第46話 目を閉じている間に
「お目覚めか」
エーメの声。目を開け鉄製の集合灯が見えてようやく、魔術師塔の秘密の部屋にいたことを思い出した。
「眠ってしまった?」
「ほんのしばらくだけ」
腰掛けていたはずの長椅子に横たわらされている。随分深く眠ってしまったみたい。頭の芯がふやけているみたいな、朝起きたときに近い感じがした。フラニードに手渡したはずの私のマントが体に掛けられていた。
ゆっくり起き上がり部屋を見渡すと、モルゴーの姿がなくなっている。ラスティはいて、中央の机に寄りかかり立って腕を組んで私を見ている。緊張していた気持ちが少し緩んだ。ラスティがいてくれたなら、大丈夫。眠ってしまっていたとしてもなにも心配はないわ。
「しばらく? ほんとうに? 随分体が休まっている気がするの」
「お茶の効能にございます、お疲れのイルメルサさまには少々強く作用してしまったようで」
「そう……」
本当にそれだけなのかしら。そう思ってエーメとラスティの顔を見比べてみても、柔らかなエーメの表情からも、不機嫌そうなラスティの顔からもなにも読みとれなかった。
「モルゴーがいない」
「バルバロスさまから召し出しがございまして、出ております」
「そう……私ももう行こうかしら。世話になりました」
案内人がいなくなったのだから、戻らなければならない。体に掛けられていたマントをどかしながら、こっそりと自分の服を見る。お茶を落とした気がするけれど染みもなく、床も汚れていない。魔術できれいにしたのね、きっと。
「そこの、怖い顔で私を見ている魔術師はなぜまだここにいるの?」
私を見ているラスティが気になった。マントを取りに近づいてきたエーメにこっそり聞きながら立ち上がる。
「モルゴーの変わりの案内人に。とは申しましてもこれはイルメルサさまよりあとに来た新参者。イルメルサさまのお好きな時に散策していただける薬草園を、封鎖された庭のかわりにご用意いたしました。そこまで同行させるだけにございます。ご不快でしたでしょうか」
「まあ、庭のかわり。礼を言います、エーメ。そこに行くまでだけだもの、誰がついていても同じだわ。彼で構いません」
煎じ茶というのが効いたのか、気分はだいぶよかった。ラスティが来てくれると聞けば尚更。エーメに羽織らせてもらったマントの首元の紐を結びながら、ちらとラスティのいた場所に視線を向ける。いない。ラスティはすでに私たちに背を向け、階段へと続く木製の扉の方へと歩いていた。
「開けてくれエーメ」
「あなたの許可がなければ出られない部屋なの?」
「はい。その木戸の開け閉めができるのは私とバルバロスさまだけ」
そう聞くと、なんだかこの部屋が不気味に思えてきた。最後にもう一度部屋を見渡すと、横になっていた長椅子のそばの壁に不自然な線を見つけた。あそこ、開きそう。他の場所に繋がっている。
見つけたけれどなにも気が付かないふりをして、また木製の古ぼけた扉の方を見やった。扉を開き、手で支えたラスティがこちらを向いて私を待っている。
「お茶をありがとう」
「いつでもお越しください」
この部屋は薄気味悪い。もう訪れたくはなかったけれど、笑みを浮かべ頷いておいた。それからラスティに続いてその場をあとにした。
◆◆◆
「かわいいわ」
魔術師塔の裏手に、細い小道を挟んで造られている薬草園は、手入れの行き届いた美しい場所だった。簡素な木の柵で囲われただけだったけれど広さも申し分ないし、自然な形の池と橋があるのがなにより嬉しい。
その池には、曇り空の下、鴨が何羽も浮かんで漂っていた。時折首を伸ばし羽ばたいて、緑の頭をこちらに向けてくる。
「心が和みますわね、イルメルサさま」
フラニードと並んで橋の上に立ち鴨を眺めていると、嫌なことはほとんど頭の中から消えていった。例えばさっきあの部屋を出てから、一度もジーンがそばに来てくれないとか。
「俺は戻らせてもらう」
橋のたもとでジーンと並んで立ち止まっていたラスティにそう言われると、楽しかった気持ちはさらに少し萎んだ。
フラニードがいるせいで、ラスティとなにも話せなかった。彼ったらなにも言わないのだもの。私が眠ってしまった間、みなでなにを話していたのか聞きたかった。
なにも言えず、水面を見つめたままただ黙って小さく頷いた私と違い、フラニードはその美しい顔をラスティに向け気取った声を出す。
「ご苦労でした」
「ああ」
ラスティがフラニードを見て答えている姿が、池の水に映っていた。池の縁を歩いて去っていく彼を目の端に捉えて見つめる。それを追うように鴨がすいと泳いでいった。水面に映るラスティの姿は歪むけれど、鳥を見ているふりをして目で追える。いい子ね、彼について泳いでおいき。ああ、ラスティが池から離れて行ってしまう。
「無愛想な男――あら、戻ってきた……」
フラニードの言葉に顔を上げる。一度池から離れたラスティが、まっすぐこちらに戻ってくるのが見えた。ジーンは遠く向こうで立ち止まっている。
「何用です」
フラニードがラスティの方へ歩いていく。ラスティはフラニードに、ローブの袖口から取り出した包みを渡して一言ふたこと声をかけていた。なにかしら。
渡し終わったラスティは私を見ないで、振り返りもせず香草園を出て行った。あっさりしたものだわ。
「あの……あの男がこれをイルメルサさまにと残していったのですが」
戻ってきたフラニードはなぜか戸惑った表情をしている。おずおずと伸ばされた彼女の手には、古びた布にくるまれた、子供の拳ほどの大きさのなにかが乗せられていた。
「なにかしら」
「あっ、汚のうございますわ。捨ててしまいましょうか」
失礼ね。布は古いけれど汚くなんてない。ラスティがくれたものと思えばなんの抵抗もなく手を伸ばせる。
「なにか知りたいわ」
持ち上げた包みは想像したより軽かった。硬くていびつな形のなにか……。
「あら!」
指で布を摘まんで合わせ目を開くと、中には古びて硬くなったパンが入っていた。ラスティ、怖い顔でこんなものを袖にしまっていたの。そう思うと可笑しくて、吹き出して笑ってしまった。わざわざ戻ってきて私に。
「鴨にやれる。ちょうど欲しいと思っていたの」
つぶやいて布の上で砕き撒くと、鳥と魚があつまってきて水面が急に騒がしく波立った。
「いつも無愛想に四方八方睨みつけている男にしては気が利きますわね、それにしてもあの魔力の量。包みを受け取るときに少し手に触れてしまいましたけれど、まだ指が痺れている感じがいたします」
「痺れる……」
ぽかんとフラニードを見、呟いた私を、彼女は怪訝な表情で見つめ返してきた。
「おわかりになりません? あの男の近くにいるとだんだん頭が痛くなってきますのよ。手が触れるとただただ不快ですし」
「そう、私にはよくわからない」
「イルメルサさまは特別でいらっしゃられますから。人死にのあった庭にも勇敢に入っていかれたのでしょう? みな噂しておりますわ」
フラニードのあからさまなおべっかには、苦笑するしかなかった。噂。どんな風に口の端にのぼっているのかは、身を潜めて盗み聞きするまでもない。魔物の姫だとか、庭の一件も私が起こした騒ぎに違いないとか、死んだ魔術師は生け贄にされたのだとか、そんなところだろう。ここでは、私が来てから人が死にすぎている。
「私なんて。あの魔術師の方が特別よ、熊も魔物も退治して、バルバロスさまから幾つも指輪をいただいたのだから」
「指輪?」
「そうよ、あなたの来た日に。見ていなかった? 私がバルバロスさまに頂いたのはこれひとつだけなのにね」
左手を顔の高さまであげ揺らし、指に嵌めた細い金の指輪を眺めたけれどそれは光りもしなかった。ただ、隣に立つフラニードの視線を強く感じただけ。
「お若い頃のご自分に重ねていらっしゃるのかもしれませんわね」
言ったフラニードは、視線を私から池に映すと言葉を続けた。
「魔力量が多いことでご苦労をされたそうですので」
「そうなの」
私はそんな話知らない。何も知らないのだわ、バルバロスさまのこと。
「随分詳しいのね」
「おじから聞いておりますの」
ぱくぱくと開いた口をこちらに向ける魚の勢いに負け、鴨は遠巻きにこちらを見るばかり。大きめのかけらを手にとって、鴨に届けと放り投げたけれど、それは風に押されてこちらに戻ってきてしまった。魚の群の中におち、すぐに見えなくなる。
「これでおしまい」
それからすぐに、パンがなくなった。ぱたぱたと布を振り残ったパンくずを払って、なにか言われるより先に手をマントの内側に入れ、布を服の下に隠した。綺麗に洗ってラスティに返そう。隅に刺繍をしたら彼は怒るかしら……嫌がりそうね。
その日は、日が昇るにつれ珍しく雲がうすくなっていった。のんびりと薬草園を散策し、遅い朝食に呼ばれた頃には、暖かな日差しが時折庭に降りてくるまでになっていた。
「ガウディールに来て一番明るい日」
ラスティに貰ったパンに、柔らかな光。気持ちまで明るくなる。口元に笑みを浮かべ隣を歩くフラニードを見ると、彼女も笑った。
楽しい気持ちは、広間に行ってバルバロスさまの隣に腰掛けてもなお続いていた。魔術師たちの中に、ラスティの姿も見える。彼の周りに人がいないのは、そばにいるだけで頭が痛くなったりするからなのね。そういえばこれまでも彼の近くに座っていたのは、騎士が多かったかもしれない。
「魔術師塔へ行ったそうだな、よい気晴らしになったか?」
「はい、許可をくださり感謝いたしますバルバロスさま。香草園の散策もできました」
気持ちの明るいまま隣のバルバロスさまを見て笑い言うと、驚いたことにバルバロスさまも口元に小さな笑みを浮かべ私を見た。
「それはなにより、また訪ねるといい。ただし何にも手を触れぬのだぞ」
「指が飛ぶ、ですか?」
「その通り。イルメルサさまの指が飛べば、ゲインが私の首を飛ばしに来るだろうからな」
笑っていいのかしら。困った顔をしてパンに手を伸ばすと、そんな私をじっと見ていたバルバロスさまが、一度大きく頷いた。
「確かに、モルゴーに聞いた通り健康そうに見える」
「つい先ほど煎じ茶を飲んだところなので、それでかもしれません」
「あれか。あれはいいものだ、毎朝運ばせる。我が妻となる者には健やかでいてもらいたい」
なんだか今日は、バルバロスさまもおかしいわ。私に笑って話しかけるなんて。
「なにか良い知らせでもおありでしたか?」
ご気分を害するだろうか、と少し不安に思ったけれど尋ねてみた。
「青白い顔で周り中を睨んでいた婚約者が、明るい顔で微笑んでおれば機嫌良くもなろうというもの」
バルバロスさまの言葉に、広間に笑い声が広がった。けれどそれは今まで聞かされてきた冷たい笑いではなかった。
広間に流れる和やかな雰囲気に、信じそうになった。これまでの待遇はバルバロスさまのおっしゃる通り、全て私の態度のせいだったのだろうか、と。
でも。広間を見回す私の目が赤い色を見つけて。その魔術師が、なにかを探るような目でバルバロスさまを一度だけ見たのをみて、違うのだと思い直した。そうよ、だって昨日あんな騒ぎがあったばかりなのにおかしいわ。
なにかが起きたのだ、私の知らないところで。私が目を閉じている間に。
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