第45話 エーメと彼の探求心


 ぞろぞろと連れ立って塔の階段を登っていくと、途中すれ違う魔術師たちは、例外なく目を丸くして私たちを見た。中にはなにかの調合を誤って、小さな火花を散らせ慌てている者までいた。


「こちらでお待ちを」


 塔の中ほどよりまだ少し登らされ、さすがにくたびれていたのでそう言われた時には内心ほっとした。休みなく階段を登り続けるのはひどく疲れたから。


「……なにもないわ」


 立ち止まらされたのは、踊場ですらないただの階段の途中。もう少し登れば踊場があるのに。ふざけているのかしら。


「ここで間違いのうございます、ご安心を。さ、こちらへ……犬と侍女はここまで。上で待たれよ」


 少し上の踊場を顎でしゃくってそうフラニードに言うモルゴーの顔は、私にいつも向けているものと少し違って見えた。どこか見下した、軽蔑の滲む視線。フラニードを嫌っているのかしら。

 当のフラニードは気にした様子もなく、ジーンのお尻を軽く叩いて上に登って行った。


 彼らとモルゴーを見比べている間に、モルゴーが暗い灰色の石の詰まれた壁に手を触れていた。魔力を流し込んでいる気配がする、と思った瞬間、揺らめいた壁から鉄製の、黒い小さな扉が姿を見せて驚いた。

 魔力で出現させる扉。王都の城にあると弟から聞かされた覚えがあるけれど、ガウディールにもあったのね。


「ここにエーメが?」

「はい」


 こんな場所にいるなんて、ひどく臆病な男なのだろうか。モルゴーが扉を押すと、重く軋む音をたててそれは開いた。


「壁」


 奥はまたすぐ壁で戸惑う。と、前にいたモルゴーが少し体を傾け下の方を手で示してきた。あら、狭い階段が下に続いている。また階段。


「登ったのに降りるの」

「もう、この先すぐにございます」

「エーメが私に会いに出てくればいいのに」

「返す言葉もございません。さ、参りましょう」


 覗くと、下から吹いてきている冷たい風が頬にあたった。奥はここより更に暗いみたい。モルゴーが先に立って中に進み、光も浮かべず暗いだけの階段を降りていった。彼の黒のローブが闇に溶け消えていくのが見えて、足がすくむ。


 こわい。


 と、ぽうっと柔らかな白い明かりが頭の少し横辺りに灯され、狭い通路を照らした。影が伸びる。すぐ後ろに人の気配と、不機嫌そうな低い声。


「早く済ませたい、行け」


 ラスティが光を灯し、すぐ後ろに来てくれたのだ。ほ、と肩から力が抜ける。照らされたそこは、明かりにさらされてみればただの古ぼけた石の階段だった。でこぼこしている。


「気が利かず申し訳ございません。歩き慣れているもので、つい」


 中に入り、ラスティが鉄の扉を閉めるのを待って降りていくと、少し先で立ち止まったモルゴーがおさまりの悪そうな顔をこちらに向けていた。


「お前は私を転ばせたいの」


 思わず嫌みが口をつく。


「いえ、決してそのような」

「早く降りろ」


 せっつかれまた歩き出す。確かに早く会ってしまいたい。魔術師長と話すより、ジーンを連れて裏の池の鴨を見ている方が楽しそうだもの。パンくずかなにかあればいいのに。


「エーメさま」


 ぼんやりしていたら、モルゴーの声に引き戻された。いつの間にか階段が終わり、正面に古ぼけた木製の扉があらわれていた。そこに顔を近づけたモルゴーが中に呼びかけている。

 人ひとり、やっと通れる細い通路の奥。こんなところに部屋なんて作れる?


「イルメルサさまをお連れいたしました」

「ああ」


 こもった声が中から聞こえるのと同時に、扉が開く。モルゴーがまず中に入っていった。続こうと扉に近づくと中の様子が見え、足が止まる。


「え?」

「むさ苦しい部屋ですがお入りください」


 エーメの声と、背後のラスティの気配が私の足をまた動かした。部屋へ足を踏み入れ、立場も忘れて辺りを見回す。


「部屋だわ」


 そこには部屋があった。満月の端からひと欠片切り取ったような歪な形で窓こそないものの、しっかりと広さのある部屋が。高い天井の中央には鉄製の集合灯が吊り下げられ、魔術であかりが灯されていた。


 奥には丸みのある壁に沿って取り付けられた木製の長椅子があり、中央に机がひとつ置かれている。そのそばに置かれた背もたれの高い焦げ茶色の椅子に、魔術師長エーメが腰掛けていた。私が入ったのが合図のように立ち上がった長身の男は、人好きのする笑みを浮かべこちらに足を踏み出してくる。


「ここは初めてでいらっしゃいましたか」

「ええ、その通りよ」


 近づいてくるエーメに右手の甲を持ち上げ見せると、エーメは自然にその手を取って口付ける真似をした。私に触れても眉一つ動かさない。


「なぜ私をここに連れてきたの?」

「退屈だ、とおっしゃっておられましたので。珍しい道のりをご覧に入れられたかと」


 エーメの挨拶を受けながらモルゴーに聞くと、なんとモルゴーはそう言ってにやりと笑った。理由はそれだけ。


「確かに面白かったけれど」


 疲れた、の言葉は飲み込んだ。


「こちらへお掛けください、お茶を差し上げましょうか、よいものが――ああ魔術師ラスティ、お前もいたのか」


 取られた手をそのまま引かれ、エーメに奥の長椅子へと導かれた。細かな刺繍を施された深緑のクッションが置かれていて、座り心地がよさそう。ベンチのおかげか、木の甘い匂いが香った。

 素直に腰掛け顔を上げると、無愛想な顔のラスティがのっそりと部屋に入ってくるところだった。エーメを長身だと思ったけれど、ラスティは彼より更に頭半分くらい大きい。


「一度顔を見せろと言ったのはお前だろう」

「どうだ、体調に変化は」

「特になにも」

「なによりだ。戻れるか」

「ああ」


 淡々とした短いやり取りが続く。それを聞くともなしに聞きながらぼんやりとふたりを眺めていたら、視線の先のラスティが何気ない様子で私を見てきた。


「あの女……領主の婚約者が俺を睨んできてやりにくい、用があるなら向こうを先に済ませてくれ」

「まあ」


 睨んでなんていないわ。見ていただけよ。どうしてそんなことを言うの、ラスティ。むっとして彼を睨んだ瞬間、エーメとモルゴーが振り返り私を見て頬をひきつらせた。


「申し訳ございませんイルメルサさま」

「言葉が過ぎる男で」


 いやだ、本当に私が彼をずっと睨んでいたと思われている。


「知っています。バルバロスさまがこの男を注意されているのをそばで見ていたもの」

「留意するよう言われただけだ」

「ラスティ、口を慎め」


 モルゴーがラスティを強めに叱責すると、彼は口を閉じ黙り込んだ。私はラスティといられて嬉しかったのに彼は違うのね。そう思うと居たたまれなくて、座ったばかりの長椅子から立ち上がった。腹が立つし、悲しいし恥ずかしい。


「不愉快だわ、部屋へ戻ります」

「お待ちください、せっかくここまでおいで頂いてこれでお帰ししたとあっては、私がバルバロスさまに叱責されてしまいます」


 途端に焦った様子のエーメがやってきて私を押しとどめはじめた。


「お疲れでしょう、薬草の煎じ茶をご用意いたします。妻と娘の焼いた菓子もございますのでもしよろしければお召し上がりください。イルメルサさまの口に入ったと知ればどれほど喜ぶか」


 喜ぶわけがない。叫びたいのをこらえ長椅子に座り直すとエーメはほっとした表情を浮かべた。


「すぐにご用意いたします」


 そして、壁にはめ込み作られた棚のひとつに近づき小さな扉を開くと、そこから銀製の茶器を取り出しはじめた。 


「あなたがいれるの」

「それが一番早うございます。湯を沸かすのは私の特技のひとつ」


 確かに彼は魔術師、それもここの魔術師たちの長であるほどなのだから、湯など運ばせるより作り出す方が早いだろう。それにしても湯を沸かすのが特技、なんて。


「特技とまでいうのなら、いただこうかしら」

「すぐに」

 

 部屋の中央の机に茶器が置かれた。銀のポットを持ち上げたエーメがそれを傾けると、すぐに注ぎ口から柔らかな草と花の香りのするお湯があふれ零れてきた。魔術も魔力もなにも、まるでその気配を感じさせられなかった。けれど器に注がれるお茶からは白く湯気があがっていて。


「どうぞ、どれでもお好きなものを」


 茶器を乗せた盆を手にしたエーメが、前まで来てそれを差し出して見せてきた。器は五つ用意されていて、その全てに同じ薄い黄色のお茶が注がれている。


「我々もご一緒させていただきます。モルゴー、ラスティ、お前たちもだ」


 毒を盛られた経験のある私に配慮してくれている。そう思うと少し嬉しかった。


「そうね、では、これを」


 迷ったけれど結局、一番自分に近いところにあるものを選んだ。小さく頷き微笑んだエーメは優しそうに見える。年が近いからか、父を思い出させられた。おかしいわね、全く似ていやしないのに。

 受け取った茶器を揺らすと中のお茶も揺れた。いい香り。ラスティがいるのだから、飲んでも大丈夫よね。

 みなの手に茶器が渡るのを確認してから、そっと口を近づけた。一応用心をして、最初は口をつけるだけに留める。


「いい香り」

「ありがとうございます、ガウディールの魔術師が煎じておりますもので、強い癒やしの力を込めてございます」


 モルゴーの説明通りなら、たくさん飲みたい。気になって視線をやると、ラスティは器をあおって一息にお茶を飲み干してから、その底をじっと見つめていた。ラスティが飲んでいるのなら大丈夫ね。モルゴーもエーメも飲んでいる。

 こく、と一口飲んだ。喉を温かいお茶が通って行くと、ほんのり体が温まった。もう一口。今度は指先が熱くなる。疲れが薄まっていく。ラスティの洞窟で入浴した時みたいにぽかぽかしてきて、心地よかった。


「お疲れだったのですか」

「ええ、そうね、昨日は大変だったし」


 エーメの声が少し遠くなって聞こえる。それに答えた。まぶたが重い。


「どうした?」


 これはラスティの声。


「なにも」


 心配させないよう出した声は、思ったより小さな声しか出ない。なにもおかしくないわ、ただ少しふわふわするだけ。とても心地いい。


「なにをしたエーメ」

「物騒なことを口にするな魔術師ラス」


 そこまでしか聞こえなかった。とても眠くて。

 手から茶器が滑り落ちるのがわかったけれど、床に落ちた音は聞こえなかった。

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