深層学習が監視社会に与える影響


ちょっと不穏なタイトルで申し訳ないのだが、衆人環視の方面において、挙動不審な人物を見つけ出すことに関しては、すでにAIのパターン認識力が人間の直感的な洞察を凌駕しつつある。


カメラの画像から群衆の中にいる挙動不審者を、AIを用いてリアルタイムに見つけ出す、と言う試みはあちらこちらで行われているが、その際に利用される『一般人と不審人物の挙動の差』は、普通の人間ならまず気がつかないほど僅かな物だ。


これは、他とちょっと違う「何かのパターン」を膨大なサンプルを比較した中から見つけ出すということなのだが、人間の認識力では不可能とは言わないまでも実用的ではない。大量の情報をミリセコンドやナノセコンド単位で素早く比較して差分を抽出していけるAIだからこそ可能になる話だ。


そして、解析したすべての人物の挙動を分類し、数値化して重み付けを行う。


深層学習によって特定のパターンには犯罪に繋がる傾向があることを見つけ出したAIは、その学習結果(もちろん、正解か誤答かの結果は与えられなければならないが)を更に強化し、複数の差分を組み合わせて犯罪傾向(仮)パターンリストを作成していく。


それは、歩き方であったり、移動ルートの不明瞭さ、手の動かし方、あるいは上半身の揺らし方、さらには、人間には想像もつかなかった要素など、様々な要素にまたがるだろう。


そして、それらの「結果として異常値だと判定された」要素の繋がりを解析していく。

例えば、『移動ルートが回遊的で、周囲を頻繁に見回している』人物は監視対象とすべきであるという学習結果と、『不審な人物は、肩や背中ではなく、手に荷物を持っている比率が高い』という、普通はまったく無関係に思える要素を結びつける。


(注:これは例え話であって、実際の挙動不審者発見アルゴリズムや学習フレームとは関係ない。一応、念のため)


結果として、『移動ルートが回遊的で周囲を頻繁に見回し、手に荷物を持っている人物は優先的な監視対象とすべきで、予防措置も可』というセキュリティスタッフへのオーダーが発生する...かもしれない。


しかし問題は、『移動ルートが回遊的で周囲を頻繁に見回し、手に荷物を持っている』というような「識別ポイント」と「その理由」がアウトプットとして明示されているのならともかく、AIの深層学習による分析は(何度もコラムに書いているように)明確な基準が見えないことにある。


セキュリティスタッフは、AIが監視カメラの画像から指摘した要注意人物をマークすることは出来るが、その人物が『なぜ、要注意と判定されたのか?』は、実はっきりと分からないままにアクションを起こすことになる。


もちろんAIも間違いは頻繁に起こすわけで、人間同様に完全はあり得ないし、時には取り返しのつかない判断をするかも知れない。

それでも、間違いを犯す度にAIは賢くなっていくだろうし、それらの間違いは社会システムを維持する上での『許容できる損失』として処理されていくだろう。


さて、身に覚えが無くても人と違う挙動をしていたら、予防措置として逮捕されるかもしれないという社会で、人々はどういう行動を取るだろうか?


身の潔白を証明できるなら気にしない? 


いや、誤認逮捕で謝罪され、幾ばくかの補償を受けたとしても、その日の予定がパーになった挙げ句に、不愉快極まりない時間を延々と過ごすのだ。

それに我慢ならないと騒いだところで、あなたの憤慨やマスコミへの訴え程度は『許容できる損失コラテラル・ダメージ』である以上、どうにもならない。


いずれは、そんな目に遭わないように_振る舞う_ことが大切だと人々に認識されて行くに違いない。


だが、深層学習に基づく判断の故として、どう振る舞ったらそんな目に遭うかが分からない以上、市民の側に出来ることは、できるだけ他人との差分を減らすことぐらいだ。


つまるところ、なるべく目立たないように、他の人と同じように、という『同調圧力』が作用する可能性が高い。


そして、それが最後に行き着くところは、オーウェルの「1984年」の世界のようなディストピアの表現でよく見られる、似たような服装の市民が整然と並んで同じ動作でザッザッと行進している光景である。


しかもこれは、決してルールで決められているわけでも、武力で強制されているわけでも無く、実は『異分子に間違われたくない』という人々の、自発的な行動だというわけだ。(ただし、これを『洗脳』と見なすかどうかは視点による)


まあ、ああいう演劇的なシーンは現実にはあり得ないとしても、今の就活生の方々のファッションやヘアスタイル(女性の場合はメイクも)などを見ていると、『他の人と違っていないことが一番安全』という意識は、すでに若い方々には十分に刷り込まれているようにも思える。


そしてもちろん、彼ら彼女らは『そうであることを周囲から求められているから、それに従っている』のであって、ご本人達に「没個性」だの「主張が無い」だのと批判するのは、甚だはなはだお門違いである。


批判するのであれば、その対象は「個性ある人材を求めている!」と表向きは言いながら、実際は『異分子を弾く』という姿勢で採用に当たる企業や役所の側であろう。


就職活動にいそしむ若い方々は今後の生活が、いや人生が掛かっているのだから真剣である。そんな見え透いた嘘はすぐに見抜いて、『求められる社会人像』を演じているだけだ。

彼ら彼女らは個性を失っているのでは無く、すでに子供の頃から個性を隠し慣れていると言えるかも知れない。


そう、近未来の「パノプティコン」は権力組織では無く、怯える無自覚なボランティアによって構築されていくのである。


 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


< オーウェルの「1984年」をモチーフにした映像表現としては、Appleの伝説のCM、1984年にスーパーボウルの中継時に放映されたMacintosh初登場のCM「1984」が有名だ。オリジナル版、リメイク版ともにYouTubeなどで見ることが出来るが、今見ても、典型的なステレオタイプでありながら斬新な表現に感心する。>


< 「パノプティコン」とは、哲学者のジェレミ・ベンサムが概念を構築した刑務所の設計論であり、後に、同じく哲学者であるミシェル・フーコーが管理社会の概念モデルとして取り上げたことから広く知られるようになった。

監房の構造に関してだけ大雑把に言うと『いつ見られているか分からないのは、常に監視されているのと同じ』という考え方に基づいて設計されている。>


< 正直なところ、『自発的な同調・自粛状況』に包み込まれた世界は、すでに成立しつつあるのでは無いかと感じている。>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る