第32話 それぞれの思惑


 喉が熱い。焼けるよう。

 

「暴れるな! 吐け!」

「うっ……ぐぅっ」

 

 気がつくと乱暴に後ろから抱き抱えられ、喉に熱くて太い指が差し込まれている。苦しい。指からは喉を焼く強い魔力が体に流し込まれ続けていて。

 うっ、と強くえづいて吐きそうになる。慌てて口に入れられた指を右手で弾いて、地面に向かって咳き込んだ。口から、お茶と一緒に黄色の花弁が何枚か飛びだして、はあっと息をついた。いつの間にか少し呼吸ができるようになっている。でも喉が熱く焼けて痛い。体の力は入らないけれど。

 ぜいぜいと呼吸を繰り返して体に空気を取り込みながら、えづいて涙の滲む目をこすりながら振り返ると、思った通りラスティがいた。額に汗をかいて、赤い髪が幾筋か張り付いている。

 

「……あ、す」

 

 名前を呼びたいのに、うまく声が出ない。それまでこらえていた涙がぼろぼろとこぼれ落ち始めた。話そうとしたらまた喉が痛み、咳が続いた。

 

「おちつけ、ゆっくり。呼吸はできるか?」

 

 ラスティの声に、咳の合間にゆっくりと息を吸った。ぜいぜいと酷い音が喉からもれる。涙は変わらず目から流れ、ぱたぱたと地面に落ちていく。ラスティの手が、肩と背中に置かれた。


「悪い、喉が少し焼けていると思う。咳はそのせいもあるだろう、痛むか?」

 

 泣きながらこくこくと頷くと、ラスティの手が優しく背中を撫でてくれた。

 

「なにがあった、と聞きたいが話せないか。城のものに知らせるぞ」

 

 首を横に振る。

 

「俺も気持ちは同じだが、隠せば俺たちが通じているとここの人間にばれてしまうだろう。取りあえず……お前を部屋に運ぼう」

 

 そんな声と共に体がぐらりと傾いで、視線が高くなった。ラスティに抱き上げられている。前も、泣きながら彼に抱き上げられたわ、洞窟で。

 

「前にもこんなことがあったな」

 

 そう思っていたら、小さくささやく声が耳に届き、なぜかそれを聞いたら涙が止まってきた。咳は止まらない。けほ、こほ、と息を吸うたびに喉がちくちくと痛む。アリアルスの癒やしの水を飲みたい。それかお父さまがいれば、すぐに治してくださるのに。


「ここは片付けておいた方がいいか」

 

 呟いたラスティが手のひらを地面に向ける。途端に熱風が渦を巻き、地面に散らばった黄色の花弁を集めて行く。木の小箱も魔力に呼ばれ花弁の元へ集まっていき、それを中におさめた。ラスティの胸に頭を預けながらその不思議な光景をじっと見つめていた。

 その時だった。

 

「イルメルサさま?! お前、魔術師なにをしている、不敬だぞ!」

 

 兵士がひとり、私たちを見咎めた。たまに外の出入り口の横に立っている男だ。ち、とラスティが舌打ちをする。

 ずかずかと歩み寄ろうとした男はしかし、ラスティの腕の中の私を見るとびくりと体を震わせて足を止めた。

 

「なにが……」

「具合が悪くなったらしい。立てないと言うので部屋まで運ぼうかと。俺は治癒魔法には疎い。得意なものを呼んで来てくれ」

「ああ、わ、わかった」

 

 魔力もなく、恐らくいつもより顔色も悪くぐったりしている私が薄気味悪かったのだろう、兵士はラスティの言葉にこれ幸い、といった風に従い魔術師の塔への道を駆けて行った。

 

「この木箱は預かるからな」

 

 頷く。調べてくれるのだろう。しゃく、とたまに硬い雪の塊を踏む音がしている。

 

「ジーンが駆けてきて教えてくれた」

 

 やっぱり。ほんとうに賢い子だわ。

 ふ、と視線を下ろすとラスティにならんで歩いている。

 

「ジーンをお前の部屋に置いていこう、助けになるだろう」

 

 ジーンを。苦しい中でも嬉しさで、ふ、と口元が緩むのを感じた。

 

「嬉しいか」

 

 上から声がして見上げると、ラスティが小さく笑んで私を見下ろしている。彼の赤銅色の目が、珍しく優しいいたわりの色を滲ませていて。それから目が離せなくなった。彼の目を見ながら小さく頷く。

 こんな時に頷くか、首を横に振るしかできないなんて。彼に伝えたいことがたくさんあった。手紙を読まれていたこと、母から送られてきた菓子を食べたら死にそうになったこと、ジーンが危ないと教えてくれていたこと……それに、ここでの暮らしが辛いこと。ラスティとジーンが来てくれてとても心強いということ。それから、あのねぐらで魔法が使えたこと。

 でもそのどれも口にできなかった。

 

「まあ! イルメルサさま、なにごとが」

 

 離れの客間に近づくと、なぜか表に立っていた私に手紙を持ってきた召使いが、わざとらしく驚いた口調で駆け寄ってきた。知っていたのね。心を許していたわけではないけれど、この女は敵なんだわ。

 

「その奥の道でうずくまっていたので連れてきた。毒を盛られたようだ」

「まさかそんな……」

「たまたま犬を探していて行き当たって幸運だった。毒は吐かせたが俺の魔力のせいで喉が焼けている、治癒できる者を呼びにやらせたから診せるといい。寝台まで運ぼう」

「わかりました、こちらへ」

 

 召使いに先導され、ラスティが私の滞在する寒々しい屋敷に足を踏み入れた。清潔に整えられてはいるけれどあたたかさのない、最小限の火の焚かれただけの静かな広間。

 

「これでは寒いだろう、火を増やせ」

 

 そう言ったラスティの体からぞろりと魔力が流れ出すのがわかった。恐怖から女が、ひっ、と小さく息を飲む音がして、私の心は少し晴れた。気がつくと暖炉の炎が勢いを増している。

 

「あとで魔石のかけらを持ってこよう。薪に混ぜれば勢いが増す。ここの連中はそんなことも知らんのか、大学のある都市では常識だ」

「が、ガウディールは辺境の土地ゆえ中央の知識はなかなか巡って参りません」

 

 女は怯えた様子でラスティを避けながら、寝台の枕を膨らませ並べる。そこに、ラスティが私を置いた。彼の熱い手が背中から抜かれて離れていく。行かないで欲しい。けれど彼の存在を怪しまれる訳にはいかない。顔を見たいのを我慢して、鎧戸を開け放った窓の方に視線を向けた。ここからは空しか見えない。

 その時、外から馬の駆ける音がした。

 

「来たか」

 

 しばらくするとばたばたと中を走る複数の足音が近づいてきて。

 

「イルメルサさま」

 

 驚いたわ、モルゴー。魔術師モルゴーが若い魔術師の女を従え、部屋に入ってきた。

 

「ご無事で」

 

 緊張した声に振り向けば、モルゴーは蒼白な顔をして立っていた。彼には突然のできごとだったみたい。私は小さく頷いた。

 

「喉が焼けて話せない」

「なんだと。お前がしたのか」

「命を繋ぐのを優先した」

「毒を盛られたと聞いた。なにに」

 

 モルゴーの言葉に部屋に沈黙が降りた。

 

「恐らくシファードから送られた菓子に」

「なんと!」

 

 召使いの女が口を開いた。そう、そういうことなの。シファードのせいにするつもりなのね。怒りで体が震え、顔が赤くなった。怒鳴りつけてたくても声も出せない、情けない。せめて今泣くのだけは我慢しなければ。

 

「その菓子はどこに」

「俺が預かっている、塔に運んで調べよう」

「駄目だ、こちらに」

 

 答えたラスティに、すぐにモルゴーが手を伸ばした。寄越せ、と。

 

「なぜだ」

「事情が事情だ、慎重にことを運びたい。城に来たばかりのお前に関わらせるわけにはいかない。それを渡し、忘れろ、もう行け、いいな」

「……わかった」

 

 ラスティは短く答え、懐から小箱を取り出しモルゴーに渡した。それから私をちらりと見ると、黙って部屋を出て行った。

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