お箸とサービス(有料)
以前、知人と食文化について話しているときに、ある人物が『
それは誤解も
箸が万能なのでは無く、『箸さえ有れば食べられるように』、固い素材は事前に切り分けて貰っているだけだ。
「椀を手に持って良い」という文化も、それを後押ししている。
嘘だと思うなら、近所のステーキハウスに行って普段通りにミディアムレアのTボーンを注文し、箸だけの食事を試してみることをお薦めする。椀ではなく皿に盛ったクスクスを箸で食べるというチャレンジでも良いかもしれない。
『箸が万能』という勘違いが起きるのは、そこまでの『
料理を作ってくれた方が、食材の柔らかさや噛み千切りやすさ、盛り付けの見た目、手に取って良い器(椀など)か、ダメな器(皿など)か、などを総合的に判断して、適切な状態に
同じく箸を使う中華料理で出てくる肉が、ほとんど細切れにされているのも当然である。
この、事前に見えないところで誰かに『誂えて貰っている』という事実に気付いていない、あるいは適切に評価して_いない_ケースは驚くほど多い。
ここで私が自分の悲しい経験を例にとって愚痴を書き始めると、恐らくはプルーストの『失われた時を求めて』を超える(文字量比)大河小説になってしまうと思うので控えるが、人は自分には無い能力を過小評価するものだ。
念のために書くが、逆では無い。
建前はどうあれ本心では、自分にできることの価値は過大に評価し、自分にできないことや、やりたくないことは、その実現に必要な労力や社会的価値を過小評価するのである。これは様々な心理実験などで確かめられている。
(だから多くの人は、往々にして他人から提供された無形サービスの値付けを内容に比べて割高に感じるし、躊躇無く値切ることができる。これは評価の低さが根底にあるからだ。)
前振りにかなりの文字を費やしてしまったが、つまり、人は誰かが自分のために用意してくれたものを当然のように使い、
それがデータであっても、サービスやアプリケーションであっても、利用できるようになるまでには、多くの人の手間、もしくは過去の英知に基づく手助けを借りている。
ここで、『だから見えない縁の下の力持ちに感謝しましょう』で話を終わると美しいのだが、あなたは、このことからごく当たり前の、もう一つの事実にも気がつくはずだ。
つまり、家族や友人以外が、あなたのために無償奉仕で何かを用意してくれることは無い、ということである。
箸だけで済ませられる食事に馴れきっているあなたの前に運ばれてきたものは、必ず誰か(もしくは、なにか)の労働に基づいて出来上がっており、そのサービスの対価は、これも必ず必要とされる。
そして恐らくは、あなたの前に運ばれてきた段階で、その支払いはすでに終わっている。デジタル社会は冷徹にキャッシュ・オン・デリバリーの世界であって、代金を払う前に完全な商品が渡されることは、まず無い。
さて、あなたはそれを『誰』に対して、『何』によって支払ったのだろうか?
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< 『箸』をメタファーにあげたのは、本当に冒頭の会話をきっかけに、このことについて考えてみた経験があるからで、私自身の箸の持ち方&使い方がとても下手くそであるという事実とは、なんら関係が無い。>
< SNSやリコメンド広告などで個人情報を切り売りしているという議論はよくあるが、ここでプライバシー議論に陥ってしまうと、経済活動としての本質を見失うことになると思う。>
< ちなみに、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は、私の持っている集英社文庫版(鈴木道彦訳)で全13巻!である。買って本棚に並べただけで、もうコンプリートした満足感があるのは、逆に困ったところかもしれない。>
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