第21話 迎え


「イルメルサさまは馬の扱いがお上手だな。お父上に?」

「いえ。馬のことは全て、この騎士ロインに教わっております」

 

 翌日、マルドゥムさまにお借りした馬にひとり騎乗してシファードへの道を進んでいると、マルドゥムさまにほめられた。

 よく躾られた牝馬で、扱いやすいからだとは思うけれど嬉しくて、前を歩くロインを指して答えた。ロインはちらっ、と視線をこちらに向けただけだったけれど。

 

「ほう、いい教師だったのだな」

「はい。馬上を怖がる私に気長に付き合ってくれて。そうよねロイン」

「イルメルサさまもラウルさまも飲み込みが早く、よい生徒でした。イルメルサさまは女性ながら、落馬しても恐れることなくすぐに馬上にあがられて」

「ほう、実に勇敢だ」

 

 ロインの美化された思い出話に吹き出して笑ってしまった。

 

「どうされたかな」

「あの時はロインに、すぐに乗らないと恐怖で乗れなくなると怒鳴りつけられて。ロインが怖かったのよ」

 

 ぐっ、と息の詰まるような音がロインの方からした。ずっと昔の、子供の頃の話。マルドゥムさまはそれを聞いて、大声で笑う。

 

「それでこそシファードの騎士だ」

「当時はまだ従者でしたが。若さゆえ、恐れ知らずではありました」

 

 それから二人が恐れ知らずと無謀の間の、それぞれの武勇伝を自慢し合うのを黙って聞いた。空は青く、高い場所を白い鳥が飛んでいる。

 マルドゥムさまの拍車がカチャカチャと音をたて、懐かしい音に早くお父さまに会いたくなった。シファードの青い旗は、今日も城ではためいているかしら。

 

「イルメルサー!!」

 

 どのくらい進んだだろう、馬を休ませながら進み続け、行きに通った覚えのある小さな村に差し掛かった時。懐かしい父の声が聞こえた。

 どこに。

 辺りを見回しても、見えるのは古ぼけた粗末な家ばかり。

 

「あちらだ」

 

 はやる気持ちを隠しながら村の道の先ばかり見ていた私に、ひとつの家の裏を指したのはマルドゥムさまだった。石を積んだ小さな家の裏、屋根の下に紐で連なって干された野菜の隙間から父の顔がのぞいている。あんなところから。

 頬が痩せている。そう思った瞬間、涙が溢れ出した。泣いてはいけないのに。

 

「おと、お父さま……」

 

 転がるように馬から降りて誰かの庭に駆け込んで、父の元に走った。涙で滲んだ視界では足元もよく見えない。何度かつまずきそうになりながら走る。

 

「イルメルサ!」

 

 やっと父のもとにたどり着いた、と思った時には、同じく馬から降りていた父に強く抱きしめられていた。

 

「水の精霊よ感謝いたします……!」

 

 涙で濡れた顔を見せたくはないのに、涙が止まらない。顔を父の青い軍衣に押し付けて必死で涙を止めようとした。

 

「イルメルサ、魔力が」

 

 触れられたから、父には気付かれてしまった。驚嘆の囁きが耳に届く。

 

「あとで、は、話します。いち、一時的なものですから、あまりお喜びにならないで、お父さま」

 

 しゃくりあげる合間に言葉を紡ぐと、父は私を抱きしめる手に力を込めた。その力強さが、わかった、と伝えてくる。

 

「私の馬に乗りなさい」

「はい」

 

 しばらくそうして抱きしめられているうちに、だんだん涙も収まってきた。顔をあげて父に笑顔を向けると、久しぶりに間近で見る父の目――私と同じ水色の――も涙を溜めて赤くなっていたので、また涙がこぼれ落ちてきてしまった。

 

「お父さま、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。次は必ずガウディールまで、たどり着いてみせますから」

「馬鹿な。もう行く必要はない!」

「お父さま、いけません」

「戻って話を聞く。内容によっては戦の準備だ」

「お父さま!」

 

 父は私を軽々と抱き上げ歩いて行くと、馬に乗せた。その後ろに父が乗る。私を守るように腕の間に置いて、馬は進みだした。村の外周をぐるりと回って村の中へ。少し進んだところでマルドゥムさまたちに合流した。

 

「マルドゥム、久しいな、娘が世話になった」

「当然のことをしたまで。このままシファードまでご一緒させていただきたい。シェイリルさまのお姿も拝見させていただきたいですからな」

「そうか、楽しみに来い。妻は変わらず美しいぞ」

 

 マルドゥムさまの軽口に、父の表情も幾分か和らいだ。ほっとする。父の腕の中で揺られていると幼い頃を思い出し気がゆるんで、頭ががくりと船をこいだ。

 

「眠っていいんだぞ」

「――いえ」

 

 もう、シファードに近い。誰に見られてどんな噂をたてられるかわからないのだ。背筋を伸ばしてまっすぐに前を向いて、城に入りたい。

 軽く頭を振って、そっとあたりを見回した。荒れていた街道が、だんだんきれいに整備された道に変わってきている。もうすぐ領地に入れる。

 

「お父さま、アリアルスはどうしていますか?」

「あれか、あれはお前が行方知れずになったと聞いてから荒れに荒れてな、騎士の営舎に忍び込んで剣を盗み出し、ガウディールに向かおうとしていた」

 

 なんてこと。

 

「怪我はないのでしょう?」

「アリアルスがか? 気づいて止めようとした哀れな従者がか?」

 

 なんてこと。

 眉間にしわが寄る。その顔のまま振り返ると、父が吹き出して笑った。

 

「もちろん、二人とも怪我はない。アリアルスはシェイリルにこっぴどく叱られ、塔のおまえの部屋に立てこもった」

「まあ……ラウルは?」

「特に知らせてはいないが、王都にいるからな、なにかは耳に入っているだろう」

「あの……それでは、お母さまは?」

 

 お母さまのことを聞こうとしたら、緊張で口の中が乾いた。

 

「シェイリルはずっと寝込んでいたが、マルドゥムからの知らせに飛び起きて、料理人にお前の好きな菓子を焼かせている」

 

 お母さまが。心配をかけてしまったのね。当たり前だけれど。厨房できびきびと指示を出すお母さまの姿が目に浮かぶ。お母さま、アリアルス、料理人たち。

 

「……お父さま、私、皆が大切なのです。お父さまにお母さま、ラウルとアリアルス、領民に騎士たち、城と、シファードの青い旗」

 

 城をでた時に見た村の様子を思い出した。遠く高くたち昇る生活の煙。畑で立ち働く者たち。あの景色を変えたくはない。

 

「それは私も同じだ。何一つ、欠かすことはできない」

「欠けることなどありません、どこにいても、私の心はあそこにあるのだから。なによりも大切なものを守れる機会を、どうか私から奪わないでください、お父さま」

 

 静かに伝えた気持ちは、父に伝わっただろうか。それから父は、城に着くまで一言も言葉を発しなかった。

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