第33話 訪問者


 その日の夜遅く、思いがけないことが起きた。ざわざわと忙しない気配を感じて目を覚ますと、先に起きていたらしいジーンが身動きする気配を手元に感じた。

 暗闇の中身を起こしたいのに、体をうまく動かせない。ラスティのところで目覚めた時よりはましだけれど。なにかしら。ガタン、と下の扉の開く音に刺客だろうかと肝が冷えたけれど、すぐに違うと思い直した。こんなに騒がしい刺客はいない。

 

「なんだ、先に起こしておけ」

 

 バルバロスさまの声が寒く暗い中響いてきてぞっとした。肌が粟立ったのは寒さが原因ではない。来たのか。こんな夜更けに見舞いに? 寝込んだ姿を見られたくないと、力を振り絞って寝台の上に身を起こす。

 ジーンも見られたくない。寝台の下にでも潜ってくれないかと、ぺち、と暗闇の中ジーンのお尻のあたりを叩くと、賢いこの子は寝台を降りていった。不思議な子。

 

 じっと入り口あたりを見つめていると、ぼんやりした明かりと影が壁や天井を這うように近づいてくるのがわかった。


「なんだ」

 

 灯りを持った召使いを従えたバルバロスさまが顔を見せ、呆れた声をあげた。突然目に入った明かりに目を細める。酒の臭いが鼻につく。酔っておられるのだわ。婚約者が殺されかけた夜に。

 

「死にかけていると聞いたが、元気そうではないか」

 

 身を起こしている私を見た男は追ってそう言った。頭を巡らせて、後ろの誰かに話している。文句を言いたくても声も出ない。悔しいわ、言われっぱなしになるだろう、早く出て行って欲しい。

 

「お声が出ませんので」

 

 か細い召使いの女の声がうしろの暗闇から届いた。私に毒入りの菓子を届けながら、まだここにいる。間者なら逃げているだろう、城の者に命じられたのか。

 

「シファードからの荷に毒がしこまれていたそうではないか、生家から疎まれる気持ちはどうだ、慰めてやろうか?」

 

 にや、と片方の口角を引き上げ、皮肉げな笑みを浮かべたバルバロスさまが私の胸の辺りに手を伸ばして来た。無言でそれをはねのけ、バルバロスさまを睨みつける。

 

「ふん、冗談だ、誰がお前のような死人に触れたいと思うものか、思い上がるな」

 

 そう言いながらもバルバロスさまは寝台に腰掛け、私に顔を近づけてきた。本当に酒くさい、この息を吸うだけで酔ってしまいそう。顔をしかめて顔を背けようとすると、強い力で顎を掴まれた。痛い。

 

「悪運の強い女だな、胸に矢を受けても、毒を含んでも生き延びるとは」

「バルバロスさま、お言葉に……」

「精霊の加護は三度は続くのだろうか、楽しみにしているぞ」

 

 そう言って、ぞっと底冷えのする冷たい目を私に向け、バルバロスさまは部屋を出て行った。恐怖で体が竦んだ。残って私を気遣うものもなく、再び部屋が闇と静寂に閉ざされる。

 涙がこぼれ落ちた。殺される。私はここで、殺されて死ぬんだわ。頬を伝う涙が熱い。声が出なくて良かった、大声で取り乱して喚くのをここの人間に聞かれずに済むから。死ぬのだと思って嫁ぎに来たものの、死が身に迫るのはやはり恐ろしいものだった。

 

 ぱたぱたと涙を落としていると、暗闇の中でひときわ黒い影が視界で動くのを感じた。次の瞬間、頬にべろりと懐かしい舌の感触。臭いにおい。ジーン。

 ジーンが寝台の上に戻ってきて、私の涙を舐めとってくれていた。ありがとう、かわいい子。温かなジーンの体に腕を回していたら、不思議と心は落ち着いてきた。大丈夫。バルバロスさまは精霊の加護と言ったけれど、そんなものはない。二度とも、このジーンとラスティが助けてくれたのよ。だから次も大丈夫、三度目も四度目だって、彼らが助けてくれる。

 そう考えるとほっとして、また眠気が忍び寄ってきた。ジーンをしっかりと抱いて眠る。心臓の鼓動が心地よかった。

 

 ◆◆◆

 

「イルメルサさま、少しは召し上がっていただきませんと」

 

 昼食を下げに来た召使いが、手をつけていない盆を見て非難がましい目を向けて言った。よく食べられると思うものだ、私はここの者に毒を仕込まれたというのに。

 

「私が叱られてしまいます」

 

 知ったことではない。叱られればいい。つん、と顔を背けていらないと意志表示をした。実際、わがままを言っているのではないのだもの。喉を通らない、手をつけようとすると手が震えて気分が悪くなるのだ。でもそれを伝えるための声はまだ出ない。

 

「食べてまたお具合が悪くなるのではとご心配なのですか?」

 

 頷く。同じ状況にあってお前は食べられるのかと聞いてやりたい。

 

「他の者と、相談して参ります」

 

 不満そうな声で呟かれた言葉は、静かに部屋に響いて、消えた。その一時ほどあと、私は声が出ないのを酷くもどかしく思うことになる。

 

 一体、なんなの。

 

 部屋に、子どもが連れられてきたのだ。間違いない、ジーンに鶏を取られ追っていた子供だ。淡い緑色のぱさぱさの髪をして、痩せた体に目だけがぎょろりと大きい。子供は、その大きな目を怯えの色で染めあげガタガタと震えながら、召使いの女に乱暴に背中を押され部屋に入ってきた。

 一応体を磨かれ着替えてきていて、この間よりましな姿になってはいるけれど。

 

「イルメルサさま、毒味役を務めさせます子供になります」

 

 女は子供の名を言わなかった。忘れたのではなく、知らせる必要もないと思っているようだ。そもそも知らないのかもしれない。

 

「先ほど教えたとおり、これからなさい、いいわね」

「か、カラルさん、い、嫌です、たくさん働きますから、ぶたれても我慢しますから、ここは、だってこの人――」 

 

 瞬間止める間もなく大きな音がして子供が部屋の隅に飛んで行った。壁に体をぶつける重い音が響いて思わず顔をしかめる。召使いの女――名はカラルと言うのか、ともかく女が酷く強い力で子供の頬を張ったのだ。

 

「イルメルサさま、とお呼びしなさい。バルバロスさまの新しい奥方さまになられるお方ですよ」

 

 子供は頬を押さえ泣きもせず、黙って震えている。

 

「泣こうが喚こうが今日からここもお前の持ち場です、返事は」

「は、は、はい」


 部屋の隅に座り込む震えた子供に冷たい視線を向けていたカラルは、か細い返事に満足げに頷いた。


「よろしい。では早速昼食の毒味からはじめなさい」

 

 私が了承したわけでもないのに、毒味役がついた。頬を腫らし涙の跡も乾かないまま私の世話をさせられることになった子供を見ていると、なんとも嫌な気持ちになる。

 早く喉が治りますように。そうしたら一番に、この哀れな子供を元の生活に戻してやろう。

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