アルゴリズムがモノの値段を決める


モノ、特に工業製品の値段を決めているのは誰だろう?


大抵は、開発部門と生産部門が、企画部門や営業部門と一緒に製品の仕様を固めていく途中で、製造コストも明らかになる。

開発にかかるコストと一個あたりの製造コストが算出できたら、それに予想販売数×利益を計上してみて、その価格でも想定数が売れると思えれば商品化にGOが出るだろうし、逆に、あまりにもコストが高かったり販売数が見込めないようだと、『商品化する意義がない』ということになってお蔵入りになる。


実際にはもっと複雑な計算というか分析が必要だが、大雑把な意味としてはそういう感じであろう。


(まあ、小さな企業なら経営陣が過去の経験値でエイヤッと決めているかも知れない。開発コストの低い製品であれば、製造コストと予想販売数さえ読み違えていなければ、直感的な値付けでも問題なかったりするだろう。)


なんにしても、普通の人の予想としては「ハードウェアの値段」というのはコストに基づいてクールに決められており、情緒的な意思決定を挟む余地はない、という感じでは無いだろうか?


しかし、モノの価格を決めるにあたっては、『それを作って売るために幾らかかるのか?』という数字と共に、『それに幾らまでなら払って貰えるか?』という問いが必ずセットになる。


例えば、自動車会社において「パーツの値付けをサジェストするソフトウェア」というものが存在するが、これは、自動車整備サービスにおけるユーザーのリアクションを分析しながら、補修に必要なパーツの値段を『幾らまでなら払って貰えるか?』という観点で(高い方に)値付けし直してくれるというものだ。


もちろん、一人一人の顧客の足下を見て値段をふっかけている訳では無い。


ユーザーが自動車整備を行った際、交換パーツの価格に対して、どのパーツになら、もっと高い値付けをしても受け入れられるか? を分析して探り出すことで、整備事業における収益性を上げていく、という話である。


例えば製造流通コストが5ドルの交換用パーツでも、それがユーザーにとっての『印象』では、もっと高価そうに見える、あるいは高価でも当然だと思える機能などを持つパーツなら、最大30ドルでも受け入れられるだろう、というような『人々の知覚に基づいた分析』を行っていくのだ。


そして実際に30ドルで販売することで、当初予定の10倍以上の利益を上げられるかもしれない。



この話のキモは、『そのパーツの製造コストと予想販売数』で価格が決まるのでは無く、『高そうに感じられるかどうか』という知覚的な面にフォーカスして価格を決めているアルゴリズムが存在すると言うことだ。


例えば、クロームメッキがキラキラと光っていたり、大きく重厚な金属の質感だったりで、見た目が高そうに見えるパーツは、ユーザー側も『高くても当然』だという印象を抱く。


そう言われてみると、私なんかは、まんまとその錯覚に引っかかるタイプだという自覚がある。


逆に、どんなに重要な機能を担っていても、あるいは開発に凄くコストがかかったものであったとしても、見た目がチープでプラスティッキーなら、『こんなものが、そんなに高いのか!』あるいは『本当はもっと安いんじゃ無いのか?』というような思いを抱いてしまう。


これも自分の胸に手を当てて考えてみると、そういう風に思ってしまった例には事欠かない。


『だったら、その印象に沿った値付けにしていきましょう』という判断で、本来の工業製品として持つ「機能的価値」よりも、『製造コストが高く見える』商品の値付けを恣意的に上げているわけだ。


もちろん、多くのユーザー(含む私)はそれに気がついていない。


加えて、機能的には不要であっても、低コストで高く見える装飾を行えるのなら、それを付加していくことも行われていくかもしれない。

逆に、ユーザーから見えないパーツに関しては知覚的な要素が少ないので、恐らく内部の機能部品に知覚的分析は適用されないだろう。


この手のソフトウェアを採用している自動車会社がどの程度あるのか知らないが、今後、自動車業界に限らず、一般消費者向け商品を製造している多くのメーカーで、こういった知覚アルゴリズムによる価格設定が広がっていくだろうし、こういったこと自体は、例によって資本主義の原則に則れば、道徳的とは言えなくとも、普通に真っ当な商業行為ではある。


そしてもちろん、この手の世界はAIの独断場だ。


製品の設計・製造のみならず、流通・販売においても、AIを活用できる体力を持つ企業と、持たざる企業の収益力の格差はさらに開いていくのだろうと思う。


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< 最近の自動車は電子制御化が激しく、20世紀のような「町の自動車整備屋さん」での修理は、加速度的に難しくなりつつある。

歪んだ部品を外して、調子を見ながらちょっと削り直して使えるようにするといった旧来からの「修理」は少なくなり、診断装置にかけて問題点が表示されたら、その部分のアッセンブリーを丸々「交換」する、というのが今後の標準的な自動車整備のスタイルだろう。>


< 新車販売の拡大余地が減少している現在、自動車整備サービスとその交換パーツの供給は、自動車メーカーのエコシステムにとって重要なビジネスだ。

定常的に外部ネットワークとのオンライン状態で稼働する「コネクテッドカー」の時代になったら、町の独立系整備工場の役割は急速に減少して、生き残ったところは正規ディーラーのサービス網に組み込まれていくのかもしれない。>

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