AIが人間の仕事を奪うかという議論(その2)


いつの時代でも、『人間らしい仕事』や『人間にしかできない仕事』が必ずあるというのが、「シンギュラリティが来てもAIは人間を越えないよ派」もしくは「シンギュラリティなんか来ないよ派」の方々の意見であり、それはそれで傾聴に値するのだが、仕事=経済活動と定義した範囲においては、論拠が甚だ心許ない。


AIが人間の仕事を肩代わりする要件として「AIの作業効率と品質が人間並以上になれば、課題はコストのみである」と書いたが、実はシンギュラリティの有無に関係なく、「AIは人間の仕事を奪わないよ派」の人々でも、AIの作業効率と品質が人間以上になる可能性は認めているケースが多い。


その上で、AIが人間を越えるか越えないかという議論ではなく、AIが人間の仕事を肩代わりするようになっても、技術革新による経済発展によって、『失われた仕事以上に沢山の仕事が生み出されていく』ので、人々がやるべき仕事は常にある、という主張だ。


だが、ここで一つの疑問が生じる。


技術革新で経済は発展するとしても、その生産性の増加分がすべてヒューマンリソースに平等に分配されると、なぜ考えられるのか?


『新たに生まれた仕事』も、AIが人間よりも低コストに肩代わりできるのならば、人間にやらせる理由は全くない。

経済発展が永遠かどうかはさておき、個人的には、仮に、失われた仕事以上に沢山の仕事が生み出されていったとしても、結局は『それも全部AIの仕事』になってしまうだけでは無いのかな? と思ったりする。


人間の肩代わりをできるAIが、ある時点で劇的に進化して「シンギュラリティ到来!」と叫ぶ必要も無い。肩代わりできることが、少しずつ、ゆっくりと増えていくだけで、社会を変えるには十分なのだ。


ある技術が『変化の閾値を超える』というのは、そういうことだと思う。


どんなに頑張っても、ソロバンでコンピューターに挑む人は、もういない。

ひとたび『人間の肩代わりをできるAI』が使われ始めたら、それは、社会のあらゆる仕事を肩代わりしていくだろうし、情緒的な「ラッダイト運動」などで後戻りすることは無いはずだ。


だから私には、「失われた仕事以上に沢山の仕事が生み出されていく」と主張する人々の意見は、まるで『アキレスがカメを追い抜くことは無い』と言っているようにも聞こえる。



それともう一つ、「シンギュラリティは来ないよ派」や、「人間の仕事はずっとあるよ派」の人々の論拠には、往々にしてビジネス上で最も重要な視点が欠けていると思える。


それは、AIやロボットを使うか使わないかを決めるのは『利益』である、という点だ。


ある作業をAIにやらせるか、それとも人間にやらせるかを決めるのは、政府でもボランティアでも知識人でもない。利益を追求する、あるいは効率を追求する、組織の管理者である。(これは今のところ人間の役目とされている。多分もうしばらくの間は)


企業のような営利団体に限らず、行政組織だって効率化は求められるので、ここは組織の母体がなんであろうと変わらない。

組織のトップが、株主や住民からコスト削減しろ、無駄遣いするな、収益率や費用対効果を上げろと求められ続けるならば、行き着く先は同じである。

やるべきことは一つ。

よりコストの低い解決策を採用する、ということだ。


つまるところ、人間に任せる仕事がどうなるかという点に限って言えば、劇的なシンギュラリティなんて『来ても・来なくても関係ない』というのが真実だ。


利益や効率を優先事項として追求していく限り、AIの発達具合がどうであろうと、その未来は変わらない。


ある時点でAIの方がコスト効果の高い仕事には、どんどんAIが利用されていくだろう。そして、その範囲や複雑さは怒濤のように広がっていって、気がつくと、AIとロボットに任される仕事が社会のあらゆる分野に広がっているだろう。


変化はいつでもグラデーションで不可逆的だ。


おまけに多くの人は、少しずつ入れ替わっていくような、ゆっくりとした変化に気がつかない。


と言うわけで平和な未来の人類社会の姿としては、生産活動はすべてAIとロボットに任せてしまって、人間はベーシックインカム制度の下に、学究と冒険と芸術に暮らすべきだと思う。


いや結構マジで。


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< AIは、かつて過大な期待に基づくブームを引き起こしており、現在は第三次ブームだとも言われる。ただ、個人的に以前のブームと違うと思うのは、今回は理論だけで無く、ハードウェア的にも、そこそこのAIを実現するテクノロジーが育っていることだ。

だが、『自我や感情が無ければホンモノのAIでは無い』と主張する人にとっては、今回もブームで終わった、ということになるのかもしれないが。>


< 「ラッダイト運動」とは、産業革命時の19世紀初頭に起きた、『機械打ち壊し運動』で、機械によって仕事を奪われることを恐れた沢山の労働者が破壊活動に走ったそうだ。>

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