第52話 近づく暗雲


「この者を同席させるが構わぬな?」


 疑問形だけれど尋ねてはいない、そういう話し方。バルバロスさまの腕に抱かれたまま、無言で頷いた。そのときちらとラスティを見る。

 昼間の太陽の下に立つ彼の髪は、赤く燃え輝いていた。彼も私を見ていたのか視線がぶつかり、絡み合う。ラスティ。昨晩私たちの間に生まれていた親密な空気、あれを求めて心が叫び、痛んだ。


 苦しさから逃れたくて、ラスティから視線を引き剥がし、バルバロスさまの顔を見た。ラスティに気持ちが向いていると、この目ざとい男にばれては大変だもの。


「朝食だなどと。お茶をというから黙って連れられて参りましたのに」


 フラニードの喋り方を思い出しながら少し甘えた軽口を叩いてみたけれど、あまりうまくできなかった。やたらと不満めいて聞こえてしまう。


「こういった趣向もたまにはよいだろう」


 これ以上口を開いても、非難の言葉しか並べられそうにない。黙って曖昧な笑みを口元に浮かべるだけにした。

 バルバロスさまはそれ以上私の気持ちに頓着しないとお決めになったらしい。まるで藁の束でも抱えているように腕の中の私を無視してラスティに並ぶと、彼に話し始めた。

 

「慣れたか」

「どこで暮らしても大して変わりはない」

「は! そうか。そうかもしれぬな、お前のような野心の足りぬ男にとっては」


 野心。確かにラスティからはそのたぐいのものを感じない。ぼんやりとそう思っていると、目の前に大勢がやってきた。魔術師たちは煎じ茶を。召使いたちは机や椅子、スープやパンに、果物などを運んでくる。

 バルバロスさまに抱えられたまま、整えられてゆく朝食の準備を眺めた。


「なぜ貪欲に上を目指さぬ。上にゆけばみなお前の魔力を畏怖し称えるだろう」

「人は嫌いだ」

「答えになっておらぬな」


 バルバロスさまの追及に、ラスティは身じろぎをしてそれからなぜか私に視線を向けてきた。彼の赤い目。その奥の彼の心はしっかりと隠されていて、私には見えない。


「その女、どうした」


 ちろ、とバルバロスさまの目が私の方に動く。ラスティったら、私をいい口実に話を逸らしたわね。急にふたりから注目され、戸惑う。


「城壁で山風に吹かれてな、体に障ったようだ」

「風?」


 ラスティが空を見上げたので、私も上を見た。いつの間にか山の方から、暗い色をした雲が近づいてきていた。じき降るわね、雨かしら、それとも雪が降るかしら。


「用意が整ったな。座れ、魔術師ラスティ。それから、これのことは“イルメルサさま”と呼べ」

「わかった」


 そんなやり取りを聞かされながら、やっと降りられたのは毛皮の敷かれた長椅子の上。地面に足をつけほっとしたのも束の間、すぐに右隣にバルバロスさまが腰掛けてきた。近い。ラスティは机を挟んだ真向かいにいる。


「飲め」


 一番に、バルバロスさま手ずから茶器を渡された。なみなみと注がれた黄色いお茶は白い湯気を立ち上らせ、甘く薫っている。

 そういえば昨日は、なぜ私だけが眠ってしまったのだろう。モルゴーもエーメも、ラスティだって同じお茶を飲んだのに。


「どうした。ここの食い物は信用できぬか? 毒見役を呼んでもよいが」

「いえまさか、滅相もございません」


 バルバロスさまと同じ皿から取るのだ滅多なことはないだろう。ラスティだっている。でも。


「昨日はこのお茶を飲んですぐ、みっともなく寝姿をさらしてしまいました。また同じことになったらと思うと」

「疲れておったのだ、気に病まずともよい。そうなれば、私が部屋まで運んでやろう」


 だから飲め、という言外の圧力を感じながら手の中の器を揺らして躊躇する。ゆれるお茶の中、諦めた顔をした私がこちらを見つめていた。


「領主」


 と、ラスティの声。


「俺を呼びつけたのは朝飯を食わせるためなのか」

「おお、そうであったな」


 機嫌良くラスティに答えたバルバロスさまが、左手を煩わしそうに振って私に早く飲めと伝えてくる。飲むしかなさそうね。

 そっと口を付け舐めるほどの少量を含んだ。


「メイグォに送っていた使いから書簡が届いた」


 メイグォ。王都西にある学術都市の名だわ。なぜそんな場所に使いを。考える間もなく、疑問はすぐに解けた。ラスティの目が急に鋭さを増して。


「俺を疑っていたのか」


 不快感を滲ませた彼の声に、心臓が跳ねる。そうだ、ラスティはそこで学んでいたことになっているのだった。メイグォの魔術大学からの紹介状を持ってここに来たのだもの。恐らくお父さまが用意させたもの。バルバロスさま、お疑いになられていたのね。


「用があってな。ついでだ」


 そう言ったバルバロスさまの手には、いつの間にか封の割られた一通の書簡があった。ひらひらと揺らしながら、目を細めラスティの反応を楽しんでいるように見える。

 緊張で喉が渇く。手に持ったお茶を一口飲んでから、それが特別なものだったと思い出したけれど、昨日のようには眠くならなかった。あたたかな魔力が胸に広がるだけ。ほっとして、もう一口。


「それで。それに満足のいく答えは書かれていたか」


 ふん、と鼻を鳴らしたラスティが、挑むようにこちら側を見据えてくる。どうしよう。ラスティと私の関わりが明らかになったのだとしたら。そっと茶器を下ろして机に置いて、細かに震える手を膝の上で握り合わせ温めた。


「お前の経歴に嘘がないことがわかった」


 バルバロスさまの言葉にほっと胸をなで下ろし、ラスティを盗み見た。けれど彼の表情は相変わらず厳しいまま。


「――それで?」

「ガウディールに腰を落ち着けるつもりはあるか」

「今そうしている」

「さらに先の話だ。私に忠誠を誓うなら」

「誓うつもりはない」


 領主の言葉を遮ってきっぱりと言い切った彼に、驚いて顔を上げる。そっと隣を見ると、バルバロスさまも頬を強ばらせ彼を見ていた。その目に怒りが揺らめくのをみつけ血の気が引いた。


「ぶ」


 緊張で乾いた唇を必死に動かす。


「無礼な、お前を取り立ててやろうというのに!」


 ラスティを守りたい一心で、叫んで立ち上がると立ち眩んだ。机の端を掴んでなんとか姿勢を保つ。


「不愉快な魔術師、あっちへお行き!」


 手近にあったパンを掴んでラスティ目掛けて投げつけると、彼はそれを片手で受け止めてじろりと私を睨みつけてきた。


「パンをどうも、イルメルサさま」


 嫌みたらしくゆっくりと言って、大きなままのパンにかじりついている。


「なんて態度なの」

「はっ、面白い男だ。易々と手放すのは惜しい。なにがお前の望みだ。権力ではなさそうだが。金か、女か?」


 バルバロスさまの怒りがなりを潜めたので、私もまた椅子に座り直す。それにしてもなんて質問よ。


「金と静寂だ」

「女はどうだ。ガウディールの女の肌は白く滑らかで有名だぞ。望む女をどれでも、妻に娶らせてやろう」


 そこで言葉を切ったバルバロスさまは、頭を巡らせて後ろに視線を送った。その先には、詰まらなそうに立って私を待っているフラニードの姿がある。さっ、と血の気の引くのが自分でもはっきりとわかった。


「あれはどうだ? 連れ歩くには充分な美しさだが」


 答えが気になって見ると、眉間にしわを寄せフラニードを見つめるラスティがいた。なんて答えるの。ラスティがあの女を見ているのも我慢ならないのに、褒め言葉を口にするところなんて私――。


「連れ歩き自慢できる素晴らしいガウディールの女でなくて申し訳ございませんバルバロスさま」


 自分でもぞっとするくらい冷たい声が出た。男たちの視線が集まるのを感じたけれど、もう怯みはしなかった。


「これは、南部からの婚約者と過ごしておるときに失言であったか。機嫌を損ねたか? シファードの」

「とても」


 呟いて、目の前にあった茶の入った器を奥に押しやった。強く押しすぎて少し零れたくらい。


「不愉快なことばかり」

「いかん、それは飲まねばならぬぞ」

「飲みたくありません」


 胸の中で小さな熱い粒が跳ねまわっているみたい。苛々した気持ちがする。バルバロスさまもラスティも、フラニードも視界に入れたくなくてふいと横を向いた。池がある。今日も鴨が浮かんでいるわ。

 と、右の手を取られる気配に振り返ると、バルバロスさまが私の手を取って指先に口づけるところだった。驚いて体がこわばる、一瞬後に冷たい唇が押し付けられた。それはすぐに離れたけれど、そうでなければ叫んで振り払っていただろう。


「詫びになにか贈ろう、なにか望みのものは」


 自由を。

 言えない言葉を飲み込んで少し顔をあげると、バルバロスさまの肩越し、遠くからこちらをみやるフラニードの白く小さな顔が見えた。


「新しい髪飾り。金製で石がなくては嫌です。これと揃いの」


 左の指にはめられた婚約指輪をバルバロスさまに見せ一息に言うと、唇の端を歪める笑いを浮かべたバルバロスさまは、私を見つめたままラスティに話しかけた。


「女の機嫌を損ねるとかように金がかかる」

「そのようだな、やはり俺は金だけでいい。充分稼がせてくれるうちはせいぜい仕えてやるさ。話は終わりだろう、領主」


 言いながら立ち上がったラスティが、急にこちらに手を伸ばして来たので驚いて身を引く。その勢いでバルバロスさまに握られていた手が離れた。


「冷めたな。イルメルサさま。領主の機嫌を損ねると望みの宝石が貰えなくなるぞ」

「なっ」


 ラスティは私の押しやったお茶の入った器を私の真ん前に押し戻してきた。彼が手を離すと、お茶から白い湯気があがる。


「これは、飲んだ方がいい」


 私の顔をじっと見つめそう言ってから、ラスティは失礼する、と呟き私たちに背を向け去っていった。これを飲め、って。ラスティの後ろ姿を睨むふりをして見つめながら、押しつけられた器を持ち上げそっと口をつけた。

 

 熱い

 ……ただのお茶


 煎じ茶に込められていたはずの魔力は、すっかり消えてしまっていた。

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