第24話 バルバロスさま


「美しいわね」

 

 ガウディール城が見えてきた時、私の口は自然とこの言葉をつぶやいていた。巨大な岩を削り取ったような灰色の高い崖の上に、城が建てられている。前には崖、後ろも北方の高い山々に守られ、まさに難攻不落だと思われた。

 シファードの城よりずっと大きく、城壁は横に長く広がっている。暗い色の石で造られた城のあちこちには、まだ雪が多く残っていた。城から伸びた道は坂を下り、そのまま今通っている小さく貧しそうな村まで続いている。

 軒下や道には雪が積もり、溶けたところがぬかるんでいた。泥と雪を馬が踏み、ぐちゃぐちゃという音を立てる。

 

「ここは貧しく税も払えぬものが暮らしている場所でございます。ガウディールの町は、城壁の内側に」

 

 結局、魔術師モルゴーはガウディールまでシファード側の隊列に入りこんだままだった。彼は見た目と違ってよく話す男で、私はまだ見ぬ何人かの魔術師と料理人について、いくらかの知識を得ることができた。


「バルバロスはなぜここを放置している、森を抜け城にたどり着く前にこのような場所、王族がたも通る道であろう」

 

 父がモルゴーに問うと、モルゴーは白いひげをなでてくっく、と笑う。なにもおかしなことなどないのに。

 

「壊そうが燃やそうが、いつの間にやら戻ってくるのです。シファードに倣い城の裏にでも追いやれればよいのですが、ガウディール城の裏は人を寄せ付けぬ山々ゆえ」


 失礼ね。確かに城の裏にひどく貧しいものたちが住んではいるけれど、追いやった訳ではないわ。じろり、ねめつけてみても、モルゴーはちっとも動じない。

 

「イルメルサさまは城壁の内側でお暮らしになられるのですから、これらを目にする機会もそうありますまい。お忘れ置きください」


 モルゴーの言葉に、私は答えなかった。父も黙って馬を繰っている。あばら屋の陰からちらほらと視線を感じる。汚れた衣服を身につけた、性別もわからないほど痩せた小さな子供がひとり、道の端に座り込んでじっとこちらを見上げていた。城にいる猫より痩せている。あんなところに座っていては、寒いだろうに。

 髪は燃えるような赤毛で、生気のない子供のその髪色だけが目に強く残り、流行り病で死んだというラスティの家族を思い起こさせられた。これほど貧しい生まれではないと思うけれど。お母さまは針子をされていたのだし。

 

「その子供にチーズとシファードの水をやりなさい」

 

 後ろの従者に声を掛けると、モルゴーが唇を歪めて、笑みとも嘲りともとれる表情を浮かべた。


「お優しいことで。ですが、飢えた子供はこれひとりではありません。皆に食糧を? 明日は? 腹を満たしたところで、立ち上がった足で盗みを働くやからたちの住まう場所にございます」

「なんとでもお言い、自己満足なのはわかっています。ガウディール領主の妻になるのに、領地に座り込んだ飢えた子供を無視して通りすぎたなどと噂されるのはまっぴらなのよ」

 

 目の端で、子供に近づく従者を確認して、また前を向いて進んだ。子供に食糧をやったのを見て、物陰からぞろぞろと人がでてきたら食糧は足りるだろうか、そうちらと思ったけれど、誰も出てきはしなかった。前を進むガウディールの騎士たちが恐ろしいのかもしれない。

 

 ◆◆◆

 

「シファードの」

「婚約式か」

「まだ若い」

「あれがシファードの領主」

 

 城門を通り抜けガウディールの町に入ると、あちらこちらから私たちを見定める声が押し寄せてきた。街の規模は大きく、シファードでは城壁の外に居を構えるような農民も、城壁の内側に家を持ち暮らしているようだった。

 町は城門から縦に細長く続いていて、堅牢な石作りの家が多く、外側の窓はどこも小さい。途中の噴水のある広場では、子供たちが雪を投げ合って遊んでいた。それを横目に通り過ぎ進むと、突然町が途切れ、再び小さめの城門が現れた。門は開かれている。モルゴーが無言で隊列から離れた。気がつけばガウディールの騎士たちが両脇に整列している。

 騎士ノースが待っている。父の少し後ろを、騎士ノースに先導される形で、城の内部へ向かう最後の道を騎乗したまま進んだ。道は細く、更に上へと曲がり、伸びている。手が震えるのは寒さのせいよ。

 

「シファード領主ゲインさま、イルメルサさま、お待ち申し上げておりました」

 

 城の前では昼間なのに木が組まれ、火が焚かれていた。あたたかい。そこで馬を降りると、黒いローブを身にまとった品のいい男性が一人、私たちを出迎えてくれた。頭頂を丸く剃り上げているので聖職者とわかる、お父さまと同じくらいの年齢の方だ。魔術師のローブに似ているけれど、胸に大きな金の胸飾りをつけている。太陽と月を模したあれは、王国国教会の象徴。司祭さまなのだわ。

 

「ガウディールの司祭ネイラ・オースンと申します。この城の家令を兼任しておりまして。広間までご案内を」

「シファードのゲインだ」

 

 父の名乗りに優雅な一礼を返したオースン司祭に案内されて、私はガウディール城の中に足を踏み入れた。

 城の中は暗く、静かだった。噂話に花を咲かせる召使いの声は聞こえない。父と、同行した騎士のうち一人だけ、中に護衛としてついて来たアリンの鎧や拍車の音がカチャカチャと響いている。

 

「バルバロスさまが広間でお待ちですのでまずそちらへ」

 

 バルバロスさま。とうとうお会いできる。どんな方だろう。初めて婚約者に会うというのに、私の心はじわじわと恐怖に蝕まれていく。

 広間に向かって松明が何本か焚かれていた。窓が小さいので昼間でも光が届かないのだろう。ゆらゆらとゆらめく炎に合わせて伸び縮みする影を見ながら、なるべくなにも考えずにいた。

 廊下の先に扉が開け放たれた広間が見えてきた。中は明るく、どこかから差し込んだ外の光が部屋の中から暗い廊下にもれだしている。

 

「バルバロスさま。ゲインさまとイルメルサさまをお連れいたしました」

 

 オースン司祭が一足先に広間に入っていって、そう呼びかける声が聞こえてきた。

 

「来たか」

 

 低く太い、よく通る力強い声が短く答えたのを聞いた途端、私の足が震えだした。怖い。行きたくない。駆け出して逃げて、消えてしまいたい。耳の中で風が唸る音がして、視界が暗くなる。

 

「イルメルサ、しっかりと立て」

 

 父の大きな手が肩に乗せられ、閉じかけていた目を開く。父の手から、癒やしの力を乗せた魔力が流れ込んできた。ひんやりとしているのに、温かくて。

 

「自分で歩いて入るんだ。できるな?」

「はい」

 

 初めての対面の時から、父に支えられよろよろと入っていくわけにはいかない。毅然と顔を上げ、歩くのよ。すっと背筋を伸ばすと、父の手が肩から離れていく。

 

「私について入れ」

 

 父が小さく言って、歩き出す。そんな父の背中だけを見て、私も広間に向かって歩き出した。

 

「お久しぶりです、ガウディール卿」

 

 久しぶりに聞く父の快活な声。それが広間に大きく響き、そこにいた何人かの人たちの視線を集めた。広間奥の壁沿いに大きな背もたれの椅子があり、そこにまばらに黒髪の散った白髪の男性がひとり、ゆったりと腰掛けていた。足を組み、その上に肘をついてこちらを見ている。口角を上げてはいても、その鋭い目に笑みはなく。日に焼けた顔は年老いても精悍で、自信に満ち溢れて見えた。

 あれがバルバロスさま。

 

「ゲイン。ヘイローの戦いに先王に駆り出された時以来か、遠路はるばるよく来てくれた。私の花嫁はそちらか?」

「ええ。これが長女イルメルサ」

 

 言いながら歩いていくうちに、バルバロス様の前に着いた。父に名を呼ばれ、背中を押される。なんでもない顔をして足を進め、バルバロスさまの前で右手を少し上げ、腰を沈めて礼をした。

 

「お目にかかれて光栄でございます。シファードのゲインが娘、イルメルサにございます、バルバロスさま」

「おお、これは、なんと美しい姫君だ、ゲインが隠そうと躍起になったのも頷けるな」

「まだそのようなことを。使えぬ騎士を寄越し娘の体に矢傷を負わせたこと、このゲイン忘れませんからな」

 

 ふたりの応酬に、近くに控えているものたちの間に緊張が走る。

 

「傷、か。森の魔術師に拾われたと聞いたが、ろくに魔力もない術者だったのだな。となると、川岸の老婆しかおらんか? 不運な娘だ」


 バルバロスさまの勝手な誤解を、私たちは訂正しなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る