第23話 ガウディールからの迎え


 ガウディールからの使者が帰ってもなお戦だと口にする父の元に、王からの書簡が届けられた。私がシファードに戻ってから四日後のことだ。

 なにが書かれていたのか教えてもらえなかったけれど、父はそれ以降戦と口にしなくなり、輿入れの準備が整いだした。書簡とともにいくつか祝いの品も届けられた。得意げな母から艶やかな絹織物を見せられた時には、少し誇らしげな気持ちすらした。


 ◆◆◆


 二度目は前よりも早く出発することになった。まだ暗い空には白い月が浮かび、星々がまたたいている。寒かったけれど凍えるほどではないのは、昨日がよく晴れた一日だったからだろうか。見上げる空には薄い雲がひとつ、ふたつたなびいているだけ。今日も陽が昇れば、シファードの土地はあたたかくなるはずだ。

 

「行くぞ」

 

 短く父が言って、それを合図に馬を進ませた。城の前に焚かれたかがり火のあかりに浮かぶ父の表情は硬い。その表情に応じるように、見送る者は少なかった。母と妹とは、昨夜のうちに別れを済ませた。まだ暗いうちから働いている召使いの幾人かが、遠巻きにこちらを見つめているだけだ。

 今回の道行きには、ロインとエマリィは同行しない。父と、行きも同行してくれたアリンを含めた騎士が四人。年配の魔術師の男がひとり。従者の少年が二人。

 父がいるのでとても心強い。しかも全員がガウディールまでついて来てくれるという。婚約式も見届けてくれると。それに荷物。万全とは言えないけれど、前よりもずっと輿入れらしい荷になっている。

 

「最初からこうすればよかったんです」

 

 私の前を行くアリンがぶつくさと言う。

 

「何度も悪いわね」

 

 ぽつりとつぶやくと、アリンが首を振ったのがわかる。彼の被った鎖頭巾がかしゃかしゃと鳴った。

 

「そういう意味では。きちんとしていたらイルメルサさまの怪我もなかったと思いまして」

「いいのよ、今生きているのだし」

 

 それに、ラスティとジーンに出会えた。村娘よりみすぼらしい格好で娼婦に間違われ。彼らに近付いているのだと思うと、服の下でリスが駆け回るような気持ちがして、体が軽く感じる。不思議ね、ラスティから貰った魔力はもう尽きたというのに。

 父にはラスティと彼の魔力についての話はしたけれど、贈られた魔石の存在は秘密にした。ラスティと、決して誰にも話さないと約束をしたから。石は今も私の胸でそっと揺れている。

 いつか、赤い髪の魔術師がシファードを訪ねて来たら、必ず迎えて蒼玉の首飾りを見せてあげてとは伝えられた。


 前にこの道をガウディールに向け進んでいた時は、心は不安で揺れ動いていた。私はどうなるのだろう、バルバロスさまとはどんな方だろう、幸せになれるのだろうか、それとも……。


 今も不安だけれど、心が揺れ動きはしなかった。幸せにはなれない、それははっきりしている。覚悟を決めるのよ。少なくとも父がいる時に襲われはしないだろうから、その間に城の探索ができないか試してみるの。

 ひとりになれる、召使いたちから隠れられる場所がみつけられるといいのだけれど。ふう、とため息をついて顔をあげると、暗かった空が白み始めていた。

 

 今回はマルドゥムさまの館には泊まらなかった。盗賊を警戒して宿泊する予定の噂を流し、マルドゥムさまの館では馬を取り替えるに留め、一日でガウディールまで行ってしまうという少し無謀な行程だ。森に入り支流を越え、ガウディールからの迎えと合流する場所に昼前にはたどり着けた。

 

「ゲインさま、イルメルサさま、お待ちしておりました」

 

 今回はガウディールからの迎えは既に到着していた。約束通り騎士ノースが私を出迎える。馬から降り、父と私にひざまずく彼に、私は馬上から頷いて答えた。

 顔を上げて見渡すと、ノースに倣ってひざまずいた、ガウディールの緑の軍衣を身につけた多数の騎士と、緑の旗が翻っているのが見える。この景色を父と、シファードのものたちに見せられた喜びが、心をくすぐった。

 

「イルメルサ、少し休むか」

「いえ、早く森を抜けたいのお父さま。私は大丈夫ですから」

 

 森で襲われた記憶はまだ新しい。立ち止まっていたら突然矢が降ってきたのだから。

 

「皆はどうだ」

「問題ありません、ゲインさま」

 

 振り返って後ろのものたちに父が声をかけると、みな口々に平気だ、と声をあげてくれる。それでもうちの魔術師は私の横へ来ると手を伸ばし、癒やしの魔法を使ってくれた。

 

「すぐに出発する、案内を頼む」

「お任せください」

 

 騎士ノースが父の言葉を受けて立ち上がり、少し後に他のガウディールの騎士たちも一斉に立ち上がった。ガシャガシャと騎士たちの騎乗する音が続く。壮観だわ。

 

「では行こう、イルメルサ」

「はい、お父さま」

 

 一行はほとんど無言で進みだした。まるで葬列。北に向かうにつれ、少しずつ空気が冷えてゆく。マントの下で胸に手を当て、服の上からそっとラスティの魔石に触れた。

 ラスティ。また森に来たわよ。大丈夫、今度は無事に通り抜けられそう。心の中で呟いて、周りに広がる森の奥に目を向ける。あの場所がどこだったのかは、もうすっかりわからない。ロインならわかるかしら。


 王領森の春はまだ遠く、落葉して裸になった木々や葉が、静かに彼のねぐらを隠している。緑生い茂る庭がこの森のどこかにあるというのに。目が勝手に深く暗い赤い色を探してあちこち動き回ろうとするのを、必死の思いで留めていた。

 と、ふいにどこかから遠吠えが聞こえた。ジーン。一瞬そう思って、すぐに狼だ、と思い直した。最初の遠吠えに呼応して、いくつもの声が辺りに響き渡った。襲われた日の夜を思い出して心が凍える。手綱をにぎる手が震えた。

 

「イルメルサ、私から離れるな。大丈夫、そのまま進め。必ず襲いかかってくるわけでもないのだから」

 

 何匹かの狼がしばらく遠巻きに私たちを追ってきたけれど、父の言った通りある地点からぴたりとついてこなくなった。

 

「やつらの縄張りを通り過ぎましたね」

 

 アリンの野太い声が思いの他大きく響いてきた。いつの間にか後ろにいる。振り返ると、私の少しあとを守っていたアリンと目が合った。彼が私を安心させるように大きく笑顔を作って見せてくれたので、私も少しだけれど笑った。そのまま視線を前方に戻した私の耳に父の低い声が届く。


「ここか、イルメルサ」

 

 なにが。問いかけ返そうとした唇は、道を外れた場所に大きく枝を広げる樫の木を前にして硬く強張った。襲われたのはここか、と聞かれている。

 

「……はい、お父さま」

「このような街道沿いでとは。大胆な犯行もあったものだな。王国兵は巡回の任についていたのか?」

「お父さま、過ぎたことですから」

 

 王国の非を口にしはじめた父を諫めながら、馬の脚を速め父に並んだ。一刻も早く通り過ぎたい。

 そこからはまた無言の道のりになった。風が少しずつ冷たくなっているのがわかる。体力が失われていく。この先は初めて行く道。

 湿った枯れ葉の匂いが鼻をつく。寒いわ……ラスティ、あなた今なにをしてる?

 

「イルメルサさま」

 

 だれ。知らない声。疲れと寒さから、少しぼうっとしていたみたい。はっ、と顔を上げ声の主を探すと、いつの間にか、ガウディールの列から誰かひとりこちらへ来ていた。私の横を守る騎士の向こうから声をかけてくる。

 

「ガウディールの魔術師、モルゴーと申します」

 

 黒い毛皮のマントを身につけたモルゴーは、随分と年をとった白い髪とあごひげの男で、騎士ノースと同じ鋭い目をしていた。

 

「お顔の色が悪うございます、お手を」

「……気遣いは無用です、シファードのものがおりますから」


 魔力のない私に触れに来たのだろう。魔術師というのは、好奇心の強い人間が多い。私を魔石のように扱ったり。

 

「なにをおっしゃいます、イルメルサさまはガウディールにとって大切なお方、お助けしたいのです……どうか」

「イルメルサ、やらせてやれ」

「はい、お父さま」

 

 父に言われては仕方がない。緑のマントから手を出して、魔術師の方へ伸ばした。モルゴーはためらいなく私の手を取る。触れた瞬間なんの反応も見せなかった。薬草を焚きしめたような、こもった植物の匂いが魔術師から漂ってくる。

 

「冷えておいでで。お寒いでしょう」

「ええ。ガウディールにはまだ雪があって?」

 

 ぞろり。初めて触れる、ねっとりとした魔力が流れ込んできた。体は温まるけれど、心地よくはなかった。

 

「はい。まだまだ、朝、晩には雪がちらつくこともございます」

「そう」

「雪を抱いた城はそれは美しゅうございます。雪の残る季節にお迎えできること、誇らしく思います」

「そう、楽しみだわ」

 

 もうじゅうぶんだろう、魔術師の手から手を引き抜いて、また馬を歩ませる。モルゴーはそのまま私に並び、話し続けた。

 

「特に年末の聖なる十日間の美しさは、王都にも引けをとらぬと、領民一同自負しております」

 

 聖なる十日間。新しい年を迎える前の、美しい祈りと祭りの時期。雪に包まれたガウディールに、この荘厳な祭典はよく似合うだろうな、と思えた。

 

「そう。それは楽しみね」

 

 まだ春を待っているというのに。遅い春を迎え短い夏が過ぎ、秋を見送って。今年の終わりの冬、私は生きているのだろうか?

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