E話 そうゆう生き物

『あ、お父さん?』


 今日の仕事の疲れを癒すため、日課となった晩酌。携帯電話を耳に当て、二つ並べ御猪口に、熱くなりすぎた熱燗を注ぐ。


「そっちはどうだ、慣れたか?」


 石油ストーブの上で炙る、するめがゆっくりと背を反らせる。

 褞袍を着込んでいても、ストーブの当たらない側は凍えそうなほど寒い。

 それを緩和する為にも、グイッと一口。嚥下したアルコールが、かぁっと火を付ける。


『まだ着いたばかりだよ? まだ慣れるも何も無いよー』


 けたけたと笑う娘は、昨日の夜行列車で上京を果たした。

 列車が出てから。寝る前に。起きる頃に。着く頃に。

 これで何度目の安否確認かは忘れたが、一人娘とあってはこの位心配しても罰は当たるまい。


「学校は明日からだったか」


 正直、娘一人を上京させ、あちらの学校に通わせることには抵抗があった。

 可愛い子には旅をさせよとは言うが、それを甘受出来る親がどれほどいるのだろう。

 大人になるまでは、少なくとも面倒を見てやれると思っていたが。

 東京に出てみたい。

 そう言いだしてくるとは夢にも思わなかった。

 もちろん、反対はした。頼りも無いのに一人で都会に行くなど、頭ごなしに怒鳴ってしまったなぁ。

 その日、大喧嘩した。

 思えば、あれが初めての喧嘩だったように思う。


『うん、そうだけど。お父さん心配しすぎじゃない? もう通話履歴がお父さんで埋まっちゃったよ』

「心配することに、度が過ぎるなんてことは無いものだよ」

「そうかなぁ。……あ、お父さん。またお母さんと飲んでるでしょ」

「ん……」


 酒を注ぐ音が聞こえたのか。いつもこの時間に晩酌をしているからか。


「もう四月だけど、そっちはまだ寒いんだからね。ほどほどにしなきゃだめだよ?」

「ん……」

「じゃあ明日は早いからそろそろ切るね。」

「あぁ。がんばってきなさい」

「うん! おやすみなさーい!」


 つーつー、と音が鳴るのを聞いてから、携帯から耳を話す。

 もう、あの子が産まれて16年にもなるのか。

 大丈夫、君に似て、随分と元気に育ったよ。


 空いた二つの御猪口に、またとくとくと注ぐ。

 溢れる涙をぐっと堪え、今日は娘の門出、やめろと言われて止められるわけがない。





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海は空を映し、空は海を輝かせる @sigil

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