ITメーカーの思惑 「考えるな、感じるんだ!」
ブルース・リーという非常に有名な格闘家映画俳優がいて、「ドラゴン」という愛称で何本ものクンフー映画を作成している。
タイトルは、その一つである「燃えよドラゴン」という映画の中で、彼が弟子に向かって言う言葉である。
技を習得するためにどう動けば良いかを、頭で(理屈)で考えて達成しようとしているらしい悩める弟子に向かって、師匠であるドラゴン氏が「Don't think. Feel!」と諭す、という名シーンだ。(実際はこの後に有名な禅問答から引っ張ってきたセリフが続く)
指先の動きを目で追っていても答えは得られない。その指が指し示している物が何かを心でつかまなければならない、という感じだろうか?
要はクンフーという肉体的な修練に対して「目先のことに囚われても邪魔にしかならない、どう動くべきかの先を感じ取れ」とか、まあそういう意味だと解釈している。
なぜこんな導入をしたかというと、いまではコンシューマー向け製品を出しているIT企業にとって、『Don't think. Feel!』は、メーカー側からユーザーに向けて出す主要な『メッセージ』の一つになっていると思ったからだ。
ただし、そこに上述の禅問答のような高尚な精神性は存在しない。
悩むな、触れろ。
あるいは、使え、考えるな。
そのためにも、操作できることや設定できる項目を『可能な限り減らして』いこうとしている。
もちろんこれの大義名分は「ユーザーが迷わず使えるように」あるいは「やりたいことだけに集中できるように」操作体系を絞り込んでいるという主張なのだが、私はここにちょっとした欺瞞を感じる。
もちろん嘘だとまでは言わない。しかし、その奥には圧倒的に『開発とサポートのコストを削減』したいという思惑が透けて見える。
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スマホもアプリも、昨今では碌な操作マニュアルさえも付いてこない。(どうせ読まれないから用意しない、というのは優先順位の問題でしかない)
触っているうちに自分で覚えてくれ、というのがいまのメーカーの基本的なスタンスである。
困ってメーカーのサポートを受けようとしても、目的のサポートにたどり着くために必要なステップと所要時間は増加している。
サポートにたどり着くまでの「障壁」を増やすというのは、『サポートを受ける気にさせない』ために有効な手段で、平たく言えば、一手間かけさせることで(無償で)サポートを受けることを「諦めさせる」わけである。
これには馬鹿にならない効果がある。
ちょっと余計な手間をかけさせるだけで、気軽な気持ちでサポートを利用しようとしていた人たちを大量にふるい落とすことができる。
残るのは、それでもシリアスな助けを必要としている人であり、その人たちにサポートのリソースを割けると考えれば、これは、ある種のWin-Winでもある。
必要な人たちに、優先的に必要なことを。
そう考えれば、それ自体は悪いことではない。
だが、別の側面からも考えてみて欲しい。
車の改造とか、趣味のDIYとかならともかく、『出荷された状態のままの民生向け工業製品を、その用意された機能と目的の範囲で使う』だけのために、ユーザー同士の互助が必要とされることが度々あるのだ。
メーカーも、それに頼り切りというか投げっぱなしで、困っている内容を検索すると、メーカーのサポートページではなく、第三者による「Q&Aサイトの質問」が上位に出てくる。というか、その類いしか出てこない。
メーカーサイトでさえ、Q&Aやディスカッションが、実質はユーザー同士の互助に任せきりで「中の人」の存在感は希薄だったりする。
メーカーが元から用意している機能なのに、それが利用者なら誰でも知っているという情報ではなく、「How To」や「Tips」としてブログのネタになるくらいなのである。
いや、普通に使っていると、画面のどこにもそんな操作情報やガイダンスは出てこないのですけど?
これは、果たしてまともな状態なのだろうか?
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開発費は言うまでもない。
AIなどをはじめとするソフトウェアの高度化と共に、その複雑性もうなぎ登りに上昇している今日では、システムの開発コストも比例してうなぎ登りだ。
平たく言うと数年ごとに数字の桁が増えている。
開発コストを減らすためにもっとも効果的なのは、利用するユーザーに『複雑化への欲求を抱かせない』ことだ。
・設定項目を減らす。
・動作の組み合わせを減らす。
・そもそも悩むような動作を行わせない。
・セールス上で目立つものだけに機能を絞り込む。
これらを組み合わせて、ユーザーの行為の「ブレ幅」を削減していくわけだ。『実現可能なことが減れば、頭を悩ます対象も減る』のは当然である。
実現できることの組み合わせや対象範囲を徐々に減らしていくことで、ユーザー側も「こんなもんだ」と思うようになっていく。
これは心理的な事実だ。
人は報酬が増やされると要求が更に増大し、逆に報酬が減らされると事態を受け入れるのである。
それにもちろん、単なる手抜きや簡略化ではなく、実現できることに関しては、きちんと進化させていけば文句は出にくい。できることの「種類や量」は減っても、その「質」が上がれば多くの人は納得してくれるだろう。
ただ、古風な考えを持つ私には、どうしても、こういった単純化を『洗練』と呼ぶ気にはなれない。
なぜならば、『洗練』とは、環境で『鍛えられていく』ことで実現する物であり、触らせないことや考えさせないこと、なによりも他の『選択肢を与えない』ことで達成する物だとは思えないからである。
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< 病院に行くためのタクシー代わりに救急車を呼ぶような人々が一定数存在する、ということも事実であり、「必要な人たちに、優先的に必要な対応を」とは、社会全体のニーズでもある。ある程度の篩い分けは仕方がないのだろうとは感じる。>
< 付け加えておくと、製品を「買う=所有する」と「借りる=使用する」の意識の違いは、こういった部分にも大きな影響を与えていくはずだ。>
< ところで、『うなぎ登り』という表現がいつまで通用するだろうか? 「ステラー海牛泳ぎ」とか「ドードー鳥歩き」とか「リョコウバト飛び」なんて雰囲気の言葉になってしまわないことを祈る [誰に?] ばかりである。>
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