第4話 突然の襲撃
「イルメルサさま、お初にお目にかかります。ガウディールの騎士、ギイと申します」
馬から降りた騎士はまっすぐ私のところまで歩いて来ると兜を脱ぎ、優雅に腰を曲げて挨拶をした。長い金色の髪を後ろで束ねた美しい騎士だったけれど、逞しくはない、と感じた。私は腰掛けたまま、軽く頷く。
「騎士はお前一人か」
と、おそらくこの場の誰もが気にしていたであろう疑問を、アリンが口にしてくれた。
「そうだが。なにも危険はない、お前たちより森には慣れている。ガウディールの兵卒は勇敢だぞ。それとも、我が主の決定に何か異論があるのか? 騎士アリン」
「あるに決まっている、シファード領主ゲインさまの長女、イルメルサさまを花嫁に迎えようというのに、騎乗も許されていない兵卒にわらわらと囲ませてお連れするというのか」
「その通りだ」
慇懃なギイの答えに、シファードのものたちが色めき立つ。それを見てやめて、と強く思う。惨めになる。
「俺はついて行くぞ、ギイ」
「私もご一緒します、そちらには、その、魔術師がいないみたいですから」
アリンと魔術師の言葉は頼もしかったけれど、いけない。ガウディールとシファードは対等ではない。ガウディールの方が格上だ。バルバロスさまのお決めになったことに異論をとなえては、問題となるかもしれない。
「私なら大丈夫よ、夫となる方が私のために寄越してくださった者たちだもの、なんの心配もありません」
本心を押し殺してそう言って笑う。
「その通りです、ではイルメルサさま、こちらへ。私の後ろにお乗せしてお連れする」
しかし、そう言って伸ばされた手を取るのは拒んだ。
「イルメルサさまはお一人で騎乗できる」
ロインが私の馬を引いてきてくれた。なるべく毅然と立ち上がり、一人で馬上にうつる。そこからロインを見下ろした。彼もこちらを見上げている。ロインの目に、色々な感情が渦巻いているのが見て取れた。
シファード側の誰もが思っているに違いない、このまま黙って従うには不安が残る。明らかにガウディールの態度は失礼だし、何より魔物に囲まれた時に対応できる人員とは思えない。この騎士ギイは、宮廷で女性の相手をしているのが似合う優男。腰に帯びた剣も細く、柄や鞘には繊細な細工が施され、きらびやかな宝石がいくつもついている。宝石。そうだわ。
「ここまでありがとう、みなで分けなさい」
言いながら、髪につけていた真珠の飾りを外してロインに差し出した。十四の誕生日に母から譲られた大切なものだ。ガウディールにつくまでに何かあって壊されたりしたくはない。このバルバロスさまの対応から、そう大切にしてもらえるとも思えない。召し使いたちにも侮られるだろう、盗まれるのだけは耐えられない。彼らにやってしまうのが一番いいわ。少なくともシファードのものの財になるのだ。
「……お心遣い、感謝いたします。ご多幸を。水と氷の聖霊がお守りくださいますように」
「あなた方も。道中気をお付け」
言って微笑んだ。
道の少し先で、兜をかぶり直して待っているギイの方へ馬を進ませた。みながこちらを見ている。泣くものか。
ぎゅっと口を引き結び顔をあげ、ガウディールへと向かう。私は振り返らなかった。
◆◆◆
騎士ギイたちとの旅は、快適とは言い難かった。徒歩の兵士に合わせて馬の歩みは遅く、兵士たちはちらちらと私を盗み見てくる。ギイはそれをたしなめもせず、さまざまな自慢話を一人ペラペラと話し続けていた。
ギイの後ろを黙ってついていきながら、これからのことを考える。お父さまは、今日中にはガウディールの城に着けると言っていたけれど、本当に大丈夫なのかしら。
周りを歩く兵士にちらりと視線を向けると、一人と目があった。明るい茶色の巻き毛の、まだ若い少年兵だ。別れたばかりの魔術師の少女を思い出す。名前を聞きそびれた。落ち着いたらアリアルスへの手紙で聞いてみよう、きっとあの子は髪を揺らして、魔術師本人に聞きに走るだろう。
「――なので。イルメルサさまは?」
道は相変わらずの獣道で、体の揺れが酷くとても疲れてきた。葉の少ない木々の合間をぬい、空から雪が音もなく降ってきて、馬の黒いたてがみを白く変えていく。溶けた雪で馬の体が濡れ、手綱を握る手もどんどん冷えてきた。魔術師がいれば。彼らはどうして魔術師を連れて来なかったのだろう。誰かが馬の飼料を運んでいる様子もないのに。
「イルメルサさま?」
「ギイ、そろそろ一度馬に……草をはませたいの」
振り返ったギイの兜を見つめながら言うと、彼は馬の歩みを止めた。私もそれに続く。横にいた兵士が言葉を発した。
「おそれながらギイさま、イルメルサさまのお顔の色が……」
言葉が白い息になったように生まれては消える。寒い。ギイはこちらを向いたまま黙っている。兜の下の表情は見えない。
「この先に、大きなナラのある少し開けた場所があります、そこで休みましょう」
それまでと違う、裏に苛つきを隠しているそっけない物言い。ふい、と前を向き、ギイはそれまでより少し早く馬を駆けさせ始めた。
彼の言った通り、少し進むととても大きなナラの木が見えてきた。獣道からは少し外れた、斜面をいくらか降りたところ。
今はうっすら雪の乗った枝だけの姿だけれど、暖かくなればさぞかし沢山の葉を広げ、次々と実を落とすだろう。近くには倒木が何本かあって腰掛けられそう。
「お手を」
馬を止めると、兜を脱いだギイが歩いてきて、優雅に手を差し出してきた。触れたくはなかったけれどとても疲れていて、誰かの手を借りなければ降りられそうにない。
無言で彼の手に手を置いた。体を強ばらせたギイが息を飲んだ音がする。彼は怯えた目をして私が動くのを見つめていた。
他の領地でまことしやかにささやかれているという、私についての噂話が脳裏をよぎっているに違いない。
本当はもう死んでいるのに秘術によって動かされている、神の法に反した呪われた娘。夜な夜な小さな動物の生き血を飲んでいるらしい。
馬鹿みたい。笑ってしまう。
「馬を頼むわ」
手綱を受け取りに走ってきた兵士に言って、手近な倒木に腰掛けた。マントの下から、アリアルスの水を引き出して口に入れる。大切に飲んでいるので、まだたっぷりとある。
足元に視線を落とすと、薄く積もった雪の下にどんぐりが沢山転がっていた。
「ここはガウディールからもシファードからも遠く、なかなか家畜を連れてはこられないのです」
私の視線を追った兵士が、馬の首を撫でながらぽつりとそう言った。つまり、ガウディールまではまだかなり距離があるのね。また一口、アリアルスの水を口に含む。
妹の助けで、少し気力が戻ってきた。顔を上げ、兵士に言う。
「こんなに実があるのにね」
「ここまで来られれば、冬を前にもっと家畜を肥えさせられるのですが」
そう言った兵士が馬を連れて離れると、別の兵士が私の前に火を焚いてくれた。彼の指先にともったのはとても小さな火だったけれど、枯れ葉や枯れ枝をよく燃やす。
「とても暖かいわ」
枝のはぜる音を聞きながら手袋を取り、手を火にかざした。
「お前たちも火に寄りなさい」
周りに立つ兵士に声をかけたけれど、近づいて来たのはひとりだけ。その一人も、火と私から離れた場所に立っている。遠慮しているのか、嫌なのか。
そういえばギイはどうしたのだろう。先ほど彼が見せた怯えた顔を思い出しながら辺りを見回しても、騎士の姿は見えない。彼の馬は、ナラの木の下でどんぐりを食べているのに。
嫌な予感が胸をよぎる。
それは突然始まった。
ひゅっ、という音と共に、私と火にあたっていた兵士の肩に矢が刺さる。驚いて中腰に立ち上がりかけた私の足元に、次の矢が降ってきた。
逃げなければ。馬はどこ。
座っていた倒木をまたぎ、矢の飛んで来た方から身を隠そうと、手近にあった木の陰に隠れた。隠れてすぐ、その木に矢が射られた音がした。狙われている。
「イルメルサさま!」
呼ばれ顔を向けると、馬を頼んだ兵士が騎乗して、こちらに駆けて来ていた。しかし、たどり着くより先に兵士は射られ落馬した。続いて馬の体にも矢が刺さる。いなないて両脚を高くあげた馬に急いで駆け寄って揺れる手綱を取った。まだ走れる。
矢が降る中馬に乗り、強く体を蹴ってとにかく駆けさせた。矢の音、怒声、剣を交わす音が響く。頭を低くして馬にしがみついた。翻るマントに矢が刺さる。
開けた場所から木の多い場所に飛び込んで、馬の速度を落とす。ここでは駆けられない。それでも離れなくては。
顔を起こして前方を見ると、先に見知った者が倒れていた。ギイ。騎士が。そう思ったのと、その先に長弓を構えてこちらを向いている盗賊らしき男がいるのに気がついたのは同時だった。
何かを言おうと口を開いたのに、何を言えばいいのかわからない。重い衝撃を受け体が傾ぐ。胸に矢が。そう思った瞬間音が消えた。ぐらりと視界が揺れる。落ちる。灰色の空が見えた。灰色の木々の枝。ひらひらと降りてくる白い雪。
ああ、これが私が最期に見る景色なのか。
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