第22話 シファードにて


 シファードの城壁から下ろされた跳ね橋を馬が渡る、ゴトゴトと響く足音を聞きながら、緊張で指先が冷たくなるのを感じていた。

 いつも父がどこかから帰って来たときには、領民たちはこぞって父に群がり歓声をあげる。塔の部屋まで届くその声で父の帰りを知ると、私の胸は誇らしさで満たされたものだった。

 でも今、町は静まり返っている。みな黙って遠巻きにこちらを見ていた。怯えの色が濃い気がする。なぜかしら。様子がおかしいわ。

 ともかく、ぐっと顎をあげて前を見た。

 情けなさや恥ずかしさを気取られたくない。ガウディールの領地にたどり着く前に殺されかけたと、みな知っているのだ。哀れみを受けたくはなかった。得体の知れない生きた死体、そう思われているのが一番いい。

 城へ続く石畳の坂道を登る。そろそろアリアルスが飛び出してくる頃ね、きっと。


「お姉さま! お姉さまあー!」

 

 思った通り。どこからかアリアルスの声が聞こえてきた。澄んだ妹の声は、高く鳴く鳥の声のように私の心に響く。どこか、遠いところから。上を見た。父も動いた気配がする。

 

「アリアルス!」

 

 先に父が怒鳴った。あの子は、城壁の上にいた。見張りの兵士がひとり後ろから抱き止めているからいいようなものの、半身を乗り出して手を振っている。

 

「戻りなさい!」

 

 父の声がまた響く。

 

「お姉さま、おねえさまあー!」

 

 あの子、泣いているわ。返事をしたいのに、唇が震えて声が出せない。声を出したら泣いてしまう。召使いたちには見られたくない。

 アリアルスから視線をそらし、ぎゅっと唇を引き結んでまた前を見た。早く部屋に戻りたい。

 

「ロイン、行って連れてこい、広間に行く」

「はい」

 

 まず広間に行かなければならないの。ため息が出そうになるのを我慢して、父の操る馬に乗り続けた。

 

 ◆◆◆

 

 ほんの十日ほどしか離れていなかったのに、城の広間は私を恐ろしく懐かしい気持ちにさせた。暖炉、壁のタペストリー、そして母。母は少し痩せて見えた。

 

「イルメルサ……! ああお前、よく無事で!」

 

 父に肩を抱かれ広間に入った私に母が駆け寄るより早く、召使いのひとりが素早く父に近づき何かを耳打ちした。

 

「ガウディールからの使者だと?」


 肩に乗せられた父の手に力がこもる。私の心も冷えて硬くなった。それで、みなあんな暗い顔をしていたのね。父と入れ違いでシファードに着いていたんだわ、ほんの少しも休ませてもらえない。

 私に抱きつこうとする母を、父が手を上げて制した。今魔力があると母に気づかれると、大騒ぎになる。ガウディールの使者のいる間は適さないと思われたのだろう。

 

「イルメルサ、部屋に下がっていなさい」

「お父さま、私が生きている姿を見せ、バルバロスさまにお伝えいただかなければなりません」

「イルメルサの言う通りよ、あなた。使者にはイルメルサが城へ向かっているとすでに伝えてあります」

 

 きっ、と顎をあげて答えた母の言葉に、父はため息をついて首を左右に振った。

 

 私に会わせろと泣き叫ぶアリアルスを召使いたちがなだめながら引きずっていく騒がしい音が消えてしばらくしてから、その使者は広間へと入ってきた。

 男はガウディールの騎士ノースと名乗ると、鋭い視線を父に寄り添う私へと向けてきた。騎士ノースは父ほどの年に見える。頬に古い傷があった。壁際に幾人ものシファードの騎士が控えている今のこの広間では、ガウディールの緑の軍衣はひどく異質に思えた。

 

「こちらがイルメルサさま、お美しい」

 

 型通りの挨拶を済ませた男は、同じく型通りの言葉を口にすると、口角を無理やり引き上げただけの笑顔を顔にはり付けた。

 

「ご無事でいらしたとようやくわかり安心致しました。バルバロスさまもお喜びになられることでしょう」

「よくもまあ、いけしゃあしゃあと……」

「やめなさい」

 

 母の言葉を制して、父が一歩騎士ノースへと近づいた。ノースの体が警戒して強張るのがはっきりとわかる。壁際にいたうちの騎士たちも、体を起こして父の次の動きを待っている。あちこちで鎧の動く小さな音が鳴った。

 

「この幾日かで三度目の使者とは。まずは話を聞かせてもらうとしよう」

 

 騎士ノースは後ろのうちの騎士たちにちらりと視線を向けてから、また私を見た。嫌な視線だ。

 

「イルメルサさまがご無事とわかれば、もはや発する意味もない言葉です。イルメルサさまは、どちらにおられたのですか。戻って主人に伝えねばなりません」

「森で盗賊に矢を射られ、森番の妻と森の魔術師の元で傷を癒やしておりました」

「矢傷を」

 

 ガウディールの騎士の視線は、疑わしげに私の体の上をさ迷う。

 

「胸に傷が――お疑いならば、ご覧になられますか」

 

 断るのをわかっていて聞いた。父やうちの騎士たちが許すはずもない。

 

「いえ、疑うなど滅相もない」

「バルバロスさまの責任です」

「イルメルサ?!」

 

 父の声がしたけれど、言葉を続けた。ここで立場をはっきりさせておかなければ。

 

「年若い歩兵たちに、見た目だけのひ弱な騎士ひとり。ガウディールの方たちは私ひとり守れなかった、恥じていただかなくては困ります。私が傷を負ったのはバルバロスさまのご判断が誤っていたせい。このような傷が残っては最早嫁ぐ先もない。バルバロスさまには責任を取って私を必ず娶っていただかなくてはなりません。そうお伝えして」

 

 シファードの騎士たちがざわめいた。嘲笑の声も漏れている。ノースは悔しそうにさっと顔を赤らめたけれど、すぐにその顔を伏せて私にかしずいた。

 

「返す言葉もございません」

「次はあなたが森まで迎えに来なさい、騎士ノース。そして私をバルバロスさまのもとまで連れて行くのよ」

「必ずそのように致します」

 

 騎士ノースの言葉を聞いて、大仰に頷いて見せたけれど、内心はびくびくしていた。手も足も震えている。胸のあたりにある、ラスティに貰った石の硬さを必死で意識して言葉を吐いた。大丈夫、私にも偉大な魔女の素養があるのだと、彼は言ってくれた。だから顔をあげて。こんな騎士ひとり、恐れる必要はない。

 戦にはしない、シファードが責められる立場にもしない、アリアルスを守る。その三つだけを考えた。

 

「勝手な、誰が嫁がせると言った」

 

 それなのに、父がそんなことを言い出して。父がそう言った瞬間、ガウディールの騎士の口元がほんの一瞬嬉しそうにぴくりと動いたのが、わたしの立っていた場所からはっきりと見えた。

 

「イルメルサもアリアルスも、あんな老いぼれになどやるものか! 帰って伝えろ、く……」

「お父さま! 行かせてください!」


 興奮して言葉を続けようとする父を慌てて止め、父の前に両膝をつく。

 

「ガウディール領主の妻になれるという名誉を私から奪わないでください、お父さま」

 

 私を見下ろす父の、驚きに見開かれた目が悲しげに揺れた。それを見るのが辛くて、すぐに立ち上がって騎士ノースの方へ歩く。ノースは訝しげに顔を上げ、鋭い視線を私に向ける。

 その視線を受け止め、努めて笑った。

 

「バルバロスさまは勇猛果敢な戦士であると聞きました。お会いできる日を心待ちにしています」

「バルバロスさまも、お美しいイルメルサさまのご到着を待ち望んでおられました」


 ラスティがいたらなんて言うかしら。馬鹿馬鹿しい、きっとそう言うわね。上辺だけの会話を続けながら、森にいる魔術師の姿を思い浮かべた。不思議ね、彼のことを考えていると、この先に待つものも恐ろしくないの。

 祖先がみなしてきたことよ。

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