アンドロイド/サロゲートと仮想世界(その1)
私はどうしてもサイボーグ系の話になると与太話に寄り道してしまう傾向がある。
そこで今回は少し真面目に考えてみたのだが、もし、人間が自らの精神活動を完全に論理回路上で行えるようになったとしたら、(以前のコラム「AIのシンギュラリティと、その先にあるもの」をご参照頂きたい。)単に仮想世界で生きるよりも、精神活動の実体を論理回路上においたままで、実世界でサロゲート(2009年の同名映画に登場する人造ボディ)を動かす方がいい。
この映画でのサロゲートは、言わば遠隔操作のボディ端末で、没入型インターフェースを使用しているユーザーの『代行人(Surrogate)』となってリアル世界における活動を行う。
だから、サロゲートの向こう側には生きている(定義はさておき)人間がいる。
それが、完全に自立型の電子頭脳(古っ!)に制御されているアンドロイドとの違いだ。
まあ、この定義はお遊びなので、人によってどう違っても構わないと思う。
例えば、士郎正宗氏の「攻殻機動隊」に出てくる「義体」の多くは、基本的にはボディ内に生体脳を保持しているので、それが「物理的にその人そのもの」であり、サイボーグの延長上にある。
この場合は、ボディと共に脳を破壊されたら完全に死んでしまうわけだ。
「攻殻機動隊2」では、電子の世界に飛び込んだ主人公が自らの精神を広くネットに拡散させつつ、現実世界での活動のためにリモートコントロールの義体を使用していたが、こちらはサロゲート系ということになる。(原作漫画内での呼称はデコイ+ロボットという意味の「デコット」。それに倣うと「ロボゲート」だろうか?)
「そんな資源もコストもかかる面倒なことをしなくても、精神が電子世界に移せたのなら、そのまま、どんな仮想世界での暮らしもお好みのままじゃないか?」という考えもあるだろうが、実際はそれをゲームの世界を越えた「生活基盤」にするのは難しい気がしている。
なぜなら、人間としての感覚を保ったままで、物理世界と完全に縁を切る精神活動を長期間続けるのは、非常に困難だと思うからだ。
また、仮想世界における物理法則や社会的ルールなどの『制約』は、すべて人為的に作り出す必要がある。
つまりは『管理者』が必要だ。
もちろん、住人たちの民主主義ですべてを決めても構わないのだが、それほど自由度が高い世界で、全参加者の合意を取れる世界観など、とても成立させられそうにない。
結局は、用意されたいくつかの『シナリオ』から自分の好みに合う世界観を選んで、そこで過ごすという形になりそうだし、そこが『誰かに作られたルール』の元で、言わば『お釈迦様の手のひらの上』で遊んでいるに過ぎないことは明白だ。
VR世界では、設定された目標も、乗り越えなければならない困難や障害も、食事を美味しいと思う味覚ですら、すべて作為的に用意された物に過ぎない。(それも、若干は人間による「アート」もあるだろうが、恐らくは、ほとんどがAIによる自動生成だ。)
そこに、なにかを達成した喜びはどれほどあるだろう?
生身の肉体から離れられず、現実世界と折り合いをつけなければいけない現代の人間の息抜きなら、それでもいいだろうが、本当にそこを自分の存在基盤として、何十年、何百年と生きていけるのか、と考えると、ちょっと厳しいように思えるのだ。
逆に言うと、人間としての感覚がどんどん希薄になっていけば、やがては物理世界とのインタラクションも求めなくなるのかもしれないが。
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< ブルース・ウィリスが主演していた映画「サロゲート」では、人々は生身の体で室内に引きこもって生きていたので、かなり不健康そうだった。
あの状態で(サロゲート同士で)出会ったカップルが、その後(生身の肉体同士で)子供をもうけて育てるのはかなり困難だと思われる。>
< したがって、生身の人間も併存しているサロゲート化社会では、政府主導の社会的な「子作り&子育てシステム」でも用意しないと、早晩『少子高齢化』どころの話ではなくなる気がする。>
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