師にフラニードの死の責のあるとするものばかりなのに。司祭さまは噂を信じておられないのではない?」
私が言うと、ジーンの前に置かれた皿を片付けるため腰をかがめたカラルの動きが止まった。すぐにその肩が震え出す。笑っているわ。
「なにを笑うの、不愉快よ」
「イルメルサさまはお若く、善良であられますのね。先ほどあの者も申していたではありませんか」
ラスティが?
なにを言っていただろう。
「敵が増えた、と。盗品を持たせ、魔物の多い侘しい墓地に送り出すなど……ねえ。ご存知ありませんか? 聖職者の扱う香油には、魔物を引き寄せる香りを持つものもあるそうでございますよ」
楽しそうに言葉を紡ぐカラルに、私は言葉も出ない。ラスティが言っていた敵って、司祭さま? それを自分でなんとかすると? どうやって。
「まあ。オースン司祭さまはそう大それたことのできる方ではございません、そう不安げなお顔をなさらなくても」
ラスティの身を案じてぐるぐると考えを巡らせていると、カラルがからかうような言葉をかけてきた。彼への気持ちを見透かされたかとぎくりとしたけれど、カラルは私からいつの間にか寝台に乗ってくつろいでいるジーンへと、興味を移していた。
「イルメルサさまが、この犬をことのほか可愛がられているとお知りになれば、司祭さまといえど諦めざるを得ないでしょう。イルメルサさまは、ガウディールの女主人となられるお方なのですから」
すぐに消える妻だけれど、それを知る者は多くはない。そう、なら今私にできるのは、ラスティに託されたジーンを大切に扱い守ること。
「カラルお前、ここに出入りする者に私の気に入りの犬がいると知らせておおき。この子になにかあれば全員に罰を与えると」
「はい」
わざとらしいほど恭しく膝を折り答えるカラルを見つめながら、私でもラスティとジーンの役に立てるのだと嬉しく、内心満足していた。
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