第3話 王領森レイウッド


 翌日は、日が昇ってすぐにマルドゥムさまの館を出発した。空は晴れていたけれど、時折吹く乾いた風が原野の雪を舞上げ、視界を雪がちらついた。

 霜の降りた原を進むざくざくという音がやたらと大きく響く。

 

「眠れましたか?」

「ええ」

 

 騎士に聞かれ、とっさに嘘をついた。体が疲れすぎていたのか、それとも寝台が変わったからか。ちっとも眠れなかった。

 

「あなたたちは? ちゃんと休めて?」

「どこででも眠れるのも騎士の特性ですよ、イルメルサさま」

 

 アリンが大きく笑いながら言う。

 

「昨夜の寝床は立派すぎて落ち着かなったんじゃないか? アリン。お前は野ざらしの方がよく眠れるだろ」

 

 ロインの軽口に、アリンが低く唸って振り返った。顔が怖い。

 

「イルメルサさまが怯えておられる、前をむいてろよ、なんの為に先頭にしたと思ってる」

「お前な」

 

 二人のやりとりがおかしくて、くすくすと笑った。

 

「あなたたちもマルドゥムさまによくしていただいたのね。お父さまに伝えてちょうだい、ロイン」

「かしこまりました」

 

 みんなの吐く息が白く凍っている。寒い。早くもっと日が高くならないかしら。手綱を放してかじかんだ右手に息をかけ温めたのを、すぐに騎士のひとりに見られてしまった。

 

「魔術師、イルメルサさまの体を温めて差し上げろ」

「いえ、まだ大丈夫……」

「気がつかず申し訳ありません!」

 

 まだ出発していくらもたっていない、手袋だってしているのに。すぐに私に併走してきた従者の後ろから、魔術師の小さな手が伸びてきた。

 

「お手に触れます」

「……あなた、いくつ?」

 

 馬の速度を落として手を伸ばすと、魔術師はおずおずとその手を取った。触れた瞬間、びくりと彼女の指先が強張ったのが嫌でもわかる。

 

「あの、あの、私……十五です」

「そう、それでもう見習いを卒業しているなんて、随分優秀なのね」


 あ、今の、嫌みっぽく響いたかもしれない。魔力のない身で妬んでいると思われたら。言ってから少し心配になった。

 

「辛くはない? 何かあったらロインに言うのよ」

「いえ! シファードは、これまで過ごしたどこよりも快適です。あそこで過ごせることを……嬉しく、思い……ます」

 

 途中、彼女の言葉が途切れがちになる。シファードにいられなくなる私に言う言葉ではなかった、と話しながら気がついたのだろう。

 

「申し訳ありません……」

「何を謝るの、そんな風に思ってもらえてとても嬉しいわ。どうかシファードの一員として、みなを支えてくださいね。アリアルスも……あの子は魔力が強いから、話し相手になってあげて」

 

 しゅんとした魔術師に言葉をかけると、彼女ははっとした様子で顔をあげ、私の顔を正面から見た。彼女のフードが外れ、その時私もこの子の顔を初めてしっかりと見たのだった。

 黒髪がほんの少しだけれど筋になって入っているのがわかる。焦げ茶色の髪と瞳。黒い髪は王家の血が混じっている証。何代も前に王家の血が混じったのだろう。魔術に長けているのも頷ける。

 触れている手から、温かい熱が伝わって体を温めてくれた。

 

「ありがとう、もう大丈夫よ」

 

 小さく笑って手はなす。さっきまで冷えていたのが嘘みたい。手綱を握り直して速度を速める。肉体の冷えは消えたのに、ふと生まれた小さな嫉妬の気持ちが心を冷やした。

 少しとはいえ王家の血が流れ、強い魔力を持つ少女。私よりよほど価値が高い。それなのに、彼女は平民で私は貴族の娘。ああいやだ。恥ずかしくなる。今は誰の顔も見たくない。

 じっと、近づいてくる暗い森に目を向けて黙って馬を進め続けた。

 

 ◆◆◆

 

「これがレイウッド……」

 

 従者の少年が王領森を前にして感嘆の声をあげた。彼の気持ちは手に取るようにわかる。私も同じように感じているから。

 レイウッドの森。ガウディールに向かうには荒れた川を遡るか、広く国に横たわるこの王領の森を抜けるしか策はない。

 

「お前たち、道からそれるなよ」

 

 ロインが硬い声で言うと、兜や鎖頭巾をかぶり始めていた騎士たちは無言で頷いていた。

 

「道沿いならばそう危険もありません、イルメルサさま。我々もおりますから、ご安心を」

 

 顔を覆った兜をつけた優しい声の騎士が、そう言って私の横に並ぶ。彼はずっと兜をかぶっている。

 

「行くぞ、昼にはメーン川の支流を越えたところでガウディールの騎士と落ち合う予定だ」

 

 先頭のアリンが言って、それが合図のように私たちは森へと踏み込んで行った。

 道ははじめのうちは、荷馬車がすれ違えるほどの広さで板で舗装されていたりしたのに、奥に行くにつれて細く、どんどん悪路になっていった。ほとんど獣道同然。


「あら、うさぎ」

 

 途中、道から少し外れたところで、木の皮をはいでかじっているうさぎの群を見かけた。うさぎだ、と思ったから口にしただけだったのだけれど。

 

「今回狩猟の許可は取っておりませんので、残念ながら狩れません。かわりにチーズかくるみを召し上がりますか?」

 

 間髪をいれずに従者の少年が話しかけてきた。

 

「お腹が減ったわけではないのよ、あんな痩せたうさぎ、おいしそうにも見えないわ」

「可愛らしいですよね、小さくて」

 

 魔術師の声がして、思わず強く頷く。

 

「そう、そういうことを言ったの。あんな弱そうな生き物でもちゃんと生きられるのね、こんな場所なのに」

「森は広くあれらは繁殖力が強いのです。まあそれにしても、少し多い気は……おい、来る」

 

 兜の騎士の声に、騎士たちが剣を抜く音がする。彼らが見ている方を見ても、私にはなにもわからなかった。騎士に気を取られている間に、うさぎたちは散り散りに逃げてしまっている。

 いつの間にか、魔術師も馬を下りて私の馬の前にいた。

 

「魔物です、おそらくうさぎを狙っていたのでしょう」

 

 魔物。強い魔力を持った個体が、知恵と長い寿命を手に入れたものがそう呼ばれる。ぐるる、と獣の低い唸り声が聞こえた。どこからしているのか、私にはわからなくてそれが怖い。

 

「狼のようだ」


 アリンが剣を片手に、道を外れた草むらに馬を進ませた。戦う意志を強く発している彼の背中が、いつもより大きく見える。

 獣の声がまた聞こえた。さっきより弱々しい。いた。騎士たちの視線の向こう、枯れた棘のある藪の先に黒く大きな影を見た。目が赤く光っている。

 獣はアリンと睨み合っていた。

 しばらく唸り声がしていたけれど、狼の魔物は諦めたのか、ゆっくりと森の奥に戻っていった。姿が見えなくなっても、騎士たちは警戒を解かず立っている。

 

「もう大丈夫だろう」

 

 ロインの声に、みなが剣を収めた。ほっとして息を吐くと、振り返った魔術師と目が合った。どちらからともなく微笑む。よかったね、と。

 昼近く、メーン川の支流にたどり着くまでに出会った魔物は、その狼だけだった。

 

 ざぶざぶ、と浅瀬を馬に渡らせてたどり着いたそこには、古びた小さな石を積んだ小屋があった。森番のものなのか狩猟小屋なのか、何かはわからない。


「ここか? まだ来ていないのか、イルメルサさまをお待たせするとは失礼にも程がある」

 

 アリンが怒った様子で辺りを見回している。

 

「おい、小屋を見てこい」

 

 ロインに命じられた従者が、転がるように馬を下りて走っていく。扉は開いたが中は無人だったのか、首を横に振りながらすぐに戻ってきた。

 

「くそっ、待たされるとは思わなかったぞ」

「アリン、言葉遣いに気をつけろ」

「私なら平気よ。馬を休ませてやりましょう」

 

 馬を降り、小屋の外にあった長椅子に腰掛け川の水を飲む馬たちを眺めていると、魔術師が私の馬と、私の荷物を乗せた馬の世話をしてくれているのに気がついた。いい子だわ、いなくなる私の代わりにアリアルスと親しくなって欲しい。

 

「来たようだ」

 

 遠くで馬のいななきが聞こえ、ロインが独り言のようにつぶやく。初めに見えたのは緑の旗に赤い十字の線。色鮮やかなガウディールの印。顔を覆う兜をかぶった騎士が一人やってきた。騎士から離れて、歩兵が何人かついてきているのも見え始める。

 

 騎士は一人。そう気づいた瞬間、羞恥で耳が熱くなった。森で待つ新しく妻になる女の迎えに、騎士一人。それはバルバロスさまの、夫となる方の、私や領民への言葉に等しい。

 新しい妻に価値はない、と。

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